第26話 地区大会前日

「桐生最近、パスするの増えたよな」


 大会前日の放課後練習が終わり、体育館の床をモップをかけていると、金髪を揺らしてタツがにこやかな笑顔で話しかけてきた。

 今日は今までしてきた練習の最終確認のみだったので、息が上がっている部員はほとんどいない。

 タツもその例に漏れず額や腕にうっすらと汗を浮かべているものの、その表情にはいくらか余裕がある。


「あれか、心変わりってやつか」


 モップの取手に体重を預けて、タツは質問した。


「なんだそれ」


 俺がモップがけを一時中断して顔を上げると、タツは肩をすくめる。


「気付いてないかもしれないけど、最近藍田さんお前のプレー見てもつまらなさそうだぞ? お前がボール持つと一瞬顔明るくなるけど、パスすると暗くなる」

「……なんでだろな」


 再びモップを動かす。

 練習で重くなった腕に力を入れて、体育館床の埃を取り除いていく。

 タツと横並びで動かしていたモップを方向転換させて、手薄になりそうな箇所を念入りに掃除する。


「いや、俺は知らないけど。まああれだ、試合に勝つのも大切だけど、彼女にも良いとこ見せようぜ」

「それで負けたらどーすんだよ」

「負けなかったらいいじゃん」


「だろ?」と親指を立てるタツに、思わず盛大に溜息を吐いた。


「ていうかさ、お前もだよ桐生。今バスケやってて、楽しいのか?」

「え?」


 先週理奈に言われたことを思い出す。


『男バスが好きなんでしょ、中学の時と違ってさ。……大切にしなよ、新しい居場所』


 あいつは夕陽に煌々と照らされた横顔で、そう言った。

 レギュラー争いで殺伐とした雰囲気もあった中学。

 その中でもずば抜けた実力を持っていた俺も、最後の大会では──

 ……対して、今の部活は居心地がいい。

 藍田との一件もあったけど、それを踏まえてもお釣りがくるくらいだ。

 部活に入った当初は、体育のバスケのようだ、なんて感想を持った。地区大会で優勝、県大会、ましてその先のことなんて考えたこともなかった。

 だけど。

 このチームで、上に行ってみたい。

 そんな想いが生まれ始めた今、俺はチームのために何ができるんだろう。

 楽しさなんて、求めてもいいんだろうか。

 藍田のことがプレーに影響してたのは不甲斐ない話だ。

 今では身体にキレが戻って、いつも通りのプレーもできているように思える。

 でも果たして、それだけで上に進めるのか?


 俺が中学の頃過度な自信を持っていたのは、自分がシックスマンとして試合に出場するたびに良い方に流れが変わっていたからだ。

 今になって思えば、見栄えの良い個人技で味方を盛り上げていたりしていたのかもしれない。

 だがそれで流れが変わるのは、俺だけでなくチームメイトにも確かな実力があったから。

 ボールを確実に敵陣に運び、俺がボールを欲しいタイミングでパスをくれていたからこそ、俺のプレーが成立していた。

 周りのお陰で、俺が調子に乗れていたのだ。

 そして今も、周りのお陰で楽しく部活の時間を過ごせている。

 ……こんな簡単なことに気付くのにも、随分と時間がかかったな。


「楽しんで勝てれば一番だよなー」


 一足先にモップ掛けを終わらせたタツの声色は、心底明日の試合を楽しみにしているようだった。


 ◇◆


「順調に勝ち進めば、最初の山場は準々決勝かな」


 藍田は手を顎に当て、眉をひそめてそう言った。

 練習を終えた帰り、北高から街への下り道。木々に囲まれた小道を、俺は藍田と二人で歩いている。


「県大会常連さんか。準々か、まあ当たるとしたらそこらへんだよな」

「決勝だったら良かったんだけどね……」

「まあ他にも常連校はあるし、決勝まで当たらない組み合わせなんてないだろ」

「だねー……。ていうか桐生くん、それ重い?」

「ん?」


 藍田の視線を辿ると、バスケットボールが六つほど入った手提げ鞄をぶら下がっている。

 試合が始まる前のウォーミングアップで使うボールだ。

 練習が終わった直後、そのボールを試合会場にまで持っていく人をジャンケンで決めた。

 三人が負けとなるそのジャンケンで、俺は見事一発目でボール運びを引き当てたのだ。


「いや、重くないよ。……まあ余計な荷物でズッシリする感じは否めないけど。野球ボール六つとかなら軽かったのにな」

「ふふ、持っていってどうするのそれ」


 藍田は曇りのない笑顔で言う。

 今までは練習に手がつかなくなるほど意識したのに、ここ数日で急に上手く話せるようになった。

 性格に多少の裏表はあれど、こっちが特に意識して話をしなければ藍田も同じような雰囲気で返事をしてくれるからかもしれない。


「貸してみて」


 その声が聞こえた時にはもう、ボールを入れた鞄はヒョイと藍田に取り上げられていた。


「おい、なにしてんの」


 藍田はそんな俺の反応を見て、柔和な表情を見せた。


「なにって、私が代わりに持ってあげようかなって。明日試合だし、少しでも負担がかからないように」

「いや、女子に持たせられるかっての」

「マネージャーとして、桐生くんに持たせたくないの。だめ?」

「うっ」


 そこまで言われると、ここで食い下がるのも逆に駄目な気がしてくる。


「ありがとう」と言うと、藍田は首を振った。当然のことと言いたげだった。

 マネージャーとしてか、それとも彼女としてかは分からないが。


 結局藍田に荷物を持ってもらい、俺たちは歩を進めた。

 学校から下校、ではなく下山であるため、まだ陽が落ち切っていないにも関わらず辺りは静かだ。

 荷物を持ってから藍田はあまり話さない。やはりこちらが持とうかと手を伸ばすと、首を振って断られる。

 静寂は気まずいものではなく、少し心地いい。

 だが、ふと気になったことがあって口を開くことにした。


「藍田ってなんで男バスにいるの?」

「ん? ……うーん」


 急にどうしたの、などという反応は見せずに藍田はすんなりと質問について考えている。

 それが少し意外に思えて、頭を掻いた。


「私、バスケはほんとに好きなの。中でも、桐生くんのプレーは大好き」


 藍田は片手でシュートを打つ仕草を見せる。

 細く白めの腕が、周りの木々と相まってとても綺麗だ。

 その仕草だけで、藍田は本当にバスケが好きなんだなと分かった。その仕草に、見せかけだけでないものを感じたからだ。


「一人でほとんどの得点を奪って、見ていて痛快だった。痺れるって、ああいうことを言うのかなあって」


 変わらず柔和な微笑みを浮かべる藍田から、俺は目を逸らした。


「だから桐生くんが男バス入ってくれて、ほんとに嬉しい。桐生くん自体も、昔から結構好きだったし」

「そっか」

「桐生くんはどう? 私が男バスにいて、なにか──」

「やめろよ、またからかってんのか」


 藍田の言葉を遮った。

 それまで心地良かった空間に、ずれが生じた気がした。

 先日のデートや普段の生活で、藍田には裏表があっても、変わらず良いやつなんだと思っている自分もいる。

 でもやっぱり、こういった話をされると警戒してしまう。

 ……そこも含めて、大会が終わったら藍田と少し話をしてみたい。

 以前藍田が言った「学校生活を壊すこともできる」という言葉は、出来るというだけだ。

 たまに見え隠れする裏の藍田であっても、そこまでするとは少し考えられない。

 あの時は、ただ藍田が今まで俺が知っていた藍田ではなかったということにショックを受けて過剰に反応していただけだろう。

 だから多分、大丈夫。上手く話せると思う。


「……今のは本心だったんだけどな。まぁ、そう思われても仕方ないよね」


 少しだけ悲しげな声色が横から聞こえた。

 でも俺にはその声色だけで、藍田の感情を推し量ることは難しかった。

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