第15話 藍田 奏
「それじゃ、十分休憩挟んでから真ん中のゴールエリアで続きだからね」
藍田は何事もなかったかのように、ボールをこちらに寄越した。
「藍田」
「どうしたの?」
「その、悪いな。理奈があんな態度取っちゃってさ」
今はここにいない、幼馴染がとった態度について謝る。
さすがに先ほどの対応はどうだろうか、と思ってしまった。
「なんで桐生くんが謝るの? 私気にしてないよ」
藍田は首を傾げて「変な桐生くん」とクスクス笑う。
その姿が妙に艶めかしく感じて目を逸らす。
「いや、まあ幼馴染が言ったことは俺の責任でもあるっていうかさ」
頭を掻きながらそう言うと、藍田は少しだけ俯いた。
「よく分かんない、その感覚」
「え?」
訊き返すと、藍田は首を振る。
「じゃ、私ちょっとだけ抜けるから」
「……用事か?」
「そう、ちょっと呼び出されちゃって」
藍田の表情は読めないが、1on1大会を抜かなければいけないくらいの用事なようだった。
「わかった、また後でな」
「うん、また」
藍田はひらひらと手を振ると、体育館から出て行く。
初めて見る藍田の表情に、俺は内心戸惑っていた。
◇◆
「次が陽の番かな?」
休憩中体育館ステージに腰掛けていると、練習着姿の理奈が隣に跳んできた。
コートとステージは胸の高さほどの段差。
階段を使わずにステージに上がるには、手に体重を乗せて跳ぶのが普通だ。
それにも関わらず、手も使わずに跳んできた理奈には舌を巻く。
女子の中でそれができる人は滅多にいないだろうが、今に始まったことなので褒めない。いちいち褒めていてはキリがない。
「理奈、おまえ練習抜けてきたのか? 休憩にしては早すぎだろ」
「ちょっと用事があってね、先輩には許可貰ってるわ」
理奈は首に巻いたタオルで汗を拭きながら答えた。
「さっきの質問だけど、あんたは次だよね?」
「ん? まあな、今は男バスが休憩中だけど」
「ふーん。まああんたが勝つんだろうけど、できたら観戦しとくわね」
「いらねえよ、勝つんだから」
「そんなこと言ってタツくんに負けたりしてね」
確かに、タツは最近メキメキと上達している。
副主将にいつも付きっ切りで練習を見てもらっているのもあって、タツの運動神経は完全にバスケの型にハマるようになった。
ハンド部で元々スタメンだったのこともあってか、この調子でいけば次の試合にはスタメンとして出るんじゃないかというほどだ。
「タツくん、ディフェンスだけならもう陽の中学レベルはあるんじゃない? 才能あるわよ」
「それでも今の時期から負けてたら、ずっとバスケし続けてる俺の立つ瀬がないって」
それを聞くと理奈は軽快に笑い飛ばした。
「あっはは、確かにね! あんたそういうところプライド高いしなあ」
「えー俺プライド高いかな?」
「高いんじゃない? まあ、私がそう思うだけだけど」
理奈がそう思うなら、きっとそうなんだろうと感じてしまう。
自覚はあったが、自分以外の人から改めて言われると何だか複雑な気持ちになる。
「じゃあ、1on1始まったら見に来るわね。ちょっと私今から用事あるから」
「用事? 練習着でか?」
「細かいことはいーの、じゃね」
そう言うと理奈は飛び降りて、体育館の外へと消えて行った。
ふと横を見ると、首に巻いていたタオルがそのまま置かれている。
「ったく……」
また理奈が戻ってきたときに渡せばいいとも考えたが、男バスのコートを横切って戻ってくるのは手間だろう。
コート横切って俺の元へ来たのだろうし、そんな心配は十中八九
だが昨日の飯の恩もあることだし、今日のところは親切に届けることにした。
◇◆
体育館から出ると、運動場や校舎とある程度距離があるということもあり、人気はほとんどなかった。
遠くに理奈の後ろ姿を認めると追いかける。
すると艶のある黒髪が目に入った。藍田だ。
こんなところで偶然鉢合わせたのだろうか。
「香坂さん」
「ごめんね、こんなところに呼び出しちゃって」
少し嫌な予感がした。
普段から仲が良いとは言えないこの二人が、こんな人気のない場所で何を話すというのか。
「あんたさ。昨日陽に何言ったの?」
自分の名前が出てきて思わず身を隠す。
昨日? 猫公園でのことか?
「何も言ってないわ」
「そう。隠すくらいのことってわけね」
「言いがかりよ」
「そうかしら」
今日の二人の雰囲気はいつもよりおかしい。
そもそも理奈と藍田が二人きりで話しているところを見るのも初めてだが、二人は昔からからこんなに険悪な雰囲気だったのか?
今まで二人がどのように話していたのか、俺は全く知らない。
「話ってそんなことなの?」
「そう。あなたにとってはそんなこと、なのね」
自分の鈍感さに目眩がする。
いつも俺がいるときは二人共一歩引いた接し方をしていたこともあり、仲が良くないことに関して、殆ど気に留めていなかった。
人間、どうしても合わない人はいるだろうと思っていた。
だがこの二人はどうやら合わない程度では済まない。
理奈が藍田を良く思っていないことは知っていたが、体育館裏に呼び出してまで話をつけようとするほどだったとは。
そして藍田もそれに呼応するように、言葉を発するごとに冷めた表情になっていく。
「そもそも、それって香坂さんに関係あることなの?」
藍田の質問に、理奈の身体がピクッと動いた。
「香坂さんと桐生くんって確か幼馴染、だったよね」
「……なにが言いたいの」
「もしかして、彼の周りに女子がいるのが気にくわないだけなんじゃないの?」
藍田の言葉に棘のあるものを感じたのは、出会ってから初めてのことだった。
しかも藍田が、俺と理奈の関係を今しがた放った言葉通りに考えてるとは思えない。
友達に「恋人か」などとからかわれる度に俺が否定していることも、藍田は知っているはずだ。
だが、それを踏まえた上で言っているのだとしたら。
挑発しているのか? あの藍田が?
根拠も何もない、憶測ばかりが頭に浮かぶ。
「私の幼馴染が、誰を好きになろうが知ったことじゃないけどね」
理奈の声色に静かな熱気が帯びていく。
「あなただけは別よ。"高嶺の花"なんてあだ名に隠れて、あなたは──」
「香坂さん。人に在らぬ噂を押し付けるのは良くないって、これは昔あなたに言われたことだと思うのだけど」
「私はあの場にいたのよ!!」
──限界だ。
「お前ら、何喧嘩してるんだ!」
俺は思わず飛び出していた。
二人の仲に亀裂が入るのを止めたかったから?
違う。
ただ俺が、聞きたくなかっただけだ。
理奈が紡ぎ出すその言葉は、聞いてはいけない気がしたのだ。
「陽……!?」
「桐生くん」
二人は驚いた様子で目を見張る。
「二人とも、何でそんなに揉めてるんだよ」
自分の声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
ガラス越しに響くような声を自分のものだと認識するのに数秒かかる。
何で、なんてことは今の会話を聞いていたら分かることだ。
だけど。
ここで二人がいつものような関係のように振る舞うなら、今の会話は聞かなかったことにしたかった。忘れたかった。自分の知っている関係のままで、いてほしかった。
「何って……」
答えあぐねる理奈とは対照的に、藍田はサラリと口を開いた。
「桐生くんの話」
「俺の……話」
馬鹿みたいにおうむ返しをする。
藍田なら必ず誤魔化すだろうと踏んでいたのに。
「そう。香坂さんは、私が桐生くんに何か酷いことしたって言ってるんだけど」
藍田は俺の方へ向き直って、静かに口を開いた。
「私、何か言った?」
藍田は微笑む。いつもの様に、不自然なほど自然に。
「な、何言ってるんだよ。酷いことなんて言われてないぞ、俺」
ああ、言われていないとも。
あれは俺が勝手に落ち込んだだけだ。藍田にそんな意図はなかったはずだ。
──どんな意図?
解らない。解りたくない。
「……やめなさい」
「……なに?」
「あんたは何もしてないわ。今のは、私の勘違いね」
そこまで言うと理奈は深呼吸する。
「悪かったわね、藍田さん! 変なこと言っちゃってさ」
そして理奈はにっこりと笑った。だが俺には判っていた。
理奈が俺の異変に気付くように、俺にだって理奈のことが判るのだ。
──少なくとも、その笑顔が偽物だってことくらいは。
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