第28話 藍田を知るもの

「調子良いみたいじゃない」


 ボトルに入れたスポーツドリンクを飲んでいると、理奈がおもむろに声をかけてきた。

 大会が始まってから二週間。

 北高男子バスケット部は、明日には準々決勝を控えている。

 つまり、明日勝つことができれば北高は目標のベスト4に食い込むことができるということ。


「まあな」

「ふうん、なんか完全に吹っ切れた感じね」


 理奈は首に巻いたタオルで額を拭いながら、安心したように呟いた。


「よかった」

「うん。迷惑かけたな」

「ほんとよ。こりゃランチ奢ってもらわないと」

「お前ってほんとそればっかだな……まあ、ありがとうとは思ってるけどさ」


 ドリンクを飲み干すと、体育館ステージの上にボトルを置く。

 ふと目線を下げると、地区大会の予選表が落ちていた。

 一回戦で当たった南嶋高には、78-43でダブルスコアに近い大勝。

 続く二回戦、三回戦も勝ち、次の四回戦に勝てば準決勝というところまできていることが記されていた。


「一回戦の試合何点決めたんだっけ?」


 理奈も同じように紙を見て、質問してきた。


「40点以上かな」

「やりおる」


 理奈はこめかみに手を当てて唸る。


「私は今大会最高でも36……やっぱり得点力だとまだまだね」


 そう言って理奈は少し悔しそうに唇を噛んだが、女バスは元々の実力が県大会レベルのため理奈にボールを集める必要がない。

 そんな中で36点なのだから、実質的な価値では理奈の方が上だろう。


「女バスの調子はどうなのよ」

「そうね、いい感じよ。伊達にインターハイを目標にしてないわ」

「次の相手はどこなの?」

「それは……」


 そんな話をしていると、聞き慣れた声が会話に割り込んできた。藍田だ。


「陽介くん」

「ん?」

「次の相手、陽介くんが……」


 その言葉を聞き切る前に、違和感があった。


「ちょっと待って、陽介くんって」


 藍田には中学で知り合ってからずっと「桐生くん」と呼ばれていた。

 普段、理奈以外に下の名前で呼ばれることなんてほとんどない俺にはそれを黙って受け入れるのは難しい話だ。

 だが藍田は何を言われているのか分からない、という表情で首を傾げている。


「……名前」


 理奈は目を細めて呟いた。


「香坂さん」


 声をかけられて初めて、藍田は香坂に気付いたようだった。そのフリをしているのかは、分からないが。

 理奈も同じことを思ったらしく、眉を潜めて口を開いた。


「仲良くやってるみたいね?」

「うん。仲良くしてるよ」

「ふうん。それをほんとに言ってんなら、別にいいんだけどね」


 理奈は不機嫌に息を吐くと、言葉を続けた。


「私も陽も、大会に集中したいし。今は構ってあげないから」

 その言葉に、藍田は首を捻った。


「私、そんなこと頼んだかな」

「言動がそうなのよ。陽の反応からして、あんたこの場で初めて名前呼んだんでしょ」

「たまたまよ。私、香坂さんがいるって気付かなかった」

「あー……そう」


 相手にするだけ無駄、と言う様に理奈は首を振る。


「……ま、陽。明日も頑張んなさい」


 そう言葉を残して、理奈は女バスコートに戻って行った。


「……ほんと、何でわざわざ理奈の前で名前呼んだりしたんだよ」

「……違うの」


 俺が攻める様な口調で言うと、藍田は珍しく目を逸らした。


「ちょうど人影に隠れてて、ほんとに見えなかったの。……まあチラッとは見えたけど、それが香坂さんとは思わなかった」

「そんなことある?」


 俺が訝しむと、藍田は少し俯いた。

 だがそれも一瞬のことで、顔を上げた藍田はいつもの様に笑っていた。


「ま、どっちでもいいか。そんなことよりさ」

「な、なんだよ」

「名前で呼んでもいい?」

「事後確認か。俺はできれば……やめてほしいけど。選択肢ないなら好きにしてくれ」

「ふうん。そっか」


 藍田は少し逡巡した様子を見せたが、やがて微笑んだ。


「じゃあ、いつものままでいい」

「え、そっか」


 意外な返答に拍子抜けする。名前呼びもこのまま続けられると思っていたのだが。


「じゃあまた帰り道でね、桐生くん」

「おい、結局何の用事だったんだよ」

「明日の試合のこと。また後ででいいや」


 くるりと背を向けると、藍田は他の選手の所へ歩いていった。するとあっという間に他の選手たちで周りを囲まれた。

 そんな様子から視線を外して天井を見上げる。

 何とも言えない違和感が、胸の中で燻っていた。


◇◆◇◆


 バスケットコートのセンターラインに、北高選手と又東高の両選手が整列した。

 地区大会四回戦、準々決勝。

 既に例年の北高では進出できないところまで進んでおり、その事実にチームはますます活気付いている。

 又東高の面々に油断の色は見えない。

 この大会において、もはや北高を弱小校と認識する高校は少なくなっているだろう。


「あれ、高野中の9番?」


 皆んなが整列し終わった際、俺の正面にいた選手が唐突に口を開けた。高野中は、俺がいた中学の名前だった。

 久しぶりに聞いたその名前を噛みしめる暇もなく、正面にいる選手は問いかけてくる。


「ええ、お前って北高行ったんだ。推薦とかこなかったの?」


 そこまで言うと、審判は厳格な目でたしなめた。

 だが、その選手はそれを無視して続ける。


「それで藍田と同じチームかよ……フラれたくせに、女々しいこって」

「はあ?」


 思わず眉間に皺を寄せて反応する。


「君、整列中は話さないで」


 審判が注意すると、10を背番号に付けたその選手はニヤリと笑って口を閉じた。


「なに言ってんの? 桐生今、藍田さんと付き合ってるけど」


 横から聞こえた声の方を見ると、タツがムッとした様子で10番を睨んでいる。


「女々しいのも、お前だろ。嫉妬すんのはいーけど、いちいち言葉に出すなよな」

「んだと……!」

「君たち、いい加減にしなさい。試合が始まってなければ、君たちにテクニカルファールを出すところだ」


 審判の言葉で、二人は押し黙る。

 喧嘩を売ってきた10番への怒りもあったが、今はそれ以上にタツの言葉を嬉しく思う。

 感謝の気持ちを込めて視線を投げると、タツは白い歯を見せてくれた。


◇◆


 第2Qクォーター目、残り数秒。

 開始19分で36-18と、北高は又東高に対し既に20点近い点差をつけていた。


 攻撃は最大の防御という言葉があるが、それはバスケにも言えることだ。北高の選手がボールを持つ間、相手はディフェンスに徹するしかない。

 当たり前の話だが、北高がオフェンスに徹している間は自陣を攻められることがないのだ。だから、北高の方針はボールを失わないこと。

 24秒という限られたオフェンスタイムを最大限に活かし、隙を見てシュートを放つ。


 ──それが、かつての北高が取っていた方針。


「桐生!」


 清水主将からロングパスが放たれる。ディフェンスの上を通ったボールが、俺の掌に収まった。

 センターラインを越えた、ちょうど相手陣に入った場所でパスを受け取った俺は、勢いに身を任せてボールをバウンドさせる。


 今の北高は、僅かでも隙が見えたら速攻を仕掛ける。オフェンスのスキルが高いとは言えない北高が堅実な攻めのみしかしなければ、得点力が下がるのは当たり前だ。

 それでいてディフェンスも強くはないのだから、今まで試合に勝てなかったのも頷ける。

 だが今は、速攻に次ぐ速攻。

 そしてそのボールは大抵、ディフェンスを振り切って手を上げる俺の元へ届いていた。


 前方にはディフェンス二人。左サイドには味方が二人。

 ──数で押せる。

 だが。


「そのまま行け、桐生!」


 タツの声が聞こえる。

 その時は既に、俺は身を屈めてディフェンスを抜き去る体勢に入っていた。


 ディフェンスは俺が突っ込んでくるの見るや、パスコースを減らす動きを捨てて完全に俺を止める姿勢に入る。


 それでも尚、俺はスピードを緩めずに床を蹴った。

 ディフェンス二人は間を破られないように固まり、もしぶつかればオフェンスファールとなって相手ボールになるだろう。

 だが、相手のディフェンスは鈍い。

 少なくとも、いつも俺と1on1をしていたあいつに比べれば。


 俺が急ブレーキをかけ、身を翻して方向転換をすると、緩急に惑わされたディフェンスは簡単にちぎれた。


「うし!」


 邪魔なディフェンスがいなくなったゴールに、最後は流れるようにレイアップを決める。同時に、第2Qの終了を知らせるブザーが鳴った。


「9番、今日何得点目だよ!」

「地区大会のスピードじゃねえぞあれ!」


 コートのすぐそばにある来客用のベンチから歓声が聞こえる。


 北高ベンチを見ると、藍田や戸松先輩をはじめとするチームメイトが手を振っていた。

 俺が手を振り返すと、マネージャーの二人はにっこりと笑って荷物を片付け始める。

 第2Qと第3Qの間にはハーフタイムがあり、その時間は次の試合をする高校がウォーミングアップでコートを使うことになっている。

 そのため両校のベンチはハーフタイムの間は一旦外に出なければならない。

 俺もみんなに続こうと、北高ベンチに足を向けた。


「くっそ、お前……」


 振り返ると、試合前に嫌味を言ってきた又東高の10番。息を散々に乱して顔を歪めていた。


「調子乗んなよ、良い気になりやがって……」

「お前、まだ目の敵にしてんのかよ」


 うんざりとした声で言うと、10番は舌打ちをする。


「付き合ってるんだって? 藍田と」

「はあ? またそれかよ」


 試合で高揚している時に、随分と癪に触る。

 ハーフタイムでも、今はバスケの試合中だ。そんな話はこのコート内でしたくなかった。


「ほんとに付き合ってるのか?」

「うるさいな、関係ないだろお前には」


 俺は気怠げに返事をして、今度こそベンチに向かう。

 その言葉に10番は歯ぎしりをして、吐き捨てた。


「ずっと影で、藍田に馬鹿にされてるんだろうな。どうせお前も騙されてんだろ」


 その声には僅かな悔しさと、確かな嘲りの色が入っていた。

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