第5話 帰り道

 理奈は腕組みをしながらこちらを睨んでいる。

 約束を反故にしたので当然だ。俺は思わず目を逸らす。


「ねえ、陽。確か私、一緒に帰ろうって言わなかったっけ」

「お、おう。だから今から帰ろう」

「藍田さんいるじゃん」

「二人で帰るとは言ってなかったぞ」

「陽介?」


 ニッコリとする理奈だが、その笑顔に怯えを感じずにはいられない。

 確かに、藍田と一緒に三人で帰るという言い訳は無理がある。


「香坂さんと約束してたの?」


 藍田は少し困った顔をしながらこっちを見てきた。


「そうなんだ、ちょっと忘れてた……ごめん」


 部活を挟んでいたとはいえ、約束がすっかり頭から抜け落ちてしまったなんて、間の抜けた話だ。


「まったくあんたは……そういうことだから、ごめんね藍田さん。こいつにはしっかり怒っておくから」


 呆れた口調で「許してあげて」と謝る理奈に、藍田は快く頷いた。


「ううん、大丈夫だよ。私から誘ったんだから、あんまり怒らないであげて」


 その言葉に、理奈は意外だという表情を浮かべる。

 

「え、藍田さんから? 珍しいわね、帰り道に男子誘うなんて。てっきり陽からだと思った」

「珍しいっていうか、初めてかな。結果は残念だったけど」


 藍田は「えへへ」と苦笑いをしてみせる。

 男なら思わず見惚れてしまいそうなその苦笑いも、理奈にとってはどうでもいいことらしく平然とした表情で口を開いた。


「一体どういう風の吹きまわし?」

「どうって、一緒に帰りたかっただけだよ?」

「へえ。そっか」


 今の理奈には、普段のおちゃらけた言動からはあまり想像できない、いつになく真剣な空気があった。


「それじゃあ、私たちは帰るね」

「うん、また明日ね」


 こちらに手を振る藍田に、俺は手を振り返す。

 理奈も一度だけ手を振ると、そのまま先に帰路に進んでいった。


◇◆


「なあ理奈、まだ怒ってるのか?」


 学校から出て暫く経っても俺の一歩先を歩いている理奈に、堪らず声をかける。


「別に怒ってないわよ。ちょっと驚いただけ」


 理奈はそう答えた後、やっとペースを緩めて俺の横に並んだ。


「そこまで驚くことか?」

「驚くわよ普通。あの子に中三の時振られたんでしょ?」

「そうだけど。もう半年も経ってるし」

「半年も、ね。あんたがそう思うなら別にいいんだけど」


 理奈はため息を吐くと共に、想起したように言葉を紡いでいく。


「"高嶺の花"がついに他校の男子に告白されたーって聞いたときは別に興味なかったけど、それが陽って分かったときはびっくりしたのなんのって」


 中学三年生の秋。

 藍田に振られたその日の夜に、俺は理奈から連絡を貰っていた。


「あー、あの時はショックで理奈からのライン無視してたな」

「そうよ、こっちは心配してラインしたげたってのに」

「ごめん。でも心配してたって割に、キツい言葉が飛び交ってた気がするけど」


 あの時の送られてきたラインを思い出す。


『あんた大丈夫? 振られたからって気に病んじゃダメよ!』

『ちょっと、生きてるの?』

『おいコラ! 家まで突撃されたくなかったら返事しなさい!』

『次会ったら覚えときなさい』


「……最後はもはや脅迫だったような」

「あれは心配の裏返しよ」

「ほんとかー?」


 理奈は茶化す俺を見て、呆れたように「当たり前でしょ」とそっぽを向く。

 その様子を見ると本当に心配していたかなど疑う余地もない。


「あの時はありがとな」


 頭をぽんぽんとすると「や、やめてよ!」と逃げられた。


「お、照れた?」

「照れてないっつーの、調子乗んな!」

「あっはは、ごめんごめん」


 カバンで殴ってこようとする理奈を軽くあしらうと、ますます不服そうな顔をされる。

 他の女子にはとてもじゃないがこんな言動は出来ない。

 昔から関係を築いている幼馴染だからこその振る舞いであることは、間違いない。


「それにしても、お前と帰るの久しぶりだな」


 話題を変えると、意外にも理奈はすぐに機嫌を治した。


「ねえ、久しぶりついでに陽介の家に寄っていい?」

「いいぞ、母さんはまだ帰ってないだろうけど。姉貴ならいるはずだから」

「お姉さんいるの? やった、いつ振りかしら!」

「二年振りくらいか?」

「それくらい経つかもしれない! 早く行こ!」


 すっかり上機嫌になった理奈に引っ張られながら、俺は自宅へと帰った。


◇◆


「ただいま」

「お邪魔します!」


 家に帰ると、玄関先から見えるリビングにちょうど聡美がいた。

 聡美は理奈を見ると、咥えていたポッキーをぽろりと落とす。


「おかえり……あれ、理奈ちゃん! 久しぶりね、元気にしてた!?」

「久しぶりお姉さん! 元気元気、超元気です!」


 嬉しそうに聡美に抱きつく理奈は一気に小さな頃に戻ったみたいだ。


「やだ陽介ったら、理奈ちゃんが来るなら事前に連絡してよ! もっとばっちしメイクしたのに!」

「母さんみたいなこと言うな、何歳だよ一体」

「歳なんて関係ないっつの! 今時高校生でもメイクしてるって、ねえ理奈ちゃん?」

「えーと、まあ外出する時はすることもありますよね」


 その答えに少し驚く。

 理奈がメイクをしているところなんて、想像もつかない。


「それにしても綺麗になって、ほんと陽介も幸せ者ねぇこんな幼馴染がいて! モテない男子に言ったら発狂するんじゃない?」


「うりうり〜」と肘でこちらを突いてくる聡美を躱す。


「中身は変わってないよ」


 俺の言葉に理奈は一瞬ジロッとこちらを一瞥したが、聡美を前にしているからか、言いたいことは抑えたようだ。


「あら、よく見たらスタイルも良くなっちゃって、まあ」

「はい? え、あっちょっと!」


 唐突に聡美の手が理奈の身体に伸びる。

 二人の再会には特段興味はないので、俺は一人自室に戻った。

 扉越しに、二人の楽しそうな声が聞こえる。


「……そういえば、理奈をうちに入れるのって小学生の時以来か」


 自室のドアを閉めながら、ふと呟く。

 中学時代は姉と祖母の家に居候していたため、その間この家に住んでいたのは、夜遅く帰ってくる母と、単身赴任から稀に帰ってくる父だけだった。

 こうしてみると、学生ながら時の流れを感じずにはいられない。

 小学生の時は男子に混じって汗水垂らしていた理奈が、高校生になったらあんなに女子らしい容姿になって、メイクまでしているというのだから、時が経っているのは道理だろう。

 そんな思いを巡らせているとコンコンとノックの音がした。


「入ってますかー?」

「トイレじゃねえぞここは」

「冗談冗談。陽、入っていい?」


 小学生の頃は問答無用で突撃してきた理奈が一応ノックをして確認してくるところなど、細かいところでの変化が窺える。


「どうぞ」


 カチャッという音と共に、理奈が遠慮がちにソローっと入ってくる。


「わあ、変わったね」


 小学生の頃は仮面ライダーやウルトラマンなどのグッズで溢れていた俺の部屋も、今やバスケのポスターのみ。後は少しの漫画や雑誌など、普通の男子高校生の部屋に様変わりしていた。


「このポスターの選手、好きなの? NBA見てるんだ」


 意外そうにポスターを眺める理奈に、俺は首を振って答えた。


「いや、見ないよ。裏面に中学の後輩たちの寄せ書きがあるから飾ってるだけ」

「え、なんでこんなとこに書かせたのよ」

「中学生特有のノリ」

「馬鹿ねえ」


 そう言う理奈の目は言葉に反してとても優しい。

 その表情が小さい時の理奈とあまりにも違っていて、不覚にもドキッとする。


「何の用?」


 心を隠すように話を逸らす。


「お姉さんから避難しにきただけよ。文句があるならお姉さんを止めてきて」


 そう言われてしまえば部屋から追い出すわけにもいかないが、今しがた感じた理奈へのいつもと違う感情のせいで、少し一人になりたい気持ちもあった。

 だが理奈は俺の部屋に置かれている漫画や雑誌を漁り、その中の一冊を取るとゴロンと床で横になる。

 そしてバスケの雑誌を眺めながら「そういえば」と話しかけてきた。


「私って陽の中学時代、バスケの成績以外あんまり知らないんだよね」

「試合会場以外では一回も会わなかったしな」


 ラインではたまにやり取りをすることもあったが、それ以外はからっきしだった。


「陽って、ずっと藍田さんと話してたよね」

「向こうが男バスのマネージャーだったから、色々バスケのこと教えてたんだよ」

「知ってるよ、ラインで一回聞いたことあったし」


 そこまで言うとガツンという音と共に凹んだ物が転がった。


「痛っ! 何これ、目覚まし時計?」


 理奈は蹴飛ばした目覚まし時計を拾い上げる。


「え、凹んでるじゃん。私のせいだったらごめん」

「ああ、それか。元々だから気にしないでいいよ」


 朝目覚めが悪い俺は、時計を止める際も眠っていることが多いのでたまに時計を落としてしまう。

 その結果が、ボコボコに凹んだ目覚まし時計だった。


「相変わらず朝に弱そうねえ」

「お察しの通りで」


 理奈は俺の言葉に小さく笑うと、ベッドの上に座った。

 少しは女子としての自覚を持ってほしいと思うが、これも俺の前でしか出さない姿なのだろう。

 幼馴染といっても異性であることは間違いないのだが、そこのところに理解は及んでいるのだろうか。


「ねえ、明日の朝起こしに行ってあげよっか」

「はあ? 本気かよお前」


 理奈の唐突な提案に顔をしかめる。


「なによ、普通の男子なら喜ぶと思うんですけど」


 文句ある? と言いたげな顔でこちらを見つめてくるが、なぜ文句を言われないと思ったのだろうか。


「俺は寝起きを見られたくないんだけどな」

「女子みたいなこと言うのね。いいから諦めなさい、一回起こしたらもう来ないから!」


 一方的に告げると、理奈は部屋から出て行った。

 返事も聞かないで出て行った幼馴染に、ため息を吐く。

 ああ言うと、理奈はほんとに起こしにくるだろう。あいつの型破りな行動には脱帽せざるを得ない。

 しばらくすると、聡美のふざける声と理奈の叫び声が聞こえてきた。


「うるせえなあ」


 ベッドに身体を預けて天井を見上げる。

 明日理奈が起こしにくる。

 普通の男子高校生からしたら、結構凄いことなのかもしれない。


「明日は早起きして、あいつに起こされないようにしないと」


 そう呟くと、理奈が玄関から出て行く音がした。

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