第42話 成長するために
中学最後の大会で、もし俺が試合に出ることができていたならば。
目の前の瀬川が物憂い表情をすることもなかったのだろうか。
「桐生!」
俺を呼ぶ声と共に重量感のある音がコートに響き渡る。リングに弾かれたボールが、まさに俺の真上へと飛翔していた。
第4Q残り六分、50-65。それが今のスコアだ。
逆転はどうだろう。難しいんじゃないか。
沸騰する頭の中で、どこか冷静な俺がそう言っている。
2Qのハーフタイムに、俺は藍田から注意を受けた。
「桐生くん、一人で点を取ろうとしすぎだよ。バスケは一人でするものじゃない。五人全員で北高スタメンでしょ?」
──知ってるよ、そんなこと。
そんなこと言われなくても分かっている。分かった上で、俺は自身にボールを集めることを選んだんだ。
そう思った矢先、藍田は言った。
「でも、どうするかは桐生くんが選んで」
自分で選んで。桐生くんはエースだけど、だからといって全てを背負うわけじゃない。
藍田はそこまで言うと一度言葉を切って、深く目を瞑った。
「何が正しいなんて、終わってみなきゃ分からないしね」
チームメイトも、その言葉に笑って頷く。
そして俺は自分を信じた。
これがドラマなら、仲間を信じたことで逆転するということもあるだろう。
仲間の底力が奇跡を起こすというやつだ。
元々強豪としての実力があれば、それもあるいは可能かもしれない。
だが現実は甘くない。
仲間に頼ってボールを散らばせても、状況の改善はあくまで一時的のものだろう。
そして一時的な改善で逆転できる点差はとうに過ぎている。
それでも藍田が、チームメイトが「仲間に頼れ」と言うのなら俺は従うつもりだった。
だがみんなは、俺に任せると言った。
エースの選択を信じると。
それなら俺は、綺麗事を抜かし少しでも勝率が高いと思った方を選ぶ。
傍から見ればエースにボールを集めすぎて、改善策もないチームだと思われるかもしれない。
……関係ない。
この試合に勝つことができるなら、関係ないんだ。
リバウンドを制し、ボールの主導権が俺に渡った。
素早くドリブルに移行すると真っ先に瀬川が正面を塞ぐ。サイドにいるディフェンスは半身をこちらに向け、いつでもこちらに対応できる体勢だ。
瀬川がボールを奪おうと、右手で空を裂く。俺が抜くスペースを探す暇さえ与えない気だろう。
一旦バックステップを踏み距離を取る。
先程から俺は無理やりマークを外して味方からパスを受け取っているが、それも全て受け取ることができる訳ではなかった。
そして受け取り損ねたボールは速攻で失点へと繋がる。
第2Q以降今までで一番というほどの集中したプレーを重ねるも、そうした要因のせいでほとんど点差は縮まっていないのが現状だ。
瀬川が距離を詰めてくる気配があり、俺も再度バックステップを踏む。直後、俺は地を蹴り前方へと進路を開いた。
後ろに下がると思った相手が自分に向かって突き進んでくると、誰だって意表をつかれる。
そんな目論見で仕掛けた1on1だが、瀬川のマークが外れることはなかった。
「関係ないけどな」
止まらない。
マークが外れないだけで、既に俺はスピードに乗っている。かつて俺のオフェンスがどこの中学にも通用していたのは、マークを振り切れない状態からでもシュートをすることができたからだ。
シュートを止めるにはボールが放たれるタイミングでブロックしなければならないが、トップスピードに乗った状況では至難。俺の積み上げてきたバスケットカウントの数がそれを示している。
フリースローラインから跳躍し、スクープショットでネットを揺らす。
ベンチから得点を決めた時のコールが上がった。
……だが瀬川を始めとする千堂高校の選手には、焦る様子が全くない。
「逆転の目はもう無い」
瀬川は表情を崩すことなく口を開いた。
試合中で気が立っていることもあって、短く「言ってろ」とだけ返した。
「事実を言っただけだよ」
瀬川は淡々と語る。
「お前、変わらねえもん。確かにスピードも速くなったし、キレも増したけど。今まで通り2点ずつ点決めるだけじゃ及ばないよ。3点ずつじゃないと、もう絶対に間に合わない」
こめかみがピクリと動くのを感じた。
「何で敵に塩を送るような真似してんだよ」
「このままお前に勝っても全く嬉しくないし。教えたところで結果も変わんないしな。せめて接戦くらいにはしてほしかっただけだ」
挑発のように思える言葉だが、瀬川にそんな気持ちがないことは顔を見るとすぐに分かった。
物憂げな表情をさせている自分が情けない。
中学の頃からずっと俺に勝ちたかったことは知っている。
だが今のこの状況は、瀬川にとって望ましくないものだということはその表情を見れば明白だ。
こいつは万全の俺を倒すことを望んでいたはず。
「上等だよ」
そんな思いを隠すように強気な言葉で返す。
本当は分かっていた。
このままじゃ絶対に勝てないということ。今までの集中力は、一種の現実逃避のようなものだということ。
ただ、俺は怖かった。
一旦それに気付いてしまえば、本当の意味で、俺は変わらなくちゃならないから。
この状況を打開できる唯一の可能は、3ポイントシュートで差を縮めること。
そしてロングシュートは、俺がバスケにおいて最も苦手なものだった。
地区大会の決勝戦、今ギャラリーは大勢いる。
理奈も藍田も、俺を見ている。
バスケは俺の一番得意とする分野で、同時に自尊心を満たす手段でもあった。
大勢が見守る中で点を大量に入れるのは気持ちいいし、そういった思いは千堂高校を追いかける焦燥感とは別の独立した意識として存在している。
今でこそ自分のためだけにプレーをしている訳ではないが、全てを捨て切れた訳じゃない。恐らく外れるであろう3ポイントシュートを観衆の前で撃つことには未だに抵抗がある。
それを全て捨てて、チームに尽くすことができるか。
「陽!」
ギャラリーのベンチから上がる声に目を向ける。試合の喧騒で騒がしい中、アイツの声は不思議といつも耳に届いた。
こちらを見る理奈は一度大きく息を吸って続けた。
「あんた勝ちたいんでしょ!」
中学の頃から引きずっていた自尊心なんて、その一言で吹き飛んだ。
そうだ。
試合は一途に勝利を求めて、チームに尽くすことが大事なんだ。
そんなこと今まで北高でバスケをしていて分かっていたはずだったが、どうも俺は自分に甘いらしい。
今後の自分を変えようと考えることはできても、今までの悪い自分を捨てようという思考には至らなかった。
未来の自分を描いても、過去の自分を捨てなければ本当の意味では変われない。
ただ変わろうとするだけじゃ、一歩だって前へ進めない。
一度決意が固まると、不思議とギャラリーの声は聞こえなくなっていた。
タツからパスを受け取ると、ディフェンスに構わずトップスピードに乗る。
ディフェンスたちは抜かれないため一定の距離を保ちながら追走してくる。
俺は急停止した。
バスケットシューズが床と擦れて派手な音を鳴らし、流れていた景色がピタッと止まる。
ディフェンスは急停止に対応し切れず、俺との距離が少し離れた。
チームのため。
外れたって構わない。
挑戦し続けることで、俺は成長できるのだから。
右手から放たれたボールは大きな弧を描く。
音を立てることなくリングの中に吸い込まれたのを見届けて、俺はゴールから背を向けた。
歓声が上がるギャラリーの中に、理奈もいるだろうという確信がある。
小さい頃から付き合いのある理奈が俺の成長を今まさに見届けている。
それだけで高揚感が湧き上がるのを感じた。
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