第41話 陽介への伝言〜理奈side6〜

「13点差か」


 1Q終わりの休憩時間、私はため息混じりに呟いた。

 試合はまだ始まったばかり。

 そうは言っても、次の第2Qも同じペースで点差が開いていくと試合は決まってしまうようなもの。

 要するに、北高は早々と窮地に追い込まれたわけだ。


 陽のファウルを受けた選手は、危なげなくフリースローを決めて結局点差が広まってしまった。

 笛が鳴って1Q目が終わっても、13点差ということもあってベンチの雰囲気は暗い。

 私のいる観客席まで、その雰囲気が伝わってくるくらい。

 勿論暗くならないように皆んな明るく振る舞ってはいるけど、振る舞っていることがここまで伝わっているのだから効果は薄いはず。

 どのスポーツにも言えることだけど、試合中のメンタルは勝敗に直結すると言っても過言ではない。

 メンタルで実力差もひっくり返ることもあるのが、スポーツの面白いところだ。

 だけど今は、そのメンタルが北高に牙を向いていることは明らかだった。


 本来格上の高校には、主導権を握らせないまま戦わなくちゃいけない。だけどエースである陽は時間をかけたプレーに注力してしまい、結果簡単に主導権を渡してしまった。


 2Q目こそは必ず。

 ……多分、あいつはそう思っているのだろう。それはベンチから見える表情で十分に察することができた。


「陽介は自由にさせてもらえないみたいね」


 陽の姉である聡美さんが、首を傾げてそう言ってきた。


「ですね。向こうの選手も陽介を抑えることには力を入れてるみたいです」


 裏を返せば、それ以外は比較的自由にプレーしてるということ。私の意図を聡美さんも汲み取ったみたいで、苦笑いした。


 聡美さんから陽の試合を観戦しようと誘われたのはつい昨日のことだ。

 元々バスケは一人で観戦する方が好きだったけど、聡美さんなら話は別だ。バスケの話も合うし、当たり前のことだけどあいつのことをよく知っている。


「にしても、よく陽介もここまで勝ち上がれたわね」

「陽もチームに尽くしてるみたいですから。チーム全体の質も上がると、県大会でも上位に食い込めるかもしれません」


 絶対的エースという存在は、それほどまでに大きいものだ。実際にエースに導かれて元々弱小だった高校が全国大会に出場したことだってあるのを知っている。

 私はあいつなら、北高男バスを全国に導くことだって夢じゃないと思っていた。そう、思っていたのだ。


「でも、この試合は負けるわね」


 私の思考を先読みしたように、聡美さんはハッキリと言い切った。


「仕方のないことだけど。やっぱりまだ陽介以外、経験が全然足りないわ。一人で勝てるほど甘くないわよ、バスケットは」


 要するに、今北高でまともに戦っているのはあいつ一人だということ。聡美さんから言わせれば、そういうことらしい。


「でも、外国人選手の加入で全国に出場した高校もあります」


 自分でも的外れな反論だと分かっていたけど、思わず言ってしまった。

 ここで黙っていたらあいつを裏切ることになるような気がしたから。

 でも聡美さんはあっさりとかぶりを振る。


「陽介がダブルチームで抑えられたとこを見ると、その事例と同じとは言えないかな。あいつ、体格は普通だもの。それにね、自分一人で行こうとし過ぎてる。あれじゃ攻めも単調になって、ますます攻撃は止められるわ」


 それに反論する言葉は思い浮かばなかった。

 陽の敏捷性、テクニックは間違いなく二校の選手達の中で一番だ。

 だけどフィジカルや体力は、恐らく違う選手だ。

 全てにおいて秀でていて、更に仲間も駆使していかなければ、千堂高校相手に一人で試合を変えることはできないということ。

 聡美さんはあくまで冷静に判断しただけで、陽介を応援しないということはない。

 だからこそ聡美さんの言葉は重かった。

 あいつは私に勝つと約束したけれど、このままじゃ本当に難しい。


 思わず私は椅子から立ち上がった。そのことだけでも伝えておいたほうがいいだろう。

 選手とは今話せない。だとすればマネージャーか。

 瞬間、藍田さんと目が合う。

 以前少し話をした戸松先輩にと思っていたけれど。

 藍田さんも今は大丈夫だろう。純粋に北高を応援していることは、又東校との件で分かっている。

 私が仕草で落ち合いたいことを示すと、藍田さんは頷いた。


「あの陽介の彼女ってマネージャーだったの?」


 藍田さんがあいつの彼女だということに気付いたのか、聡美さんは質問してきた。


「あれ、知ってたんですか」

「うん、前デートしてるところを見たことがあってね」


 聡美さんは思い出すように付け加える。


「良い子そうよね」

「え?」


 意外だった。聡美さんは大学生で、きっと年下が猫を被っていることなんかすぐに見抜いているものかと思ったのに。


「良い子……ですか」


 そんな考えから、随分と歯切れの悪い返事をしてしまう。確かに藍田さんは、以前私が感じていたほどの曲がった女ではないかもしれない。ここ最近、バスケなどを通してそう思ったことは事実だ。

 でも、良い子かと言われたら唸るしかない。

 良い子は、無理やり付き合おうとしたりしない。

 良い子は、告白されたことを友達と笑ったりしない。


「良い子よ、あの子は」

「はい、悪い子じゃないですよね」


 試合中に今までのことを説明するのは憚られるし、いきなり言われると聡美さんも困るだろう。

 でも良い子と呼ぶまで割り切ることもできなかったので、曖昧な言葉で誤魔化した。


 休憩終了の笛が鳴り、選手たちが顔を上げる。

 コートに入場する陽介は先ほどより更に顔は引き締まり、この第2Qに賭けていることが伝わってきた。


「ちょっと行ってきますね。伝えることがあるんで」


 そう言うと、聡美さんは微笑んだ。


「陽介も幸せ者ね」


 ◇◆


「来てくれてありがとう、試合中なのに」

「ううん、何か深刻そうだったから。桐生くんのことでしょ?」


 私と藍田さんが二人になった時に話すことは、いつも陽介についてだ。

 陽のことがなかったら、私たちの関係も変わっていたんだろうか。

 ……いや、それはないか。

 元々、この子の周りに本心を隠しているような態度は好きじゃなかった。

 でも目の前の表情はかつて私が嫌っていたものでなく、何かを案じているような、そんな表情。

 試合中に呼び出されたんだから普通は怒ってもいいはずなのに、そんなことを言い出す雰囲気は全くない。


 ──ほんとにあいつの彼女なんだ。


 そのことを実感するためにここまで来たんじゃないのに、そんな思考が頭の中を巡っていく。

 でもあいつのためにも、今は頭の隅に追いやらなきゃ。

 あいつが勝つって言ったんだから、私はそれを信じて動くだけだ。

 例えそれが、今の陽にとって不本意なものだとしても。


「香坂さん?」

「今の陽は……あなた達に、頼られすぎてると思う」


 藍田さんが怪訝な表情を浮かべる。


「桐生くんは北高のエースだもの」

「でも、陽は今のペースだと最後まで持たない。あいつのことだもの、2Qはギアをさらに上げるはずよ」

「うん。桐生くんならそうするはず」


 藍田さん自身、そのことに違和感を抱いていないみたいだった。

 きっと観客としてなら、藍田さんも気付くのだろう。当事者だからこそ盲目になっているのだ。


「あいつ、今日は一段とパスの頻度が少ないわよね」


 その一言で、藍田さんは私が何を言おうとしているのかを察したみたいだった。


「陽に言っておいて。バスケは一人でするものじゃないってさ」


 要するに、陽は背負いすぎなのだ。

 今まで一人でバスケをしてきた人間が、いきなりチームを背負って戦うのは簡単じゃない。

 あいつが一番力を発揮するのは、自分のプレーを取捨選択できる環境。

 それは私が、一番よく分かってる。


 藍田さんは深く頷き、息を吐いた。

 私の言いたいことが伝わったのだろう。


「ありがとう」

「ううん。気にしないで」


 口角を上げて見せて、私はギャラリーの方へと身を翻す。


 最近思うようになった。

 藍田さんって、きっと本当に陽介のことを想ってる。

 本当に想うようになったキッカケはいつなのか分からない。

 もしかしたら、北高バスケ部であいつのプレーを間近に見続けたから。

 もしかしたら、付き合う中であいつに惹かれていったのかも。

 これは本当にもしかしたらだけど、最初から想っていたのかもしれない。


 だからこそありがとうなんて言葉も出るんだろう。建前のものではなく、本気の言葉が。


 でも藍田さん、ほんとに気にしないでね。

 私は陽介を応援しているだけで。

 2人の仲は、無くなってほしいと思ってるんだから。


 体育館に差していた陽光が、少し陰った気がした。

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