第13話 理奈の晩御飯

「陽、ご飯できたよー!」


 下から聞こえた理奈の呼び声に身体を起こす。

 一人になるとどうしても猫公園のことを考えてしまうので、今はこの呼び声に縋るような気持ちだ。

 階段を降りていくと、意外にも良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 食卓に視線をやると、普段より大きめの皿に盛られたカレーが三つ並べてあった。


「おっ陽介! 見てみて、理奈ちゃんのカレー!すごく美味しそう、こんなの私でも作らないよ!」


 聡美がカレーを指差してはしゃぐ。


「適当言うな、姉貴は料理自体できないだろうが」


 聡美の言葉にそう返しながらも、腹の虫が暴れているのを感じた。


「ほら陽、こっちの席に座って」


 理奈はそう言いながら俺の定位置の隣を指す。

 俺がいつも座っている席にはいつも通り理奈が占有していたが、今日は文句も言うまい。

 代わりに晩御飯を作ってくれたのだ。

 美味しいそうな匂いもしているし、今日のところは大抵のいたずらをされても許してやれる自信がある。

 大人しく理奈の隣に座ると、手を合わせる。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 早速スプーンを口の中に運ぶと、思わず手が止まった。


「……どーよ、成長したでしょ」


 理奈は隣の席から頬杖をついてニヤニヤしてくる。

 ……美味い。悔しいが美味い。

 メニューこそ簡単なカレーなものの、レトルトには出せないコクやまろみ、少しのスパイスが舌を刺激する。


「うお、ほんとに美味いぞコレ」

「やばいめっちゃ美味い」


 俺と聡美の声が同時に飛び出す。


「ふふふ、でしょー」


 理奈はスプーンを片手に持っているものの、俺と聡美の反応を見るのに忙しいようで自分のカレーには全く手をつけていない。

 自分のカレーも食えよ、と言いたいところだが本当に嬉しそうに笑うので困ってしまう。


「うお、肉がたくさんだ!」

「陽は肉好きだと思って」


 俺の反応に満足したのか、理奈はやっとスプーンを動かし始めた。


「昔はあんなに不味かったのになあ」


 しみじみと言うと、聡美も同意する。


「だよねー、あんなに全部焦がすのって逆に芸術というかさ」


 キッチンを燃やしかけるアンタよりマシだけどな。

 口の中に肉を運びながら心の中でツッコむ。

 カレーを全て食べ終わると腹はすっかり一杯になっていた。

 すっかり重くなった身体を椅子の背もたれに預ける。



「ふぃー、いやまじで美味かったわ。ごちそうさま」

「ほんと? 作った甲斐があったわ。これでちょっとは見直してくれた?」


 理奈はニヤニヤして訊いてくる。

 いつもならはぐらかすところだが、今日は素直に答えることにした。


「ああ、見直した。また母さんがいない時に来てくれたら助かるわ」

「そ、そっか。まあ、また時間があったらね」


 俺が素直に褒めたのが意外とでも言うように、理奈は落ち着かない様子で返事をした。

 そうは言っても、理奈の表情は嬉しそうだ。

 たまには素直に感謝するのも悪くないかもしれない。

 聡美が皿洗いでキッチン前に立つと、理奈は俺の隣に移動して、こっそりと訊いた。


「何かあったんでしょ?」

「え?」


 理奈の唐突な問いに驚く。

 聡美に気付かれたことといい、この二人はエスパーか何かかと思わず疑ってしまう。


「陽が机に小説積み上げてるの、久しぶりに見たわ」

「そんなもん、昔もやってたろ」

「ダウト。いつもなら本棚から読み終わった本と一冊ずつ交換するもんね」


 言われてみればそうかも、と思わず考え込む。


「まあ何があったか知らないけどさ、大方藍田さんのことでしょ?」


 図星をつかれて、思わず押し黙った。


「……まあ、私はどっちでもいいんだけどね」

「……じゃあ訊くなよな」

「でもあんた、藍田さんのことになったらすぐ一喜一憂してそうだし」

「中学の頃とはもう違うよ」


 ──そうだ。

 あの頃とは、もう違う。

 中学の時は、確かに藍田が好きだった。

 だが今藍田のことが好きなのか、と聞かれればそれは多分違う。

 そもそも好きって何なんだろうか。

 可愛い女子と付き合いたい、あの子が気になる。

 高嶺の花と呼ばれている藍田と付き合いたくない男子なんて、ほとんどいないだろう。

 だがそんな曖昧な気持ちを好きと言ってしまっていいのか。

 恋愛なんて人の数だけ価値観も違うなんてことは分かっているが、少なくとも俺はそれを好きという感情だと思わない。

 胸焦がれたあの日のような気持ちを好きというのだったら、俺は今好きな人はいないと思う。

 確かに藍田の言葉で心が踊ったり、今みたいにクヨクヨ悩んだりもするが、それは昔好きだったからだ。

 振られた、というだけで藍田は俺の中で特別な存在なのだ。

 ──だとしたら。

 たまに藍田のことを夢に見るのは、どうなんだろう。

 戻りたい、ということだろうか。

 純粋に藍田と向き合えていた、あの頃に。


「じゃ、私は帰るから」


 うーんと背伸びをして立ち上がる理奈は帰り支度を始めた。


「そっか。今日はありがとな」

「どうもどうも。ま、何かあったら頼りなさい。私が助けになってあげるから」

「送ろうか?」

「はい? いらないわよ、家すぐそこじゃない」


 俺の申し出に、理奈は何言ってるのと笑って玄関から出た。


「じゃ、また明日ね」


 理奈はいつもの笑顔で言う。

 幼馴染の後ろ姿が夜の闇に溶けていくのを、俺は見送った。


 ◇◆


「なあ、昨日の夜何してたんだよ。面白いゲームでもあったか?」

「あーまあそんな感じ」


 早朝の教室で、俺はタツの質問にぐったりとしながら答えた。

 昨夜理奈が帰ったあと途中でファンタジー小説を読んでいるとこれが中々面白く、途中で寝れなかったのだ。


「おはよ。桐生くん、タツくん」


 その声にハッと顔を上げる。


「わ、おはよ藍田さん!」

「おはよ」


 元気良く挨拶をするタツと藍田を見て、昨日のことを謝ろうと口を開く。


「……藍田」

「はい、これ昨日の忘れ物」


 言葉を続ける前に、昨日借りた学校の傘を差し出される。


「あ、うん。その、昨日ごめんな? あんまり重く捉えないでくれると助かる」


 俺の謝罪に、藍田はいつもの柔らかい微笑みをたたえた。


「全然気にしてないよ。私もいきなり変なこと訊いてごめんね?」

「なんだなんだ、昨日なにかあったのか?」


 後ろの席から身を乗り出して聞いてくるタツは目を輝かせている。

 ……まあ、目の前でこんな会話をされたら誰だって気になるか。

 俺はタツに何と言おうかと考えを巡らせていると、先に藍田が口を開いた。


「ううん、大したことじゃないよ。バスケ部の今後のこと話してたら、お互いちょっと熱くなっちゃって」


 ね? と口元に弧を描いて訊いてくる藍田に素直に頷く。

 高校の友達にまで変な気は使わせたくないし、知られたくもなかった。

 藍田の心遣いが、今はありがたい。


「……そうなんだよな。でもまあ、藍田がバスケ部のことこんなに考えてくれてるんだって思ったら嬉しいことだと思ってさ」

「藍田さん、俺たちのことをそこまで……!」


 感激して大げさに机に伏せるタツを確認し、藍田にありがとう、と目配せする。

 藍田もそれに気付いてニコッと微笑んだ。

 ……よかった。

 本当に昨日のことを気にしている様子はなさそうだ。


「今日の練習メニューはいつも通りか?」


 いつもの会話に戻そうと質問すると、意外にも藍田は首を振った。


「ううん、今日は男バス内で1on1大会するんだって」

「1on1だって!」

「近いってお前!」


 再び後ろから身を乗り出してくるタツを腕で抑えつける。

 藍田はタツの様子を楽しそうに眺めながら、事の説明をする。


「普段の練習がいつもよりしんどくなってる分、こういう大会を開けばモチベーションも上がると思うんだ」

「それは確かに。俺も出るのか?」

「もちろん。戸松先輩が言い始めたことなんだけど、さっきのは建前だと思うよ。多分、桐生くんのプレーをじっくり見たいからじゃないかな」


 その言葉を聞いて、タツの心に火がついたようだった。


「見てろよ。俺が一番になって、みんなをアッと驚かせてやる!」


 椅子から立ち上がって腕を掲げる気配がする。

 最近タツはバスケにすっかり夢中で、熱血だ。

 部に誘った身としては嬉しい限りだが、最近は練習前にいつも1on1に申し込まれる。

 タツとの1on1は何かと理由をつけてのらりくらりと躱していたが、今日は避けられそうもなさそうだ。

 朝一時間目の授業前にテンションが最高潮に達しているタツを眺めて、息を吐く。


「……ちょっと嬉しいくせに」


 藍田の言葉に、釣られるように口角が上がった。

 1on1大会。

 その言葉にどうしても燃えてしまう自分がいた。

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