第36話 最後の大会

 瀬川と俺の仲は、決して悪くなかった。

 普段の練習で言葉を交すことは少ないが、同じ教室に入ればそこそこ話す。

 流行りのドラマ、好きな漫画、他愛のない話。

 軽口を叩き合う程度に仲の良い俺たちだが、今だけは別だと言わざるを得ない。


「1on1?」


 冗談だろ、と笑う。

 明後日は試合だ。

 ただでさえいつも通りキツい練習をした後なのに、1on1なんて詰め込まれたら明らかにオーバーワークだ。

 それこそ瀬川が大事に思う雪辱とやらの足枷になりかねない。

 だが瀬川はそんな俺の考えと裏腹に、もの言わさぬ口調で繰り返した。


「ああ、1on1だ。結局は実力、そんなことは分かってる。俺が勝って、お前をシックスマンから引き摺り下ろすよ」

「待て待て。お前が勝って、お前の方が強いってことになったら俺がスタメンになるべきじゃないだろ? お前の理論だと強いやつがスタメンにいくべきってことじゃないのかよ」


 俺の至極真っ当であろう疑問に、瀬川は首を振った。


「違う。この1on1で勝っても、俺は桐生より強いとは思わない。ゲームメイクを考える力も、認めたくないけど桐生の方が上だ」

「なら──」

「どっちに転んでも俺は、桐生がスタメンの方がいいと思う。なるべく多くの時間チームを引っ張ってくれる方が点差は開く。先週の試合は珍しく桐生が2Qから出て、圧勝した」

「あんなのほんとにたまたまだ。俺よりみんなの方が調子良く点決めてたろ」

「そう、だからだよ。桐生が出ると士気が上がるんだよ、なぜだかな。それが俺には分かる。俺はキャプテンだから」


 ──俺はキャプテンだから。

 瀬川の声色が哀しげに聞こえたのは、気のせいだろうか。

 でも、と瀬川は続ける。

 真剣そのものの目を見て、俺も渋々瀬川に向き直った。


「そんな俺個人の言い分が、通るはずないって分かってる。実力主義がこの部に根付いた伝統だから」

「……何が言いたいんだよ」

「だから、1on1。賭けてくれないか、シックスマンを」


 正直、その1on1は俺にメリットがない。瀬川にとっては俺に認めさせるという目的があるかもしれないが、俺には別段何もないのだ。

 それでも俺が首を縦に振ったのは、ひとつだけ共感したことがあったからだ。

 実力主義。

 より実力のある人の発言が認められる伝統。

 そんな伝統を、直接は言わなかったがキャプテンである瀬川も疑問を抱いているようだったから。

 あとは、部の思い出にでもなるかなというただの気まぐれ。


「いーよ。やろうか」


 脱ぎかけていた練習着を再び着て、バッシュの靴紐を締め直す。

 皆が驚く中、俺は不思議と悪い気分はしなかった。




 チーム全体が見守る中、一定のリズムを刻むドリブル音が体育館に木霊する。

 掌に吸い付くボールの感触。

 問題ない、疲労はあるがこの程度なら大丈夫だ。

 対する瀬川は油断なく腰を落とし、次の動作に備えている。

 油断なく。当たり前のことだ。

 この部で一番強い選手を相手にしてるのだから。


 右脚を前方に踏み出すと、瀬川が一歩下がる。

 ドリブルは小刻みに、更に鋭く。

 フリースローラインあたりまで一気に侵入すると、俺は顎をゴールリングに向け少し上げた。

 瀬川がそれに反応して腰を浮かす。


 通常のシュートフェイクは一旦ボールを掲げて、ディフェンスが跳んだ瞬間にボールを下げる。跳んだディフェンスが宙から堕ち、シュートスペースが確保されて初めてシュートを撃つ。


 だがリングに迫る気迫があればそれらの動作は必要ない。

 ただ、ゴールを見据える。

 それだけでディフェンスは本能に従い跳んでくれるのだ。

 こいつに点を取らせるか、と。


 狙い通り瀬川は俺の正面で渾身のジャンプを見せた。

 シュートフェイクと理解しても、一度跳んでしまえばもう遅い。

 跳んで、着地するまでの刹那。

 時間にすれば一秒にも満たないそれだが、1on1ではその刹那の時間が命取りなのだ。

 観戦するチームメイトも、それを感じ取っているはずだ。

 これで終わり。

 あれだけ立派に放った主張も、こんな小手先のテクニックに阻まれる。

 それが少し、虚しい気がした。

 瀬川にとって、この1on1は今までの部活動の想い賭けた重要なものなのだということくらい察せられる。

 それをこんな簡単に終わらせてしまうなんて。

 俺にとって、何の賭けにもなっていない。


 自然と、俺も腰を浮かしていた。

 瀬川に驚きの色が浮かんだ気がする。

 それもそうだ、瀬川が堕ちるところまで待っておけば俺の勝ちは揺るがない。

 それにも関わらず、何故俺は余計なリスクまで犯して跳んでいるのだろう。


 瀬川が、俺より若干早く落ち始める。

 俺の跳躍はまだ伸びている。跳ぶタイミングは違ったのだ、この状況は当然だ。

 だが俺の狙いはこの先にあった。

 跳ぶタイミングが違うからこそ発生する、不可避の接触。

 落ちてくる瀬川から俺へと接触となるため、ディフェンスファウル。

 この接触の時点で、審判がいれば笛が鳴るはずだ。


 シュートモーションに入った状態でファウルを受けた場合、それを決めれば得点と更にフリースロー一本が認められる。

 通常2点しか入らないこの場面で、3点決めるチャンスが巡ってくるのだ。

 バスケットカウント、3点プレー。

 力量は俺の方が上なんだ。

 ならこれくらいして勝たなきゃ、賭けにならない。


 崩れた体勢から、俺は全神経を注いでシュートを撃った。

 白鳥のようにしならせた右手から、ボールが放たれる。

 歪な放物線を描いたボールは、音を立ててリングに当たる。

 観衆が固唾を呑んで見守る。

 ボールは、ゆっくりとネットに吸い込まれた。


「バスカンだな」


 瀬川は悔しげに呟くと、ボールをこちらに寄越す。

 フリースローを促しているようだ。

 観戦していたチームメイト達は良い娯楽だと思っているようで、やんややんやと歓声を上げている。


「いらね、2点は決めたし。攻守交代」


 俺はそう言うと、瀬川にパスした。

 瀬川は何か言いたそうにしたが、結局無言で頷くとスリーポイントライン付近まで下がった。

 一度ボールを俺にパスし、俺がそれをまた瀬川に返す。これが攻守交代の合図となる。

 瀬川にとって、今のバスカンは効いたはずだ。

 敗北のイメージをいち早く払拭したいのか、瀬川はすぐさまドリブルを始めた。

 ビハインドやバックドリブル、強豪であるこの部ではさして珍しくはないテクニック。

 キャプテンということだけあってそれでもドリブルのキレは眼を見張るものがあったが、どうも違和感を覚えた。

 俺のリズムと似ているのだ。

 言葉では表せない、感覚とでしか言えないそのリズム。

 ディフェンスを牽制する一つ一つの動作が、自分を写し鏡で見ているようだった。


 周りの皆は気付いていない。

 それはそうだ、こんなの対峙して初めて本人に分かる程度だ。

 実際俺も、今初めて気付いた。

 よっぽと普段から俺のプレーを見ていない限り、他人が気付けるはずもないだろう。


「お前」


 思わず声が漏れる。

 瀬川はその一言で悟ったのか、少し気まずそうな表情を見せた。

 テンポの速いドリブルに、鋭い緩急。

 主将の名は伊達ではないと見せつけるように、ディフェンスを翻弄する動き。

 観戦するチームメイトたちも、予想以上の攻防に歓声を上げ始めていた。

 右から左へ、左から右へとボールが行き来する。

 俊敏なクロスオーバーに混じる緩急で、俺の重心が僅かに逸れた。

 次の動きが少し遅れる程度の、一瞬の隙。

 瀬川はその隙に食らいつくように、逸れた重心の逆側へ突っ込んだ。

 たった一度の僅かな隙を的確に。

 相手が反応できないほど迅速に。


 ──俺なら、そうする。


 指先にボールの感覚があった。

 瀬川が俺を抜いた瞬間、俺は右手を後ろへ伸ばした。

 瀬川を目視せず、ただ一点の確信を基に。

 それは、瀬川が俺のオフェンスを徹底して分析しているということ。

 分析した結果、相手の隙を突く動作をもなぞることができるということ。


 音を立てて転がるボール、それが答えだ。


「……やっぱダメよなー」


 観戦していたチームメイトの一人が、ため息混じりにそう言った。


「無理無理、今のバックチップだってノールックだったじゃん。わざと抜かせたんじゃね」

「さっきのバスカンといい、オーバーキルっしょ。さ、着替えよ」


 チームメイト達はがっかりしたように雑談に戻る。

 1on1の結果に興味があっただけで、皆その後の問答には全く興味がない様子だった。


「……わざと抜かせたのか?」


 瀬川はそんなチームメイト達を横目に、そう口にした。

 表情は固い。普通に負けるより悔しい攻防を二回も繰り返したのだ。

 瀬川にとって、普通の1on1で負けることより何倍も悔しいことは想像に難くない。


「正確にはわざと抜かせることしか勝ちを確信できなかった、かな。さすが俺のオフェンスだわ」


 そう言うと、瀬川は苦笑いした。


「やっぱ気付かれた。ごめん」

「別に、勝ったし。負けてたら嫌味言ってたかもな」

「なんかそれも既に嫌味っぽいって」

「そう?」

「そうだよ」


 瀬川頷くと、体育館の床に寝転がった。


「俺さぁ。実は勝手に桐生のことライバル視してたんだよ」


 唐突に、瀬川は語り始める。

 天井を見上げて、自分の身体から発せられる蒸気を眺めながら。

 俺も何となくそれに釣られて、天井を見上げた。

 体育館の天井にはバレーボールやバトミントンの羽根がいくつか引っかかっていて、前に見上げた時よりも増えたように思える。

 バトミントンの羽根を数えようとすると、瀬川が続きを話し始めた。


「実を言うとプレースタイルに憧れもあって、ずっと観察してた。まあ、元々のスタイルが似てたから自然に似たんだろうけど」


 狙って真似できる訳じゃない、と瀬川は笑う。


「でもお前、練習中とかどこか気抜けてるだろ。手抜いてるわけじゃないにしろ、本気って訳でもない。何というか、身が入ってないって感じかな」

「そうなのかな。俺あんま意識してねえけど」

「試合中はガンガンやる気出すくせに、俺たち相手には出さないし」

「……もしかして本気でやりたかったからあんな熱くなったのか?」


 俺の質問に、瀬川は首を振った。


「いや、確かに本気の桐生とはやりかったけど。やっぱりあれはチームのためだよ、桐生は絶対スタメンがいい。……まあ、あれだけ言って、コテンパンに負けたからもういいけど」


 少し不貞腐れたような声色に、俺は思わず吹き出した。

 温厚だなんだと勝手に思っていたが、負けず嫌いにおいては部内一なんじゃないかこいつ。


「シックスマン頼んだぞ、次勝てば関東なんだ。そんでその後、全国行くぞ」

「ま、次は勝つんじゃね。負ける相手じゃねえだろ」

「冷めてんなあ」


 瀬川はやれやれと苦笑いした。

 1on1をする前とは違い、どこか穏やかな空気が流れる。

 チームメイトはとっくに着替え終わり、俺は瀬川と何となくずっと天井を見上げていた。

 曲がりなりにも、三年間やってきた部活だ。

 チームに愛着なんてものはほぼないが、それでも全国を経験すればその気持ちも少しは変わるのだろうか。

 そういえば、しばらく会っていない幼馴染はもう全国経験者だ。

 あいつに負けるのも癪だし、最後の大会くらい全国を目指すのも悪くない。

 らしくなく、俺はそんなことを思っていた。




 次の試合。

 俺たちのチームは、あっさり負けた。

 敗因はいくつかあるだろうが、中でもチームメイトが口を揃えて言ったことが一つ。


「桐生が来なかった」


 交通事故だとか、身内の不幸だとか、そんな理由じゃない。

 ただの体調管理不足、ただの風邪。

 靄がかかった意識の中、届いたメールにはこう書いてあった。


『裏切り者』

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