第62話 再燃の理由

 バスケを始めたきっかけなんて、些細なものだった。

 藍田を好きになったきっかけも、些細なものだった。

 好きになったきっかけなんてどちらも些細なもので、どちらもハッキリとは覚えていない。

 何かを好きになる瞬間なんて、そんなものだと思う。

 だけど、冷めた、、、瞬間だけは、脳裏に焼き付いている。

 バスケに冷めたのは、中学部活引退後。

 最後の大会を風邪で休み、ベッドの上で引退した忘れられない日。

 ──そして。

 藍田に冷めたのは、にせの姿を初めて見た、体育館裏。


 ◇◆◇◆


「お前ってバスケに冷めたことないの?」


 北高に入学して初めて仮入部に参加する前日に、俺は理奈へそんな質問をした。

 どうせ仮入部受け付け期間が始まれば、強引に連れて行かれることが分かっていたから。

 だが理奈は、考える素振りさえ見せずに口を開いた。


「私? ないわよ」


 即答する幼馴染に、素直に凄いと思った。

 練習がしんどいとか、思ったプレーができないとか、きっと冷める理由なんてどこにでも転がっているはずなのに。


「あんたはあるの? バスケに冷めたこと」

「あるよ」


 俺が言うと、理奈は意外な表情を見せる。

 理奈の中では、高校でも俺が変わらずバスケ馬鹿でいるという確信があったらしい。


「理由聞いてもいい?」


 ──言えば、中学の自分を自白することになる。

 その頃はまだ、チームワークに関して考えてもいなかったけれど。

 中学の自分が褒められたものではないという自覚は既に芽生えていた。


「理由なんてないけど。何となくってこともあるだろ」


 馬鹿正直に答えたことを後悔する。

 俺が聞きたかったのは理奈の答えであり、自分語りをしたかった訳ではない。


「そうね。あるかもね」


 意外にも、理奈は踏み込んで来なかった。

 俺の質問の意図を見抜いていたとは言わないが、察しくらいは付いていたのかもしれない。


「冷めそうになったことならあるよ」


 理奈は何気なく言ったが、俺にとっては驚くべきことで。

 その時は、きっと先程の理奈と同じ表情をしていたと思う。

 俺も、理奈がずっとバスケ馬鹿だと確信していたからだ。


「いつ?」

「やっぱり、試合でボコボコにされた時かな」

「お前ボコボコにされたことあんの?」

「あるわよ、悔しいけど」


 理奈のいたチームは全国大会へも出場した、強豪校。

 その強豪校をボコボコにするチームがあるなんてと驚いてしまう。


「あ、試合スコアでボコボコにされたとかじゃないわよ。チームというより、私個人の話」


 理奈は窓枠に上体を預けて、想起するようにこめかみを抑える。


「ダブルチームを食らって全く機能できなくて、そんな状態で大会が何日も続いて。あと、確か生理も被ってたっけ」

「ぶっ」

「いや、割とそれ運動部女子の死活問題だから」


 理奈は息を吐いて、言葉を続けた。


「元々メンタル的にしんどいのに、試合でもしんどくて、活躍できない自分が許せなくて。一日に二試合ある期間を三日も四日も続けていって、その全部が不甲斐ない自分だった時は──」


 俺もその状況を想像して、思わず苦笑いしてしまう。

 生理になった時の気分は分からないものの、男にもどうもイライラする日はある。

 そんな日と、不甲斐ない結果が出続けた日が重なると、確かに億劫になってしまうと思う。


「でも、今は好き」


 理奈は悪戯っぽく、ニシシと笑う。


「へえ」


 思わず釣られて、俺の口角も上がる。

 高校入学して間もない、まだ桜も残っている四月中旬。

 俺はバスケが好きかどうか、微妙に分からないでいた。

 だが、理奈の笑みを見ていると、不思議とフツフツと胸に沸くものがある。

 それが何の熱なのかは分からない。

 バスケ再燃への熱なのか。

 それとも、別の何かなのか。


「好きか分からないんだったら、試してみるしかないよね」


 理奈はそう言って、俺の肩を軽くパシリと叩いた。


「明日の仮入部、絶対バスケ部に連れて行くからね。バッシュは持ってくるように」

「……はーい」

「何でちょっと嫌そうなのよ!」


 理奈は今度は強めに肩を叩いて、「情けないっ」と言った。

 ジンジンと痛む肩も、不思議と悪い気はしない。

 中学の頃、面と向かって喋ることは殆どなかったから、懐かしさすら覚えてしまう。

 でも、その気分に浸ることはしない。

 俺には、もう一つ訊きたいことがあったから。


「どんな時に再燃したんだ?」


 冷めた状態から好きな状態になるまでは、何らかのきっかけがあったはず。

 そんな考えからの質問だった。


「……だから、完全に冷め切ってはいなかったケド。でも、そうね」


 理奈は少し空を見上げてから、俺に向き直った。


「──好きか分からない状態を維持しておいたら、いつのまにかまた好きになってたかな」


 そう言って口角を上げる理奈の表情は昔のままで、小さい頃を彷彿とさせる。


「それってさ。何事にも当て嵌まると思うか?」

「え?」


 バスケにも。

 別のことにも。

 例えば、そう──恋愛とか。


「知らない。なんか言いたくない」

「なんでだよ、いいだろドケチ!」

「ちょっと、ド付けるのやめて! せめてケチにして!」


 瞬間、風に靡いた髪がバタバタと暴れて、理奈は鬱陶しそうに抑えつける。

 抑えつけられた髪は、小さい頃のそれとは別物の、さらりとした女の子のもので。

 やっぱり小さい頃とは違うんだなということを、再認識させられた。


「まあ、そうね。何事も、あんたの好きにしたら良いと思うわ」


 最後に付け加えられた理奈の言葉は、俺の質問に対する答えにはなっていなかったが。

 それでも、結果的には俺の記憶の片隅にずっと残っていたのかもしれない。


 ──夏休みが終わる。

 終わろうとしている。


 俺が、藍田と付き合っていたのは、脅されたからか。

 それとも、好きなようにした結果か。

 俺は、前者だと思う。

 だが、四月に感じていた、胸に沸くフツフツとした何かは、未だに燻っていて。

 その正体を自覚した時に、きっと俺の答えは出るのだろう。

 後悔することになっても、答えなくてはならないことがある。

 タイムリミットは、すぐそこまで迫ってきている。

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