第10話 幼馴染という関係
──異性の幼馴染。
その単語を聞くと、昔二人は「結婚しよう」などといった約束をしていたりするのではないか、と想像する人もいる。
無論、俺と理奈の間にそんな約束はない。
むしろ昔、決して仲は良くなかった。
親同士が仲良くしているせいで同じ空間に入れられることの多かった俺たちだが、どの椅子に座るか一つで喧嘩をし、どちらかが折れるまでそれは続く程だった。
傍から見れば喧嘩をするほど仲の良い二人だと思われていたのだが。
それでもずっと同じ空間にいると、年を重ねるごとに自然と仲良くなっていく。
宿題で出た計算ドリル、漢字ドリルを貸し借りするようになっていたころにはもう今の関係になっていたと言ってもいいだろう。
小学校高学年に入る頃には一緒に朝から晩まで遊んでいたし、グループ同士で集まってバスケもしていた。
小学校を卒業する間際、俺と聡美が祖母の家に引っ越すため最後の挨拶に行った時、理奈は多少なりとも落ち込んだ様子を見せた。
「じゃあ、しばらく会えなくなるのね?」
いつもより少し口調の強い様子に、「寂しいか?」と思わず聞くと理奈はフンッと鼻を鳴らして後ろを向いた。
「まあ、少しは。でもよく考えたら携帯あるし、またメールしてよね」
「えー、メール好きじゃない」
昔から思ったことがすぐに口に出た俺は、そんな時でも同じだった。
「じゃあ気が向いたらでいいから!」
怒ったように眉を吊り上げる理奈に慌てて「わかったわかった」と頭を撫でると、いつものように躱される。
「馴れ馴れしい! じゃあまたね! 中学でもバスケ続けなさいよ!」
最後の挨拶がそれだ。俺にとっての幼馴染って、そんなものだ。
友達より気心の知れた友達。
──それだけのはずだ。
◇◆◇◆
「陽、食堂いこ!」
高校生活にも慣れてきたある日、四時間目の授業が終わると理奈が教室に入ってきた。
まだ終わって時間も経っていないのでガヤガヤとしている中、理奈の声はよく通る。
「俺弁当あるから、いつも通り教室で食うよ。友達誘って行ってきな」
教室でタツ、そして同じバスケ部一年の藤堂グループで昼休みを過ごしている俺は、教室で昼飯を食べることに安らぎを感じ始めていた。
俺とタツの席の周りに、藤堂グループが周りの椅子を借りて昼飯を食べる。
面倒な授業の合間にある至上の五十分。
それを今更ガヤガヤとしている食堂で昼飯を食べるのは、正直気が進まない。
「いいじゃない、私今日お弁当家に忘れちゃったのよ」
「知るかよそんなこと、そら帰った帰った」
手をしっしと振ると、タツに後ろから背中を小突かれる。
「桐生、香坂さんの誘いを断るってどんな了見だよ? せっかく誘ってくれてるんだぞ!」
二人は部活の練習前に何度か喋るうちに仲良くなってきているようで、タツは俺と理奈の意見が食い違ったときに大抵理奈の味方につく。
そんなタツのフォローに理奈もうんうんと同調した。
「そうよ、せっかく誘ってるのよ!」
「……みんなと昼飯食べたいし自分の席で食べたいし。よって、却下します」
「なんで来てくれないのよ!」
「今その理由を言ったんだろうが……」
そんな様子を眺めていた藤堂が、春巻きをパリパリと頬張りながら話しかけてきた。
「桐生って香坂と仲良いよなー。噂で聞いたけど幼馴染ってやつ?」
「まあ幼馴染だけど。別に付き合ってなんかないからな」
先に否定しとく俺に藤堂は目をパチクリとさせ、ニヤッと笑った。
「おっとー、別に俺は幼馴染ってだけで何も言ってないんだけど」
そのノリに乗った他の奴らも「照れんな照れんな」とからかってくる。
これ以上話を長引かせても、こいつらを喜ばせるだけだ。
理奈も折れないだろうなと察し、こちらから妥協案を出すことにする。
「それじゃあ菓子パンでも買ってこいよ、理奈も一緒に食べようぜ」
そんな気まぐれの提案に、タツをはじめとする男子がざわついた。
「香坂と一緒に! いいね、たまには女子と一緒に食べたい!」
「良いこと言うじゃん桐生!」
……なんて現金なやつらだろうか。
だが男子グループに女子一人を入るのは、さすがに理奈も気が進まないのではないか。
そんな思いから理奈の方を見上げると、「仕方ないなあ。メロンパンまだあるといいけど」と言いながら教室から出て行こうとしている。
さすがの適応力である。
「あっ理奈、ついでにりんごジュース買ってきて。金は払うから」
「えー、それなら一緒に来なさいよ」
「お願い、俺は椅子から立ちたくない!」
ふざけて駄々を捏ねると、理奈は呆れ顔をする。
「あーはい、わかったわかった。それじゃ時間かかるだろうけど待ってなさい」
ため息を吐いて、理奈は教室から出て行った。
なんだかんだ世話も焼いてくれるのがあの幼馴染だ。
購買部はいつも長蛇の列になるため、理奈が戻ってくるのは少し時間が経ってからだろう。
そんな思いを巡らせていると、俺の弁当に春巻きが乗せられていることに気付く。
藤堂がお箸でジェスチャーしてきた。
「礼だ。やるよそれ」
それに続き、グループ内の男子から弁当に次々とおかずが乗せられていく。
タツに至っては焼きそばをご飯に乗せてくる。
「やめろやめろ、嬉しいけどそんなに食えねえって!」
思わず大きな声を出すと、周りにいた女子が面白そうに集まってきた。
「なになに、なにしてるの?」
「うわ、お弁当すごい量!」
「お腹空いてるのー? 私のおかずもあげるね!」
そうしたノリが終結を迎える頃には、俺の弁当は春巻き、焼きそば、豚の生姜焼きなどで、通常の倍程度の量になっていた。
「これ全部俺が食うのか……?」
弁当の量に絶望していると、後ろの席からタツが「あーん、でもしてやろうか?」とふざける。
「いつも男子ばかりで華がなかったからな、女子を引き込んでくれたお礼ってことで」
藤堂はそう言いながらさらに春巻きを頬張る。
こいつの弁当にはどれだけ春巻きが詰まっているのだろうか。
そうは言っても、藤堂自身は女子からモテそうな容姿である。
少し濃い目にくっきりとした目鼻立ち、髪は黒髪でトップを立たせている。
それでいてノリもいいのだから、先ほど集まって来た女子の中には藤堂目当ての人もいるのではなかろうか。
その藤堂が、俺の少し上のほうを見て箸を止めた。
「桐生くん、どうしたの?」
上からそんな柔らかい声と共に、フローラルな香りが鼻腔をくすぐった。
「藍田」
藍田奏の登場に、男子の面々に緊張が走る。
藤堂のように昼飯を食べる箸が止まるやつ、逆にハイスピードになるやつ。
タツは後者で、俺に押し付けて少なくなった焼きそばを一気に掻き込んでいる。
「わ、お弁当すごい量。みんなに分けてもらったの?」
「そうなんだよ、これ全部食べるハメに……」
大げさに困った顔をしてみせると、周りの女子から茶々が入る。
「藍田さんが食べさせてあげたら桐生も食べれるんじゃない?」
「高嶺の花からあーん、されたらね!」
俺が藍田と日頃からよく話すことを知っているクラスの女子たちはたまにこうしてからかってくる。
「え、私が?」
戸惑う藍田に、男子一同が控えめに後押しする。
「あーんは男子の夢なんだよ、叶えてやってくれ」
「そ、そうなの? 夢なんだ」
「そう、夢なんだよ。だから桐生に夢見させてやってくれ」
タツがウンウンと頷きながら、藍田に頼む。
「うん、わかった」
そう言うと藍田は俺のお箸で生姜焼きを掴み、口元へ運んできた。
「え!? ちょっ」
生姜焼きの下には藍田の左手が添えられてあり、タレが落ちても床が汚れないように気をつけている。
「はい、口開けて?」
「いや、ちょっとそれは」
いくらなんでも恥ずかしい。
そんなことを気にする俺はウブなのだろうか。
いや男子たるもの、ここで緊張しない人はいないのではなかろうか。
藍田の左手を見ると、その手のひらには豚生姜焼きのタレがポタポタと落ち始めている。
本人は気にしていない様子だが、これ以上待たせるわけにはいかない。
「あむ」
意を決して口に入れると、味はまあ普通の生姜焼きだ。だが味以上に、藍田に食べさせてもらったということで顔が火照る。
周りの女子から「ヒュー!」と歓声が湧く中、男子の一部は悔しそうに睨んでくる。
自分たちで後押ししておいて悔しがるなんてどういうことだろう。
「美味しい?」
「うん、まあ美味い」
「そっか」
優しく微笑む藍田から思わず目を逸らすと、視線の先には理奈があんパンとりんごジュースを持って佇んでいた。
どうやらメロンパンを買うことはできなかったらしい。
「おう、戻ったのか」
軽く手をあげると、理奈がこめかみをヒクつかせる。
「戻ったのか、ってあんた。人をジュース買わせに行かせといて、何やってるわけ」
その質問に答えたのは藍田だった。
「桐生くんのお弁当にみんながおかずをたくさん入れちゃって。食べさせてあげてたの」
「食べさせて……ふーん、そう。それなら仕方ない……わね」
周りの目が多いせいか、自分に言い聞かせるように呟いて側にあった椅子を俺の隣に持ってくる。
「ほら、お腹減ってるんでしょ」
理奈はそう言うと大きく千切ったあんパンを口の中に押し付ける。
それが大きすぎて、とても一口では食べ切れそうもない。
「むぐげ!」
「なによ、藍田さんのは食べれて私のは食べられないってわけ?」
完全に不機嫌なご様子だ。
咳き込みながらそれを否定する。
「ちげーよ、単純にそのあんパンが大きすぎるんだ!」
「じゃあこれもトレーニングだと思いなさい、そんなんだからあんたこの前の試合で私に負けたのよ!」
「なっ、あれは負けてないだろ! むしろ最後は出し抜いて」
「うっさい食え!」
「や、やめろ!」
そんな俺たちのやり取りを見て、藍田はクスクスと笑った。
「ほんとにこの二人仲良いよね」
話しかけられたのは藤堂で「幼馴染ってそんなもんなんじゃない?」と返事をしている。
高嶺の花だと言われ男子と話すことが少ない藍田も、全く話さないわけではなく、最近はこうしてたまに他の男子とも話している。
ただそのほとんどのやり取りが、すぐに終わってしまうだけで。
「は、春巻きいる?」
「ううん、いらない」
藤堂も例に漏れず、いまいち会話が盛り上がらずに終了していた。
俺は理奈にあんパンを押し付けられながら、やはり自分は藍田にとって特別なのだろうかと思ってしまいそうになるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます