第9話 vs理奈!

 女バスとの試合に出ることが決まったが、まだ交代まで幾分か時間がある。

 それまで選手のベンチに戻り試合を観戦しようとマネージャー専用のベンチから腰を上げる。


「このまま試合観戦しよ?」

「え?」


 藍田の言葉に少し戸惑った。


「いいですよね、戸松先輩」

「いいよー、どうせ二人で座るには広いしね」


 確かにマネージャー専用のベンチは選手が四人程度座れる広さがあるが、この二人に挟まれた状態だと観戦に集中できそうにもない。


「うん、桐生君の解説も聞いてみたいし。先輩命令を使っちゃおうかな」


 戸松先輩はそう言うと、俺のゼッケンを引っ張ってベンチに座らせた。

 ……先輩命令なら、仕方ない。

 横の選手ベンチから変な目で見られようが、仕方ないのだ。

 第1ピリオドは残り二分、得点は4-13。

 ボールはセンターライン際でちょうど藤堂に回ったところで、藤堂はその場でパスコースを探している。


「そこで止まっちゃダメだ」


 バスケの試合は、常にスピードが要求される。

勿論あえてゆっくりと敵陣にボールを運び、仕切り直しを図る時もあるが、今は相手が悪かった。


「わ」


 横から戸松先輩の声が漏れる。

 藤堂が持っていたボールが前に転がった。

 バックチップ。

 後ろから相手のボールを弾くディフェンス技で、ファールになる危険性が大きい高等技術。

 そんな技を悠々と決めたのは、案の定理奈だった。

 理奈はボールが女バスの選手の前に転がるのを確認するや否や、踵を返し勢いよく男バス側のゴールに走り出す。

 ボールが理奈へ一直線に飛び、難なくキャッチしてレイアップシュート。4-15。

 流れるような速攻に、男バスは全く対応し切れていない。


「うひゃあ、あの一年の子すごいね……あれが噂の全国大会経験した子?」

「そうですね。相変わらず上手いです、あいつは」


 女バスと男バスのレベルの差は明らかだったが、点差がひらく何よりの原因は理奈の躍動だった。


「今年の女バスは、ひょっとしたらひょっとするかも」


 ディフェンスの間を縫うようなパスが理奈に渡り、3ポイントシュートがゴールに吸い込まれるのを見て、戸松先輩は弱気に呟いた。


「そうですね、香坂さんが入ったこのチームなら行ってもおかしくないです」


 中学が一緒で理奈の実力も十分承知しているであろう藍田は、素直に頷いた。

 やっとのことで第1ピリオドの終了を知らせるブザーが鳴り、立ち上がる。


「いけそう?」


 藍田の問いに、思わず笑う。


「誰に向かって言ってんだよ」

「だよね」


 汗だくで男バスのベンチに戻ってきた藤堂に、戸松先輩の交代の指示を伝える。

 かなり疲れた様子の藤堂は素直に交代に応じると、先輩たちの輪に入っていった。

 タツも俺と同じく交代して出場するようで、交代する先輩とハイタッチを交わしてコートに入ってきた。


「タツ、気張れよ」

「ん? 大丈夫、さっき出してきたから」

「は?」


 いまいち話が噛み合わないが、まあ根性だけはありそうなタツのことだ。心配はいらないだろう。


「まあとりあえず、俺がボール持ったらゴールに全力で走ってくれればそれでいいから」

「お、わかった。とりあえず走ればいいんだな」


 女バス側のコートを見ると、理奈はベンチに戻らずコートに留まっていた。

 息は少し乱れているが、それもすぐ治りそうだ。

 対決する前に少し話そうと近づくと、理奈は得意げにピースをしてきた。


「どうよ、私のプレーは」

「はいはい、上手い上手い」

「なによ、もっとすごいわよ? 今からエンジンかけるんだから」

「へー、相手が俺じゃなかったらエンストせずに済んだのにな」


 俺の挑発に理奈は驚きの表情を浮かべた。

 驚きと同時に、少し嬉しそうでもある。


「なに、陽がマッチアップなの?」

「当たり前だろ、じゃないと誰もお前止めらんねーし」


 それを聞くと、理奈は嬉しそうに笑った。


「小六以来じゃない? よしよし、それじゃあどれだけ強くなったのか見てあげよっか」

「おう、負けても昔みたいに泣くんじゃねえぞ」

「なっ」


 泣いてない! という言葉は、休憩時間の終わりを告げるブザーにかき消された。


 男バス側のコートに戻ると、タツは金髪の髪をポリポリかきながら「俺も幼馴染ほしいんだけどどうすればいい?」と聞いてきた。


「うーん、この試合で10点決めればできると思うよ」

「できるわけねえだろ!」


 タツの問いに適当に答えて、自分のポジションにつく。

 ポジションはスモールフォワード。

 俺が中学校時代、最も得意としていたポジションだ。

 同時に理奈とのマッチアップのポジションでもある。


「桐生ー! 期待してるぞー!」


 先輩たちの応援にペコっとお辞儀する。

 清水主将もお尻を叩いて「頼んだぞ」と激励してきた。

 中学時代、レギュラー争いが激しかったあの頃は、皆どこか仲間を応援し切れていない節があった。

 それに比べてこのチームは実力が足りない代わりに、仲間が当たり前にチームメイトを応援する。

 良いチームだ。

 俺の力がこのチームに必要とされるなら、できる限り力になりたい。

 この試合を機に、中学時代のワンマンプレーとはおさらばだ。

 その為にはまず、この試合を意義のある時間にしなければ。

 第2ピリオドの開始の笛とともに、ボールは女バス側から始まった。

 女バスの主将が、危なげないドリブルで男バスの自陣に進入してくる。

 マッチアップは清水主将。

 しかし俺と1on1をした時から、清水主将のディフェンスに不安があることは明白だ。

 既に腰が浮いており、次のボールの切り返しで抜かれるだろう。


 予想通り清水先輩が切り返しで抜かれると、女バスの主将は一気にインサイドにドリブルインを試みる。

 それを防いだのは意外にもタツで、素早いヘルプでドリブルコースを潰した。

 やはりハンドボールの経験はバスケに大いに役立っているようで、今やタツはディフェンスにおいてとても初心者とは思えない動きを見せる。

 ドリブルインを諦めた女バスの主将は一瞬理奈を見て──。

 ここだ。

 主将と理奈の間に飛び出すと、予想通りボールが目の前に飛んできた。

 難なくパスをカットして前を見ると、既にタツがゴールに駆け出していた。


「よし!」


 パスコースを防いでいる敵を避けるためドリブルすると、僅かに違和感があった。

 何かがいつもと違う。


「誰をエンストさせるって?」


 瞬間、声とともにボールが俺の手元から離れ前へ鋭く転がった。

 ボールはコートから出て、アウトオブバウンズの笛が鳴る。


「何だ、陽のこと買い被ってたかな?」

「おーう、やってくれたな理奈」


 一瞬の攻防に両ベンチがざわつく。


「ちょっと、またバックチップ!?」

「理奈ちゃんほんとにすごくない!?」

「相手の子のパスカットもすごいよ、主将が初見でパスカットされるなんて!」

「うおお、なんかレベル違う!」

「かっけーぞあいつら!」


 そんなベンチを横目に、俺はさっきのプレーの反省をした。

 ボールにわずかに違和感があると思ったら、基本的なことを失念していたのだ。

 即ちボールのサイズの差異。女子のバスケットボールは男子のそれより1サイズボールが小さい。

 それをすっか。失念していたお陰で僅かにドリブルに手こずり、その隙に理奈のバックチップを受けたのだ。

 しかしそれでも、まさか俺がバックチップをされるとは。

 中学時代を思い返してもバックチップをされた記憶は一度もない。

 さすがは理奈といったところか、と内心舌を巻く。

 理奈を擁するチームは全国大会三回戦で姿を消したが、理奈たちを負かした相手はその大会で優勝した学校だった。

 チームのエースだった理奈は、個人の実力では決して相手エースに劣っていなかった。

 むしろ、僅かに競り勝っていた。

 勝敗を分けたのは、チーム総合力の差。

 だがその敗因を意に介さず、泣き崩れるチームメイトを慰めてコートを後にした理奈に、観戦していた姉の聡美がべた褒めしていたのを覚えている。


「ヘイ、パス!」


 コート外からのパスを清水主将が受け取り、試合が再開する。

 理奈が上手いことなんて百も承知だ。

 女子とここまでスリリングな戦いをすることに、男子としての屈辱感は全くなかった。

 清水主将が敵陣に侵入する。

 ディフェンスと違い、オフェンスに拙さは全く感じられない。

 それでも今まで点を全く取れなかったのは理奈の存在が大きいだろう。

 しかしその理奈は今清水主将から離れ、俺へのパスにいつでも対応できる程度の位置に留まっている。

 清水主将もそれを感じていたのか、落ち着いて俺の逆サイドに位置する選手にパスをする。

 フリーのシュートは、ボードに当たって入った。

 久しぶりの得点に、男バスベンチが湧く。

 俺がいることで生まれる女バスのディフェンスの隙。

 それを上手く突いた時点で俺は一つの確信を得た。

 このチーム、オフェンスに関しては悪くない。

 つまり俺やタツがディフェンスで気張れば、点差は少しずつ縮まる。

 点を取られない限り、点差は縮まるものだ。

 それからは俺が理奈にボールが渡らないようパスカットに専念することで、男バス側の失点は大きく減った。

 ディフェンスの動きを制限するスクリーンが、男子と女子という性別の差で機能していないこともその助けになっていた。

 選手同士が接触せざるを得ないスクリーンは、男子と女子の試合では少々し難いのだ。


 その結果試合は残り15秒、スコアは18-20にまで縮まっていた。

 男バス側のベンチから「いけー!」「同点にできるぞ!」と応援が飛び交う。


 だがボールは今女バス側に渡ったところで、しかもそのボールを持つのは理奈だ。

 バスケには24秒ルールというものがあり、オフェンスとなったチームは24秒以内にシュートを撃たなければならない。

 逆に言えば、丁寧にパス回しをすれば24秒間ボールを保有できるのだ。

 即ち、今女バスが勝つ安全策はパスカットに気を付けつつ、ボールを持ち続けること。

 しかし比較的速めのペースで男バス側のコートにボールを運んでくる理奈の目は、「そんな時間稼ぎ、私がするわけないじゃない」とでも言いたげだった。


 俺もそれに応え、全力で理奈の動作に神経を注ぐ。

 理奈は俺とのマッチアップを確認するとゆったりとドリブルをする。

 手を伸ばせば届きそうなそのボールは、恐らくブラフ。

 スティールを試みて手を伸ばした瞬間、切り返して俺を抜き去るつもりだろう。

 そう確信し、理奈から少し距離を離す。

 瞬間、理奈がニヤッと笑った。

 しまった、こいつの狙いは──。

 シュート体勢に入る理奈。

 1on1と見せかけて、ロングシュート狙い。

 瞬時に距離を詰め全力で飛ぶと、掌にボールを弾く感覚があった。

 ボールが俺の目の前に転がり、いち早く自分のものにする。


「──タツ!」


 前を向くと、タツは既にゴールに全力で駆け、ボールを貰おうと手を掲げていた。

 タツは完全にフリーとなっており、俺のパスは大きな弧を描いて、今度こそタツに届いた。

 ベンチの応援が最高潮に達する。


「決めろ、タツ!」


 タツは素早いドリブルからボールを持ち、レイアップシュートの体勢に入る。一歩、二歩………三歩。


「なっ」


 同時にブザーがなり、試合は終わった。

 トラベリングだ。ブザーと同時だからブザートラベリングとでも呼ぼうか。

 聞いたこともない呼称ではあるが、そうとしか表現できないのだから仕方ない。

 最後の最後でまたもやハンドボールの癖が出たタツは、ゆっくりと振り返りニヤっと笑うと次の瞬間ベンチから飛び出た先輩たちに揉みくちゃにされた。

 まあ結果は負けだが、この試合がチームに貴重な経験となったことに変わりはないし、タツのミスは先輩たちの袋叩きで良しとしよう。

 あの袋叩きも愛されているが故だろう。


「最後油断したなー」


 隣で理奈は肩で息をしながら悔しそうに呟く。

 油断というのはプレーの怠慢ではなく、裏をかいた時思わずニヤッと笑ってしまったことだろう。


「あれがなかったら反応遅れて届いてなかったな」

「知ってる。うーん、ポーカーフェイスって難しいわ」


 ヘラっと笑う理奈は汗だくで、第1ピリオドが終わった時と違い明らかに疲弊していた。

 練習着の胸元をパタパタと無防備に仰ぐ理奈から思わず目を逸らす。

 

 そして突然視界が暗くなった。


「桐生くん、お疲れ様」

「わぷ」


 タオルが顔に被さる。洗濯剤のフワッとしたいい匂いがした。

 藍田が後ろからタオルを被せてくれたようだ。


「あ、ありがと。このタオル藍田の?」

「うん。でも気にしないで使ってくれていいよ」

「な、でも」

「香坂さんもいる?」


 そう言うと藍田は別のタオルを理奈に差し出す。

 だが理奈は汗を練習着の袖で拭うと「ううん、いらない」とだけ言い残して女バスのベンチへと戻って行った。


 いつも周りと隔てなく接する理奈は、なぜか藍田にだけ素っ気ない。

 理奈にそのことを聞いてもはぐらかすだろうし、藍田に直接聞いてみることにした。


「藍田って理奈と同じ中学だった割に、あんまり話してるとこ見ないよな」

「そう? 仲良いよ、私たち」


 ……それは無理があるのではないだろうか。

 そんなことは理奈と幼馴染じゃなくたって察すると思うが。


「じゃあどうやってあいつと仲良くなったの?」


 結果、そんなど直球の質問をしてしまった。

 それを聞くと藍田は目をパチクリとさせ、微笑んだ。


「どうだったかな?」

「桐生くーん!」


 後ろから聞こえた陽気な声に、俺も藍田も振り返る。

 戸松先輩が氷袋を片手にこちらに走って来ていた。


「はい、お疲れ様! これ首元に当てて冷やしてね!」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ私、他の選手のところ行ってくるね」


 藍田はそう言って俺と戸松先輩にニコリと笑い、男バスのベンチへと歩いて行った。


「いやー、桐生君ってすごいディフェンス上手いね! 今回は全然シュート撃ってなかったけど、ほんとならもっと強いんじゃない? 私はそう見てます!」


 興奮した様子で喋りかけてくる戸松先輩を横目に先程の藍田の表情を思い出す。

 さっきの微笑みは、俺がかつて惚れたそれと、少し違っていた気がしたのだ。

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