第12話 猫公園で

 沈黙が降りる。

 その沈黙を埋める雨音が少しずつ小さくなっていく気がした。

 今、藍田は何を訊いてきたのだろうか。

 質問は確かに聞こえたが言葉の意味、真意は?

 色々な答えがグルグルと頭の中を回って、浮かんでは消えていく。

 余りに突拍子もない藍田の問いに思考が追いつかない。


「な、なんで?」


 その結果口から出た言葉は問いに対する答えではなく、ただの戸惑いを表す言葉だった。


「どうしてかな? ちょっと気になっちゃったのかも」


 自分でもはっきりとした理由はないということだろうか。


「からかってるのか?」

「え、全然違うよ?」


 藍田はベンチから立ち上がると、「うーん」と伸びをした。

 混乱している俺と違い、藍田は特に気負ってはいないようだった。

 その仕草を見て、ますます藍田の心が分からなくなる。

 普通、自分が振った相手にまだ好意があるのか確かめたりするだろうか?

 振られてから半年経った、といっても半年はそこまで吹っ切れてもいいような長さだろうか。

 藍田にとっての半年間は、俺の感覚とは違うのだろうか。


「……別にもう好きじゃないよ。半年も経ったのにまだ好きとか、さすがに女々しいだろ」


 心の中をはっきりと確かめないまま、逃げるように言葉を紡ぐ。

 胸の奥にモヤモヤとした何かが支える。

 藍田は俺の答えを聞くと意外そうに口を開いた。


「女々しいかな?」


 ベンチから立ち上がって藍田の脚を睨む。顔は見れなかった。言いたいことが出なくなるような気がしたから。

 振られたほうの気持ちをもう少し考えてくれよ。喉まで出かかった言葉は、藍田の返事で押し留まった。


「まだ、気にしてるんだね」

「──」

「なんか意外だね」

「え?」

「桐生くんって、そういうのすぐ忘れちゃう人だと思ってたから」


 その言葉は、頭に棘のように刺さった。

 半年前に振られたことをついこの間まで夢に見ていたのだ、すぐ忘れるなんてことはない。

 だが傍から見れば、そんな風に映るのか。

 どうして自分が認識している自分と、他人が認識している自分では映り方が違うのだろう。


 それじゃあ、と心の中で嘆息する。


 俺だけが知っている情けない一面は隠して、今は藍田の認識のように振る舞おう。

 心裏が分からない相手に、自分だけ心の奥を曝け出すのが怖かった。


「いや、気にしてないよ。雨も止んできたし、そろそろ帰ろうかと思っただけ」

「そっか」


 上手く隠せているだろうか。

 東屋から出ると、外は傘を差さずとも歩けるほどの小雨となっていた。先ほどまでの雨はにわか雨だったようだ。

 背中に藍田の視線を感じながら、俺は猫公園を後にした。

 雲が晴れていく空とは対照的に、心に曇天が広がっていくのを感じた。


 ◇◆


「ただいま」


 傘を置いて帰ったあと、晴れ空のくせに再び雨が強くなったおかげで制服はずぶ濡れだった。

 雨水で張り付いた靴下を脱ぎ、ずぶ濡れになった足で脱衣所に向かう。

 途中、リビングから聡美が顔を覗かせた。


「おかえりー。……ってあんたビショビショじゃない。傘なかったの?」

「うん、忘れちゃってさ」

「今日暇だったし、連絡くれたら迎えに行ってあげたのに」

「高校生にもなって姉貴に世話焼いてもらってるところ見られたら恥ずかしいだろ」

「うわ、思春期ってやつ? 難しいお年頃なのね」

「うるせえ、ホントは見返りが怖いからだよ」

「あはは、よく分かってるじゃん」


 そう言うと聡美はテレビに向かってチャンネルを変え始める。

 それを会話の切り上げと判断し、脱衣所に向かおうとした。


「あんた、何かあったの?」


 背後からの問いに、思わず背中を硬ばらせる。


「別に、何もないよ」

「あっそ、それならいいけど。じゃあ理奈ちゃんが来るまでにその変な顔治しときなさいよ」

「……今日理奈来るのか?」

「うん、私が誘った」

「そっか」


 正直、今日は色々疲れてしまったのでさっさと寝てしまいたかったがそうはいかないだろう。

 溜息と共に今度こそ脱衣所に向かった。

 さすがは血の繋がった姉なだけあって何かあったことを瞬時に悟られてしまったが、深入りしてこようとはしてこなかったことに感謝する。

 自分でもどう感じているのか釈然としていない中、他人に説明できるほど俺の口は上手くない。

 肌に張り付いた制服と下着を脱ぎ捨て浴室に入る。

 シャワーを浴びると、瞼の裏に猫公園が浮かんでくる。

 そして傘を藍田に預け、一人で帰ってしまったことを後悔した。


「だっさいな……」


 こんなの、俺らしくない。女子一つの言葉でこんなに心が取り乱すなんてダサすぎる。

 シャワーのお湯を止めると髪から水が滴る。

 滴る水の数だけ心の乱れが収まっていく気がして、俺は暫く浴室で突っ立っていた。


◇◆


 シャワーを浴び終えた後、自室で何となく小説を読んでいると携帯に一つの通知が届いた。

 近くにあったボールペンを小説に挟み、確認すると理奈からだ。


『今から家に行くから!』


 それを確認するとすぐに返信する。


『熱が出たからダメ』


 今読んでいる小説はファンタジー。小説一冊ごとに違った世界観が繰り広げられる小説の主人公に自分を重ね、色んな世界を旅する。

 理奈には悪いが、今夜はゆっくりファンタジーの世界に浸かっていたかった。

 小さいころ嫌なことがあった時は、いつもこうして想像の世界に逃避していた。

 ミニバスで全国大会優勝チームのエースと1on1をして負かされた夜も、こうして小説を読み更けてた記憶がある。

 既に学習机の上には何冊か小説が積み上げられていて、この小説が読み終わった後に読む本が順番待ちしている。

 部屋に元々置いている小説なので中身は全て読んでしまっているが、久しぶりに読み返すと変わらず小説ごとの世界へ俺を誘ってくれる。


 再び物語の世界に飛び込もうとすると、自室のドアがノックされた。


「姉貴?」


 ドアが開くと茶色の髪がひょこっと覗いた。


「ちゃお、私だよ!」

「ゲッ、理奈」

「へえ、随分なご挨拶じゃない。嘘ついたあげくに、ゲッだなんて」


 この前とは違い遠慮なしに部屋に入ってくる理奈は、俺の反応を見るやふてくされる。


「仕方ないだろ、熱あるんだから」

「嘘、お姉さんはピンピンしてるって言ってたよ」

「じゃあ今出た」

「じゃあってなによ!」


 いつもと同じような理奈にどこかほっとする。

 理奈は良くも悪くも思ったことをそのまま行動に移す性格をしている。見る人によっては天真爛漫に映ることだろう。

 心の内が見えにくい藍田とは正反対とも言えるかもしれない。


「なに、本読んでたの?」


 理奈は机に積み上げられている小説を一冊手に取ると、それをしげしげと眺める。


「へー、魔法……面白そうねこれ」

「おっ分かる? そうなんだよ、魔法っていうのも良いんだけど何より登場人物がみんな魅力的でさ!読み終わったやつでよかったら貸してやるけど」

「え、いいの? それじゃあこれ貸してもらおうっと」


 嬉しそうに小説のページをパラパラと捲る。


「じゃあご飯できるまで小説読んでていいよ、私ご飯作ってくるから」


 小説を閉じた理奈はそう言って部屋から出て行こうとした。


「え、今日理奈が飯作るのか?」

「なに、嬉しい?」


 小六の頃、理奈に晩飯をご馳走されたことを思い出す。

 肉は焦げて苦くなるし、お味噌汁はしょっぱいしで散々だった気がする。


「でもまあ、食えるならそれだけで嬉しいかな。今日は飯作るの怠かったし、助かるわ」


 普段母がいない時は代わりに料理をしていた俺だったが放課後の出来事で何となく身体が気だるくなってしまい、聡美に頼んでしまっていいかなと思い始めていたところだった。

 だが聡美の料理は酷いもので、理奈の焦がした料理が美味しく思えてくるほどだ。

 それなら理奈に任せてしまったほうがいいだろう。


「あんた今ものすごく失礼なこと考えてない?」

「え、いや別に」

「嘘つけ! 絶対こいつの料理美味しくなさそうだな、みたいなこと考えてた!」

「ほんとに違うぞ、姉貴の料理よりはマシだろうし助かるな思ってただけだ」

「ほらー!」


 理奈は信じられない、という顔をすると不機嫌に部屋から出て行った。「見てなさいよ」と言い残していたが、少しは上達したということだろうか。それとも今の発言の仕返しにワサビでも混ぜるつもりだろうか。

 どちらにしろ今は理奈の無邪気さに救われていた。

 ベッドに仰向けになり小説で顔を覆う。途端に猫公園でのことを思い返してしまった。


「さすがに置いて帰るのは感じ悪かったよなあ」


 ゴロンと寝返りをうつと小説が顔からずれ落ちる。

 なぜ一人になった途端、頭がそのことで支配されるのだろう。

 理奈の料理ができるまで、俺はそのままベッドで悶々とした気持ちで過ごした。

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