第52話 テスト終わり

 期末テストが終わって一学期も残すは来週のみとなった。

 今日はバスケ部の練習も無く、帰るだけだ。

 女バスは県大会に出場が決まっているので、特別に体育館を使って練習している。

 テスト後の疲れもあり、俺の欠伸は止まらない。

 帰り道何度目かも分からない欠伸をしていると、横にいる藍田がクスリと笑った。


「そんなに疲れたんだ」

「そりゃあ、昨日も遅くまで起きてたしな」


 起きていた時間全てを勉強に費やしたわけではないが、いつもに比べ睡眠時間が少ないのは事実だ。

 思わず開いてしまった漫画を読む時間を削れば、もう少しテストに手応えもあったかもしれないと考えると悔やまれる。


「今日せっかく部活ないし、帰り道どこか寄りたかったんだけどな。やめとこっか」


 藍田は少し残念そうに言う。

 俺はそれに首を振った。


「いや、別にいいよ。昼に帰ってすぐ寝たんじゃ、生活習慣バグりそうだし」


 テストが終わったのはお昼のことで、まだ日が落ちるまでにはかなりの時間がある。

 今家に帰っても昼寝くらいしかやることはないし、藍田とどこかへ出かける方が有意義な時間の使い方だと思った。

 我ながら藍田への認識が変わったものだ。

 付き合った当初は藍田と出かけることなど胃が痛い思いだったというのに、今となっては落ち着く時間と言っても過言ではない。

 藍田は俺の返事を聞くと微笑み、頷いた。


「そっか。観たい映画あったんだ、一緒に行こ」

「映画か、いいな!」


 最近は映画館で映画を観る機会が少なくなっていた俺にとって、この誘いは嬉しい。

 映画館は駅前の賑わっている場所にある。

 今公開されている映画で目ぼしい作品はあっただろうかと考えていると、藍田が俺の肩にそっと触れた。

 華奢な掌が二の腕へと降りてきて、俺はたじろいだ。


「ど、どうしたんだよ」


 からかわれているのだろうか。下り坂の途中で歩みを止めると、藍田は少し先へ進んでから俺の方へ向き直った。


「手繋ぎたくて」

「やだ」

「どうして?」


 藍田が首を傾げる。心なしか藍田の頬が紅潮しているように見えた。

 後ろから下校途中の集団が俺たちを追い越し、物珍しそうに眺めてくる。「高嶺じゃん」という声も何処から聞こえてきた。

 周りに人の目がある状況では、手を繋ぐ気分にはなれない。もっとも人がいなかったとしても、結論は恐らく変わらないであろうが。


「普通に恥ずかしいだろ」


 そう言うと、藍田を追い越して歩を進める。

 藍田が追いついてくるまでに、時間を要した。

 歩調を緩めて藍田を待つ。

 先程追い越された集団の他に、もう人影は見えなくなっていた。

 街中の喧騒から隔たれた山道に、もう見えなくなった男子たちの笑い声が僅かに木霊している。

 不意に後ろから声が掛かった。


「桐生くん」


 それは艶があり、そしてどこか弱々しくも感じられる声色だった。


「ん?」


 振り向くと、藍田が膝に手をついている。

 落ちてきた若葉が綺麗な黒髪に引っかかるのを見て、俺はそれを払い除けてあげた。


「どうしたんだ、何か落ちてたのかよ」


 視線を地面に落とすと、別段何も変わった様子はない。

 山道に似合わない整備されたコンクリートは、いつも通り雑草すら寄せ付けていない。

 藍田が何の反応もしないので、肩をトントンと叩く。

 するとその肩が震えていることに気付いた。

 一瞥するだけでは分からないが、もう一度触れてみると確かに震えている。


「藍田、どうした?」


 言うが早いか、藍田がその場に崩れ落ちた。


「おい!?」


 すぐに支えるも、藍田は完全に脱力しているようだった。

 人の体重というのは、例え女子といえど体勢が悪ければ支えることすら困難だ。

 何とか藍田の肩に身を滑らせて倒れるのを防ぐと、漸くそこで彼女の息が荒いことに気が付いた。


「どうした、しんどいのか?」


 今下山して来た道を振り返ると、既に学校から十分は歩いていることが分かる。

 保健室に連れて行くにも、今の脱力した藍田を連れて行くには時間が掛かりそうだ。


「しんどいんだな?」


 息の荒さからして藍田が辛いのは明らかだろうに、俺は情けなくも動揺して同じことを訊いてしまう。

 藍田が少し口を動かして何かを言おうとしたが、唾を飲み込んでまた口を閉じてしまった。

 しかし首を縦にコクコクと動かしたので、俺は自分の鞄を道端に放った。


「おぶるわ」


 俺はそう言うと藍田を一旦横に設置されていたフェンスに預けて、身を翻して背中を広げる。

 後ろから藍田が倒れこんできて、何とかおんぶをすることに成功する。

 藍田の吐息が首にかかるが、そんなことよりも俺の汗が彼女の口に付いてしまわないかが心配だった。

 脱力した人を担いで十分登山するのは骨が折れそうだが、しのごの言っていられない。

 鞄は二人分も持っていられないので、迷った末に自分の鞄は道の隅に置いておく。


「映画どころじゃねえよ……」


 映画の話を出した時から倒れるほど辛かったのだろうか。そういえば頬が紅潮していたなと思い出すと、藍田の身体が熱いことに気付く。

 テスト勉強で無理をしたのが祟って夏風邪をひいてしまったのだろうか。

 学校に戻る際に多くの生徒に注目されたが、この時ばかりは必死で他人の視線は気にならなかった。


 ◇◆


「夏風邪に、熱中症のコンボだね。吐き気は?」


 保健室の先生がベッドに横たわる藍田に質問する。

 藍田は薄っすらと目を開けて、首を振った。

 保健室に連れて来て二十分、藍田はだいぶ落ち着いてきた様子だ。


「桐生君だっけ」

「はい」


 名前を呼ばれて、藍田から保健室の先生へと向き直る。


「熱中症って、一刻を争う場合もあるの。藍田さんは一時的なもので回復してくれたからいいけど、人が倒れた時は万が一を考えて、救急車を呼ぶことをこれから頭に入れておいて。担がれるのにも体力がいるの」

「……はい。分かりました」


 確かに、藍田は一時的に言葉も発せずにいたのだ。

 動揺して救急車という選択さえ頭に浮かばなかった自分に、思わず唇を噛む。

 保健室の先生はそんな俺を見て、「でも」と付け加えた。


「結果的にだけど、保健室に担いできたのはグッジョブよ。中々瞬時に女子を担げる男子はいないわよ」

「……ありがとうございます」

「うん。じゃあ桐生くんはもう帰りなさい。藍田さんは親御さんに連絡して、迎えに来てもらうわ」


 優しく笑う先生に、俺はお辞儀する。

 人は思いもよらない出来事が起きた時、こんなにも動揺するのか。

 保健室のフローリングを見つめると何となく心が落ち着いた。


「……待ってください」


 ベッドから聞こえてきた弱々しい声に振り向く。

 藍田が懸命に身を起こそうとしているのを見て俺は思わず近寄り、手で藍田の背中を支えた。

 掌から伝わる体温は冷房の効いた保健室では更に熱く感じられて、よくこんな状態で映画を観ようと言ったものだと思ってしまう。


「私、親来ないです。ですから、タクシーとか呼んでもらえますか。家のベッドで寝たいので」


 共働きだとしたら、連絡がつくのにも時間がかかるだろう。

 先生は少し思案した様子を見せて、「私が送るよ」と言った。

「ありがとうございます」と藍田が僅かに頭を下げる。

 タクシー代となると料金はバカにならない値段になるはずなので、この提案はありがたいはずだ。

 これで一件落着だなと、思わず息を吐いた。


「……桐生くんも付いてきてくれる? ちょっとだけお世話になりたいんだけど」


 藍田の頼みに首を振ったのは俺ではなく、先生だ。


「桐生くんは男子でしょ。女の子の友達なら、名前を教えてくれたら先生が呼んできてあげるけど」

「桐生くんは彼氏なんで大丈夫です」

「彼氏──、そう。彼氏なの。それなら……どうだろう」


 カップルという考えは先程まで浮かんでいなかったのか、先生は腕を組んで唸る。こういった事態が先生にとって初めてなことはその態度から明白だ。

 藍田がチラリとこちらを窺うのを視界の端に捉えて、俺は先生へと言葉を連ねた。


「先生、俺からも頼みます。こう見えても料理できるので、最低限の病人食くらいは作れると思います」


 制服の裾がキュッと藍田に掴まれる。

 先生は俺の言葉を聞いても暫くは唸っていたが、やがて首を縦に振った。


「分かったわ、そこまで言うなら。桐生君、くれぐれもよろしくね。賢明そうな貴方なら分かってると思うけど」

「任せてください」


 はっきりとは言われなかったが、先生が何を言わんとしていたのかは十分に察することができた。


「よろしい。じゃあ車椅子出してくるから、少しここでまってて」


 先生がそう言って保健室から出て行く。

 扉が閉まると、エアコンの静かな音だけが保健室に残った。


「……大丈夫か?」


 背中をさすってやると、藍田はもたれかかってきた。

 先程と違い息はもう荒くない。


「うん、余裕そうだな。離れろ」

「ひどい。まだしんどいよ」

「ほんとかよ」

「うん。なんか上手く力入らない感じ」

「まだ入んないのか。先生にそれも言ったら?」


 俺が言うと、藍田は顔を胸に埋めてきた。

 病人であるが故に急に避けることもできず、首根っこを掴んで引き剥がそうとする。

 だがそこで無駄な体力を使わせるのも駄目な気がして、この場は諦めた。

 先生が扉を開ける前には離れるだろう。


「桐生くん、そういえば鞄」


 その一言で、鞄を道端に置いてきたことを思い出す。

 中に虫が入ってきていないことを静かに祈った。鞄ごと盗られるということはないと信じたい。

 地域柄、そんなことは起こらないという謎の確信はある。


「車途中で止めてもらって拾うよ。気にすんな」

「ありがと」

「おう」


 藍田の飾らない声色でのお礼が聞けただけで、多少苦労は報われた気もする。

 先生の足音が聞こえてくるまで、俺と藍田は暫く同じ体勢で何も話さず過ごしていた。

 エアコンの風が吹く音しか聞こえてこないその空間は、不思議と居心地が良かった。

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