第33話 謝罪

 手首は、一週間もすればまた使えるようになるらしかった。

 とっさにとった受け身のおかげで、軽い捻挫で済んだらしい。


 あの後、長谷川からは顧問の付き添いで謝罪を受けた。

「思わず手が出た」と言って言い訳しない様子はそれまでの言動からは想像できない素直なもので、俺は思わず二つ返事で許してしまった。


「お人好しね、あんた」


 聡美は、唐揚げを頬張りながら口にする。

 昨日の又東高校との試合結果を聞かれ、ついでに手首のことも話していた。


「え、怒ったほうがよかったかな?」


 そう聞きながら、俺も唐揚げを口に放り込む。

 幸い捻挫をしたのは左手首のため、唐揚げを食べる作業にはあまり不便がなかった。

 白飯や味噌汁は、かなり行儀悪く食べることになってしまったが仕方ない。

 手首を捻挫しても、唐揚げは変わらず美味しい。

 母さんが作る料理レパートリーの中でも、お気に入りの中の一つだ。


「やっぱ唐揚げ美味いな、これ。姉貴のとは大違いだわ」

「手首捻りちぎるぞ小童」

「ぐへぇ」


 やられた、という声を出すと聡美は呆れたように笑った。


「まあその様子だと、大して気にしてないみたいね。なら私は何も言うことないかな、っと唐揚げもらい!」

「は!? おい、怪我人からおかず奪うってどういう了見してんだよ!」


 がたんと立ち上がり、正面に座る聡美に抗議する。

 だが聡美は何食わぬ顔で唐揚げをこちらに見せびらかす。


「それを言うなら可愛い姉をいじるなんてどういう了見してんのって話。こっちは心配したってのに」

「心配はいいから唐揚げ返せ! 余計太るぞ!」

「今太ってるみたいな言い方やめて!?」


「食事中くらい落ち着きなさい!!」


 桐生家に母さんの雷が落ちた。


◇◆


「桐生、手首大丈夫か?」


 朝学活前、タツが後ろの席から顔を覗かせて聞いてきた。


「今日でその質問何回もされたわ」

「しゃあねえだろ、気になるもん」


 タツは唇をとがらせると、腰を下ろす。

 かつて金に染め上げたその髪は黒になっていて、見ていて違和感があった。


「来週、相手強いらしいな」

「ああ、そりゃもうかなり勝ち進んだしな。次が俺たちが決勝に行けるかどうかの瀬戸際だ」

「確かベスト4に入った時点で、俺たち男バスって三年間活動するための条件はクリアしてるよな?」

「条件は、一応冬の大会でベスト4だったはずだよ。夏についてはないも聞いてない。だから決勝まで進んで、文句言わせないようにする」


 まさか夏の大会でここまでの結果を残すとは学校側も予想していなかっただろう。

 だからこそ、冬にも同じ結果を求めようと条件を厳しくしてくる可能性がある。

 元々北高で三年間部活を続けていける部は女バス、吹奏楽部、茶道部だけだ。

 唯一の運動部である女バスは全国大会まで狙える位置にいるのだから、多少ハードルを上げられても仕方のない部分もある。

 元々その条件も戸松先輩がしつこく頼み込んでやっと提示されたというだけだ。

 決勝まで進めば、県大会出場も確定する。

 いくら学校側も県大会となれば、首を縦に振るはずだ。

 その為には、何としても千堂高校に勝たなければならないのだが。


「手首、どう?」


 タツは遠慮がちに聞いてきた。

 俺は左手首に視線を落とす。

 日常生活に支障をきたさない程度の回復なら、恐らく一週間で大丈夫だ。

 だが、バスケとなると何とも言い難い。

 ドリブルをする時や、パスを受け取る時。

 普段通りのプレーをするとなると、これらに不安を感じていてはとてもじゃないができはしない。


「わかんね。まあ完治するかは正直微妙だわ」


 それでも俺は悲観していなかった。

 悲観していても、結局今やることは変わらない。

 それならせめて、気持ちくらいは楽にしてもいいんじゃないだろうか。


「桐生がダメなら、スコアラーは藤堂かなぁ」


 タツは悩ましげに唸る。

 俊足の藤堂は、速攻などでボールを受け取る機会が多い。

 ゴール下でのシュート力はあるため、決めた点は多かった。

 それでも速攻だけでは限界があるし、藤堂が速攻でボールを受け取る機会が多いのは俺がディフェンスを引き付けていたからだ。

 リバウンドの得意な田村先輩がボールを確保し、視野の広い清水主将が速攻で走る選手をいち早く見極める。

 藤堂がフリーならまず藤堂を優先して、速攻点を狙う。フリーになりきれていないなら、俺にパスを出してチームでゴールを狙いにいく。

 スペースが確保できたなら俺がディフェンスを抜きにかかる、これが北高オフェンスの基盤となっていた。

 タツは欠けた役割を上手くカバーする、縁の下の力持ちだ。


「スコアラーはともかくさ。タツのプレー、何気にいつも助かってるよ」

「おう、全力で感謝するがよろし!」

「うっせ」


 すかさずVサインを繰り出すタツから目をそらす。感謝しようものならすぐこれだ。


「ところでさー。地区大会終わって期末テストも終わったら夏休みじゃんか。夏はパーっとどっか行こーぜ」


 タツはパーっと、というジェスチャーを大げさにして見せた。


「気が早いな。県大会まで行ったら夏休みも潰れるぜ?」

「それでも全部部活ってわけじゃないだろ。海にキャンプに花火! うわやべまじ夏休み楽しみ」

「はいはい」


 タツは俺の「県大会まで行ったら」という言葉に反応を示さなかった。

 県大会なんて、俺が入部した当初なら目標に掲げることすらはばかられるようなことだったが、着実に力を蓄えていっている今の北高なら現実的だ。

 次の試合は大切な一戦になる。

 もし次の試合に勝つことができたら北高バスケ部の県大会への出場が決定する。


 ──俺は、この北高で県大会に行きたい。


 入部した当初、まるで体育のバスケみたいだと生意気にも思ったバスケ部が県大会に出場する。

 弱小だった北高が、一年の内に県大会に行くなんて痛快じゃないか。

 地区大会で試合を勝ち進むにつれて、そんなことを考えるようになってしまった。


「桐生くん」


 自分を呼ぶ声に顔を上げる。

 そこには藍田が立っていた。今日は髪を下ろして、毛先を緩く巻いている。制服は夏仕様で、シャツ一枚だ。

 藍田との関係はクラスにも広まり、今ではすっかり毎日話すようになっている。

 初めのうちは話す度に好奇の目線が浴びせられたものだが、最近はそれもなくなった。

 未だに何かしらの反応を示すのは、後ろでバタバタ足を鳴らすタツだけだ。


「藍田」

「今日の放課後に次試合する学校のビデオを見るから、藤堂くんとかに伝えておいてくれない?」

「おっけ。頼まれた」


 業務的な連絡に、短い返事をする。だが藍田は机の前から去ろうとはしなかった。


「……桐生くん」

「ん?」


 いつもより小さな声に耳を傾ける。


「私、ラフプレーのこと注意しとけばよかったね」

「え?」

「ごめんね」


 どうやら俺が手首をケガをした責任を感じているらしかった。


「なんで藍田が謝るんだよ。長谷川には謝ってもらったし、俺の中ではもうその件終わったことだぞ」

「私、長谷川くんがそういう選手だって知ってて。ちゃんと注意しておけば桐生くんがケガすることもなかったかもしれないし」

「あんなプレー、注意されてても防げないっての」


 ジャンプしたタイミングで後ろからユニフォームを引っ張られるなんて、例えプロ選手だってバランスを崩すに違いない。


「──でも」

「マネージャーだからって責任感じすぎ。藍田だって完璧じゃないんだ、たまにはミスるだろ。ミス一つで目くじらなんて立てるかよ」


 俺がそう言うと、藍田は目をパチクリとさせた。


「……なんか生意気」

「そりゃどーも」


 口を僅かに尖らせた藍田に、俺は頬杖をついて応えた。

 そこにいるのはいつもの教室にいる、和かな藍田じゃない。二人になった時にだけ、たまに聞く声色。

 それなのにいつもと同じ対応をした自分自身に、少し驚いた。


 ……慣れてきたのだろう。

 友達の元へと戻っていく藍田を眺めながら、俺はそう思った。

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