第32話 問答 〜理奈side5〜

 バランスを崩した陽介は、左に傾いて落ちていった。

 その姿がまるでスローモーションのようで、私は暫く何が起こったのか理解するまで呆然としてしまう。


「──陽!!」


 思わず叫んだ。悲鳴に近かったかもしれない。

 ギャラリーを走り、小さな階段を駆け下りる。一階に降りると、コートも騒がしくなっていた。


「ディスクォリファイングファウル! 白10番、退場!」


 そう叫びながら審判は、又東高の監督へ厳重注意をしている。審判の両こぶしを真上に上げる仕草は、悪質なファウルの証拠。小さい頃からバスケをしていた私も、生で初めて見る。

 陽介は左手首を抑えて呻いていた。それを見下ろす長谷川は、ユニフォームを掴んだ自分の手を眺めている。


「この──」


 今のは絶対に故意だ。そうでなきゃ、あんな高い位置に手を挙げるもんか。

 長谷川に怒りの言葉を浴びせようとした時、陽介がスクッと立ち上がった。


「大丈夫」


 それを誰に言ったのかは分からない。その場にいる全員に言ったようにも、自分に言い聞かせたようにも聞こえる。

 陽介は左手首を抑えて、自分の足でベンチに下がって行った。

 真っ先に駆け寄ったのは藍田さん。素早く手首の状態を確認して、痛いところがないか質問している。


 藍田さんは短い問答の後に頷くと、ベンチに下がった陽介の手を取って素早くテーピングを始めた。


「陽……」


 ここからじゃ、少し遠すぎる。

 コートの反対側にある北高ベンチに、この喧騒の中声は届かないかもしれない。

 そんなことを思っていると、周りにいた観客たちが話し始めた。


「残念だったな、9番」

「ああ、しかも9番が抜けたら試合の結果もわからないし」

「辛いだろうなぁ、今までこの試合引っ張ってきたのに」


 ……周りはみんな陽介への、同情だ。

 エースの仕事を果たした結果がファウルされての退場で、それで観客に同情されるなんて。

 あいつなら絶対、そんな言葉は嬉しいなんて思わない。


「──陽、見てた! かっこよかったよ!」


 観客の視線が一斉に私へ集まるのを肌で感じる。

 でも、気になんてしない。

 あいつにかっこよかったって伝えてあげる事の方が、何倍も大事なことだから。


 陽介は私の言葉に、拳を掲げて応えてみせた。

 周りで拍手が鳴り出し、数秒間会場に響き渡る。

 陽介が戸惑いながらも嬉しそうに口角を上げたのを見て、私は胸がいっぱいになった。


 陽介がいなくなった北高の代わりに出場するのは、髪を黒に染めたタツ君らしい。

 タツ君は陽介に一言声をかけると、怪我をしていない右手と拳を合わせる。

 あの様子からして、タツ君は既にかなり消耗しているはずだ。陽介が抜けた状態での点差を考慮すると、タツ君が踏ん張る必要がある。


「……お願い」


 陽介のために、勝ってほしい。

 北高の勝利を一個人のためだけに祈るのは、出場する選手からすればあまり嬉しくないかもしれないけど。

 それでも今は祈るしかない。

 私はこの試合に出場することができないから。


◇◆


 試合は、六点差で北高が辛勝した。

 陽介が抜けた穴は大きく、決して弱小校ではない又東高相手によく耐えたといった結果だ。

 陽介と交代出場したタツくんがディフェンスで踏ん張ったのが大きいだろう。

 タツくんは大きく息を吐くと、ベンチに戻って陽介の隣に座る。何かを話して、タツくんと陽介は笑い合った。

 あの様子からして、手首の状態は思ったより深刻じゃないのかもしれない。


 ふと視線を流すと、藍田さんが体育館の外へ足を延ばすのを見た。あの方向は、長谷川が退場する際に向かっていた場所だ。

 私は小走りで藍田さんの後を追いかける。

 たどり着いた場所は、体育館ロビー選手控え室前の廊下だった。


「久しぶり、長谷川くん」


 藍田さんが声をかけるのを聞いて、私は曲がり角の壁際で動きを止めた。

 少し顔を覗かせると二十メートルほど先に、藍田さんと長谷川が向かい合っているのが見える。


「……藍田」

「もう起きてしまったことだし、質問は一つだけにするね。あれ、わざと?」

「……違え。なんか、気づいたら手が出てた」

「そう」


 答える藍田さんの声は、恐ろしく冷たい。あんな声、私だって多分聞いたことがない。


「長谷川くん、あなた、あれ私への当て付け?」

「なにが」

「桐生くんへの態度。気付いてないとでも思ったの」

「ち、ちがう。当て付けってわけじゃないんだ」

「ねえ、長谷川くん」


 藍田さんは長谷川を見下ろす。背丈は長谷川の方が上だったが、顎を上げている様子は見下ろすと言ったほうが正しい気がする。


「つまらない動機で、私たちの大会の邪魔をしないで」

「……ごめん」


 意外にも素直に謝った長谷川に、藍田さんは眉をひそめた。


「私にじゃなくて、今から北高ベンチに頭下げに行って。あなたの顧問の先生が何て言うかは知らないけど、このまま帰るなんて許さないわ」

「……わかってる。ほんとにわざとじゃないんだ、謝るって」


 長谷川は視線を落としてうなだれた。


「……それと。藍田も、ごめんな。変な噂バラまいちゃって」


 長谷川がぺこりと頭を下げた。

 一発退場で会場からヘイトを一身に集めたのが効いたのか、いつになくしおらしい。

 藍田さんはその姿にため息を吐いた。


「……今、それに関して謝る必要はないわ」

「ごめん。ごめんな」


 長谷川は深く頭を下げながら、繰り返す。

 それまでの言動が嘘のような態度に、私も喉から出掛かっていた言葉を飲み込むしかなかった。

 だが。


「鬱陶しいわね」


 ──藍田さんは、長谷川を怜悧な目で見下していた。

 長谷川も、驚いた様子で顔を上げる。


「噂は別に、気にならなかったわ。皆んなあなたのことなんて信じてなかったし、女子の間では振られて嘘をバラまく情けない男で通ってたもの」

「んな……」

「自分で自分の首を締めていく様子は見ていて滑稽だったし、むしろ楽しかったから。言ったでしょ? 謝る必要ないって。……それにね」


 一息ついて、藍田さんは更に言葉を紡ぎ出す。


「気持ち悪いのよ、これを機に生まれ変わろうとしているみたいな、その感じが。謝るだけでチャラになるとでも思ったの?」


 棘のような言葉が、長谷川にバシリと浴びせられた。

 長谷川はここまではっきりと言われると思っていなかったのか、硬直から解けると激しくまくし立てた。


「じゃあ、じゃあ! 俺は何すればいいんだよ! 謝るしか、思い付かねえのに!」

「知らないわよそんなの。なんで私があなたの先のことを考えなくちゃいけないの」


 藍田さんは長谷川に背中を向けると、最後であろう言葉を告げた。


「ベンチに謝罪した後、さっさと消えて」


 最後に一言告げると、藍田さんは長谷川から離れた。

 呆然と後ろ姿を見送る長谷川が、北高のベンチに謝罪に行くかは正直分からない。

 でも、私は藍田さんの言葉でいくらか胸がすく思いをした。


 こちらに歩いてきた藍田さんは私に気付いた。何を言うわけでもなく、私たちは向かい合う。


「……ありがとう」


 何を言おうか迷った末、口から出たのはお礼だった。


「ううん。香坂さんも、ごめんね」

「え?」

「私、長谷川くんのラフプレーのこと分かってたはずなのに、大丈夫だと思って言わなかった。だから、ごめんね」

「……意外。あなたが私に謝るなんて」

「私の判断ミスだもん。それに、香坂さんは桐生くんの幼馴染だし」


 短く呟くと、藍田さんは僅かに頭を下げて私を通り過ぎた。

 

「あんた、陽のことどう思ってんの?」


 振り返らないまま、後ろにいる藍田さんに訊いた。

 中学三年の秋、あの屋上での一件。

 あのことがある限り、私は藍田さんを信用することなんて、絶対にできない。

 ……絶対、できないはずなのに。


「前にも言ったでしょ。好きよ」


 その言葉を、僅かでも信じてしまう私がいた。

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