第29話 俺を信じる

「又東高に、私の元チームメイトがいるの。長谷川君っていうんだけど」


 準々決勝を控えた前日の帰り道、藍田は物憂げな表情でそう言った。


「へえ」


 顔を覚えているかどうか自信がなかったので、一言だけ返す。


「うん。彼もシックスマンだったし、桐生くんとの試合はほとんど出場時間も被ってないから分からないと思うけどね」

「そっか。んで、それがどうしたの?」


 続きがある雰囲気だったので、それを促す。

 すると、藍田は表情を曇らせた。


「ちょっと、しつこい人でさ」

「なにが?」


 その言葉から大体は察することができたが、つい質問してしまう。

 藍田は「いじわる」と一言添えて、続けた。


「中学のころ、しつこく告白してきたの。プライドが高くて、振る度にこのことは内緒にしてくれって言われてたんだけど」

「あー」


 振られた側の気持ちは、察することができた。

 プライドが高いのなら、自分が振られたという事実を広めてほしくないと思うだろうと。

 それを振った藍田に何度も頼むのは、また別の話ではあるが。


「それでね、中学二年の冬休み前、私クラスみんなの前で公開告白されたの」

「公開告白……」


 思わずげんなりとした声を出すと、藍田も疲れた表情で頷いた。


「しかも周到にクラスのみんなに根回しして、場を盛り上げてね。私もほら、猫被ってたからさ。断るにも、色々言葉選ばなくちゃいけなくて」

「俺のときみたいに、キツく言えなかったわけね」

「え、私桐生くんの時、キツかった?」


 藍田は意外そうにこちらを見上げる。

 俺は体育館裏でのことを思い浮かべて言っていたが、藍田はどうやら勘違いをしているようだった。


「いや、あの時のことじゃないよ」


 中学三年の秋、屋上。

 俺が振られた時は、藍田はいつもの声色だったと思う。


「そっか」


 藍田は安堵した様子を見せる。

 俺には、そんな態度を取ったと思われたくないだろうか。

 そんな考えが脳裏をよぎったが、今は意識の外へ追いやった。


 藍田をチラリと見る。

 その手には、俺から預かったウォーミングアップ用のボール袋。

 決して軽くはないそれを、藍田は物一つ言わず持ち続けていた。

 藍田は俺の視線には気付かず、続きを話し始めた。


「二人になったときに、つい強めの言葉で振っちゃって。それ以来、あることないこと言いふらされて」

「例えば、どんなの?」


 藍田を真っ向から敵に回すなんて、物怖じしない性格というか、後先考えないというか。

 その心意気は素直に凄いと思った。


「何って……それ聞くの?」

「あ、いや。ごめん、デリカシーなかった」


 慌てて手を振ると、藍田は温和な声で「もう」とだけ言う。

 その姿から、本当の藍田を見つけることのできる人は一体どれほどいるのだろう。

 一ヶ月以上付き合っている俺でさえ、こうして戸惑い続けているというのに。


「だから、あまり長谷川くんのことは信用しないで」


 木々に囲まれた、部活からの帰り道。

 いつもなら響き渡る小鳥のさえずりが、その日は随分と静寂だった。


◇◆◇◆


「……裏でバカにされてた、ね」


 俺は、10の背番号を付けた長谷川の言葉を復唱した。


「そうだよ。そんなことも知らないで、彼氏気取りなんて笑わせんなよな?」


 若干怒気を孕んだその声が、藍田に対しての気持ちがなくなっていないことを物語っている。


「桐生だっけ。お前、知ってるか? 藍田のいつもの顔は表向きのものだって」


 口角を吊り上げて、長谷川は問う。


「あいつ、裏じゃ色んな男引っ掛けて遊んでるクズだぜ。わざと告白されるように振舞って、湧いてきた男を叩きのめすのが趣味なのさ」


 長谷川は肩をすくめてわざとらしくため息を吐く。

 先程の言葉は俺の頭を響き渡っている。


「俺もそれに気がつくまで何度も告白してよ。気付いたときは絶望したね。まあ、そうでもないと何回も振られる俺じゃねーけど」


 そこまで言うと、長谷川は口を閉じた。

 俺の無言が驚愕から来るものだと思っているのか、満足気な表情だ。

 長谷川は最後に俺を一瞥して、背中を向けた。


「待てよ」

「あ?」


 ──長谷川が言ってることは、もしかしたら正しいのかもしれない。

 もしかしたら、長谷川の言う通り藍田は今も俺をバカにしていて。

 もしかしたら、俺は藍田のことをちっとも分かっていないのかもしれない。

 だけど。


「確かにお前は俺が見たことのない藍田を知ってるかもしれないし、本当にあいつから酷いこと言われたのかもしれないけどな」


 人の心なんて、結局は視認できるものじゃない。

 そう、だからこそ。


「俺は、俺が見てきた藍田を信じてみるよ」


 ──それで良い。

 他人から与えられた情報で考察するんじゃなく、自分で決めて判断する。


「……結局何が言いてえんだ?」

「藍田を大して知りもしないお前が、ゴチャゴチャ騙ってんじゃねえよ」


 その言葉に、長谷川の血の気が引くのが分かった。


「振られた言い訳バラまいて、ダサいんだよお前。そんなやつに負けるわけねえ」


 これは、藍田から事前に注意されていたから出た結論じゃない。

 脳裏に浮かんでくるのは、別の顔。

 元気で、口は悪い方だけど、きっと誰よりも友達想いな俺の幼馴染。

 あいつを見て思ったんだ。

 俺もあいつみたいに、自分の芯を持ち続けたいと。


 一ヶ月付き合ってきた藍田を見て、俺は藍田を言うほど悪いやつだとは思えない。

 デートの時や、いつもの帰り道だってそうだ。

 藍田は確かに男をたぶらかせることに長けているかもしれないが、それを誰にでもしていると言ったら違う。


 藍田を信じるんじゃない。

 藍田を悪いやつだと思わない、俺自身を信じる。


 それで仮に藍田が言う通りの女の子だったとしても、俺自身がまだまだ見る目がなかったというだけ。

 そのときはまた成長に繋げる努力をしてみよう。

 他人でなく、自分を信じれば、もうあの時みたいに動揺することなんてないだろう。


 少なくとも、長谷川赤の他人に気付かされることじゃない。


 怒り沸騰の長谷川を横目に、俺はチームメイトのいる方へ向かった。


 足取りは軽い。

 今日の試合に勝たなければいけない理由が、また一つ増えた。

 あいつには負けられない。

 そんな単純な理由だけなのに、2Q目までの疲れはどこかへ吹き飛んでいた。

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