第16話 妖艶な笑み

「タオル届けに来てくれたのね。珍しく良いところあるじゃない」


 理奈はそう言うと、俺の手からタオルを受け取った。


「ありがとね」

「お、おう。……それはいいんだけど」


 藍田、いつもと違わないか?

 そう訊いて少しでもこの動揺を治めたい。

 だが理奈はこれで話は終わりだと言う様に、張り付けたような笑顔を俺に向けた。


「また後でね。それと、今日一緒に帰りたいから校門で待ってて」


 話を切り上げようとする理奈に、思わず待ったをかけたくなる。

 そんな様子が伝わったのか、理奈の淡茶色の瞳が迷うように揺れた。


「香坂さん、そろそろ行かないと怒られるんじゃないの?」


 横から藍田の無機質な声が入る。今までの声質と同じなのに、藍田の声を使って誰かがアテレコしたような違和感があった。


「そうね、ありがとう」


 理奈は短く息を吐くと、俺の横を通り過ぎてそのまま体育館に戻って行った。


『気を付けて』


 理奈の瞳はそう忠告しているように感じられた。

 俺の勘違いかもしれない。

 だがもし俺が感じた通りだとしたら、俺をこの場に残すのはどういう了見だろう。

 忠告するような目をするくらいなら、無理やりにでも俺を連れて行けば──。

 そこまで思考を巡らすと首を振る。

 理奈に頼りすぎだろ、俺。

 別に俺と藍田は仲が悪いわけではない。

 むしろ、部室で言われたようにタツ達に仲が良いとからかわれたばかりだ。

 藍田はいつもと違うかもしれないが、俺がいつもの様に振る舞えば何もない心配することはないはずだ。

 何の心配かは分からない。だが理奈の態度を見る限り、何かがあるのだろう。

 理奈は普段はふざけることが多いが、こんな時にふざけるほどじゃない。


「……れたわ」

「え?」

「疲れたわ。こんな練習時間に呼び出しておいて、何のつもりなのやら」


 振り返ると藍田は、額に手を当てて目を閉じていた。

 やはりいつもと違う。理奈がいなくなったらいつもと同じ柔和な笑みを浮かべると期待していた。

 そしたらもう一回理奈のことを謝って、この件をうやむやにしてしまおうと心の何処かで思っていた。

 だがこれは。


「昔から、本当に煩わしいったら」


 心から吐露するように、髪を乱暴に払う目の前の藍田は。


「猫……被ってたのか?」

「え?」


 思わず出た質問を何とか飲み込んで戻せないかと口を開閉させた。

 藍田はその質問が意外だと言うようにキョトンとしている。


「ふふっ、桐生くんさ」


 手櫛を止めて、藍田はその手をこちらに伸ばす。

 人形のように華奢な手が、俺の胸に当てられた。


「本当に嘘がつけないんだね。かわいいなあ」

「なっ」


 咄嗟に距離をとると、藍田は困ったような顔をした。


「そこまで警戒されるとちょっと傷つくかも。長い付き合いなのに」


 長い付き合い? 長い付き合いだって?

 違う。今の藍田は知らない。

 髪を梳かす仕草は荒く、思慮深く大きな二重の目は少し細くなり。

 柔らかった声も表情も、今では冷たさを感じる。  それが俺に向けられているものなのか、理奈に向けられていたものなのかは分からないが。


「まあ、無理もないか。香坂さんとのやり取り見てたんでしょ?」

「いや……」

「いいからいいから、その顔見たら分かっちゃうし」


 全く気にしていないからと笑う仕草一つ取っても、俺が今まで話してきた藍田とは違うものだ。


「私は私よ、何も変わらないから。香坂さんと話すと、たまに自分に正直になっちゃうだけなの」


 藍田は唄うみたいに説明する。


「何で理奈と、仲悪いんだよ。ずっと気になってた」

「桐生くんがそれを言うの?」


 藍田は口に手を当ててクスクスと笑う。

 その言葉で確信してしまう。

 薄々は気づいていた。

 だがそれを自覚してしまうと、何だか自意識過剰のに思えてしまいそうで嫌だったから、気付かないようにしていたが。


「俺のせいか?」

「そうかもしれないね」


 それが全てではないけど、と藍田は続ける。


「でも気に病むことはないわ。私たち、中学の頃から仲悪いもの。周りには知られてないだけで」

「昔から……?」

「そう。知られると周りが騒ぎ立てて面倒だから、なるべく話さないようにしようって昔話し合ったの」


 まあそんなことはまた香坂さんに聞いておいて、と藍田は面倒そうに溜息を吐いた。


「それで、ここからはお願いなんだけど」

「……なんだ」

「今日見たこと、聞いたことは他人には言わないで。私だけじゃなくて、香坂さんも面倒なことになるわ」

「い、言わないよ」


 俺だけでなく、理奈にもリスクがあるのなら迷う余地はない。


「うん、信用はしてる」


 それにこんなこと、言っても信じてもらえるかどうか。

 例え信じて貰えても、その暴露は俺にとって利益がない。むしろ藍田から嫌われることになるだろう。

 ……未だに藍田に好かれることを考えてしまうのは、頭が混乱しているからだろうか。

 そんな時、ずっと疑問に思っていたことがふと頭に降ってきた。


「だから……藍田のことを知らなかったから、あの時」


 振ったのか?

 今でもたまに夢に見る、屋上での告白。

 全てを言葉に出さずとも、藍田には伝わったようだった。


「そうだね。それもあったかな」


 あっさり認める。

 ──なんだ、そうか。

 心に引っ掛かっていた何かが外れる音がした。

 なんで俺が振られたんだろうという、女々しくも感じられずにはいられなかった気持ち。

 多分そんな気持ちが、ずっと何処かでつかえていたのだろう。

 あの時は他の人より藍田のことを分かっているという自信から告白したが。

 何のことはない、俺も藍田のことを解っていなかったのか。


「なんだ、だから振られたのか」


 これならいっそ清々しい気持ちだ。


「でも、ちょっと後悔したよ。私、よく話す人から告白されたのはあの時が初めてだったから」


 かつて別の中学だった時「友達から告白されたら嬉しいんだけど」と言っていたことを思い出す。

 そうだ、あの言葉で俺は。


「あんな思わせぶりな言葉かけられたら、誰だって好きになるわ」


 その言葉に初めて藍田は申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。比較的素の部分を見せられるのが、桐生くんだけだったから」

「いいよ、今更。昔の俺なら、他意がない言葉だと分かってても多分惚れてたよ」

「そっか」


 ここまで腹を割って話せたのは、多分中学以来だ。

 どこか懐かしい感覚を覚え、噛みしめた。


「でもね、今ならいいかなと思ってるの」

「……またそういう態度取る。いいよもう」


 そういうのはもう、ウンザリだ。

 思わせぶりな態度にいちいち振り回させるなんて、藍田にも自分にも腹が立ってしまう。


「今度は違うよ」


 藍田は後ろに回り俺の肩に手をかけた。


「桐生くん、まだ私のこと特別に見てるみたいだし」

「それは……」


 当たり前だ。少なくとも俺の中では。

 人生で初めて告白した相手を特別視しないなんて、無理だ。

 再び華奢な右手が胸に当てられる。


「ほら、ドキドキしてる」

「こんな近くに来られたら誰だってそうなるって!」

「香坂さんに、こんなにドキドキすることある?」


 そんなこと、分からない。朝起こしに来られた時はもっと動機が激しかった気がするし、今より全然マシだった気もする。


「私なら、桐生くんをもっとドキドキさせてあげられる」

「何が言いたいんだ?」

「わからない?」


 妖麗な笑みが、答えは一つだと言っているようだった。


「付き合おう? 私たち」


 艶やかな声が、俺の心を溶かしていくようだった。

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