第3話 藍田の誘い

 体育館前に赴くと、理奈は女バスの先輩たちに囲まれていた。


「香坂さんの中学って去年全国大会に出場してたよね!?」

「しかも背番号4のエース!」

「すごいよね、うちも県大会は常連だけど、香坂さんが入ってきたらインターハイも夢じゃないかも!」


 女バスの先輩たちは興奮気味に喋っている。

 彼女たちの言う通り、理奈の所属していた中学の女バスは去年全国大会に出場していた。

 結果は三回戦敗退だが、全国選りすぐりのチームに二回も勝てたことは誇るべき結果だ。


「私なんて、全然です。周りに支えられて、やっとあの全国大会の舞台に立てたんですよ!」


 社交辞令かは分からないが、理奈は先輩たちへ笑顔を振りまいている。

 普段の俺への態度が嘘みたいだなと、勝手な感想を抱く。


「あ、陽介。先輩、これ私の幼馴染なんですけど、こいつも県大会常勝校のスタメンですよ!」


 こちらに気付いた理奈がズンズンと近付いてくる。

 俺は通り抜けようと身を縮こめていたが、首根っこを掴まれて引っ張り出された。


「俺スタメンじゃねえよ、シックスマン」


 仕方ないので渋々返事をすると、理奈は軽く笑った。


「相変わらず、つまんないことに拘るわね。スタメンより活躍してたんだからもうスタメンってことでいいじゃない」

「なんだその理論!」


 反発したが、理奈の言葉を聞いた先輩たちは興奮した面持ちで駆け寄ってきて、思わず口を閉じる。

 年上の異性は自分の素を出し辛く、どうも苦手だった。


「え、スタメンより活躍するシックスマンってすごいかっこいいじゃん!」

「……そ、そうですか?」


 そう言われると、苦手な年上女子からの褒め言葉であっても、悪い気はしない。

 そんな現金な俺に、理奈は目敏くつっこみを入れる。


「はいそこ、すぐ鼻の下伸ばさない。じゃあ先輩、このままだと陽が調子に乗っちゃうんで私たちは行きますね!」

「あらー香坂さんったら、そういうこと? 悪かったわね、彼に近付いちゃって!」


 ……今先輩の言った「彼」は彼氏の「彼」だろう。

 だが理奈は気付いてもいないのか、先輩たちから離れると平気な顔で話題を変えた。


「陽、今日バスケ部に入るよね? 別に仮入部期間だからって正式に入部できない決まりはないんだし」

「いやちょっと待て。まだ俺、バスケ部に入るって決めてないぞ」

「え、なんで?」


 ……この幼馴染の中では、俺がバスケ部に入部することは既に決定事項になっていたらしい。

 暴君もいいところだな思いながら体育館の敷居を跨ぐと、藍田奏の背中が視界に入った。

 先輩らしき男子生徒と話をしている。


「噂には聞いてるよ、藍田さん。まさかあの"高嶺の花"がうちのマネージャー志望だなんてなぁ」


 まだ入学から一週間程度しか経っていないのに、藍田の噂は随分広がっている様だった。

 上級生にまで知られているなんて、噂が回るのは本当に早い。


「気になる?」


 いきなり横から首を伸ばしてくる理奈に、思わずたじろいだ。


「別に、藍田を見てたわけじゃ……」


 そこまで言うとハッと我に返った。


「一言も藍田さんとは言ってないんだけど?」

「ああいや、うん。俺も藍田を見てたとは言ってない」

「ふーん……ま、いいや。それで陽、私思ったんだけど」


 理奈はニヤリと笑う。

 途端に俺はその場から逃げたくなった。理奈がこの顔をする時は、大抵ロクでもないことなのだ。


「やっぱりさ、陽介が迷ってるのって男バスのレベルをまだ知らないからだと思うの」

「いや、別にそんなこと──」

「だから、今からあの集団の中で一番上手い人と1on1しなよ!」

「──は?」

「おーい、先輩方ー!」

「おいばか!」


 俺が止める間も無く理奈が叫ぶ。


「ここにいる陽介くんが、先輩方の中で一番バスケが上手い人と1on1したいそうでーす!」


 本当に呼んでしまった理奈に唖然とする。

 普通なら寸前で止めると思う。


「おっけーい、俺行くね! キャプテンだしー!」


 そして想像をはるかに超える軽いノリでキャプテンが駆け寄ってきた。


「俺と1on1したいのは君かい?」


 下級生のふざけたノリに巻き込まれたというのに、このキャプテンは随分と寛容なようだった。

 中学時代の主将なら、絶対にこうはならなかったはずだ。


「おーいお前! 1on1なんて百年早いぞ、大人しく校庭走っとけ!」


 外野から飛ばされる野次に、息を吐く。

 まあ他の先輩方からしたら、新入生が開口一番何言ってんだって話になるのも当然だ。

 キャプテンは後ろに「いきなりなんてこと言うんだ!」と野次を咎めている。

 恨めしい表情を作り理奈の方を見ると、素晴らしい性格をした幼馴染はもういなかった。

 どうやら部室に逃走したらしい。


「なに言ってんだ、お前に言ってんだよキャプテン! 校庭十周しろー!」

「え!? それ俺に向けての言葉だったの!?」

「おーい一年、キャプテンボコボコにしろー!」


 視界の隅で、藍田が控えめに笑っているのが見える。

 どうやら先ほどの野次はキャプテンに向けてのものだったらしい。

 ──このバスケ部は、どうやら俺が中学時代に所属していたバスケ部と毛色が違う。

 一安心してコートに移動すると、野次を飛ばしていた先輩の一人がボールを投げてくれた。


「キャプテン、もちろんオフェンスは一年にさせてあげるよな?」と言いながら。


 ボールを寄越してくれた先輩にお礼を言って、ゴールリングの方に向く。

 ゴールリングの下にはキャプテンは、既にディフェンスの構えを取っていた。


「よっしゃ、ばっちこい」


 気軽な調子で声を掛けてくれるキャプテンに、「よろしくお願いしますっ」と返しドリブルを開始する。


 すると先ほどまで軽口を叩いていた先輩は真剣な眼差しに変わり、周囲も静かになった。


 ──注目されている。


 久しぶりの感覚に血がフツフツと湧き立つのを感じる。

 久しぶりのバスケ。

 久しぶりの1on1。

 ボールが地につくたび手に納まる感覚、ズッシリとしたボールの重量感。

 俺、やっぱりバスケ好きだ。

 そんな思いが身体を駆け巡る。

 唐突にキャプテンの手が伸びた。

 ──スティール?

 伸びた手とは逆方向に身体を回転させる。

 周りから「おぉっ」という声が聞こえてきた。

 フェイントもせずにただ躱しただけだ。

 相手は上級生。

 こんなその場しのぎのドリブルで抜けたら苦労は──。

 ところが、前方を見た視線の先には誰もいなかった。

 頭の中にはてなマークが踊る。

 ──まさか、わざと抜かせて後ろから?

 そう判断するや否や素早く横にステップを踏むが、ディフェンスがこちらに詰めてくる気配はない。

 怪訝に感じながらもゴール下のシュートを決め、後ろへ振り返る。

 ……キャプテンは尻餅をついていた。

 アンクルブレイク、身体の重心がズレてバランスを崩す現象。

 普通は素早いフェイントに食らいついていくディフェンスに起こる現象で、さらにかなりの実力差がないと滅多に起こらない現象なのだが、まさか今の攻防で起こるとは。


「いやー、すごい。やるな君!」


 起き上がって呑気に握手を求めてくるキャプテンについ、「キャプテン、本気でしたか?」と訊いてしまった。

 俺の悪い癖だ。

 後先考えずに思ったことが口をついて出る時がある。

 しかしキャプテンは満面の笑顔だった。


「本気だったって! まじで強いよ君、うちはまだ弱小だから今入ればレギュラーは確実だわ」

「はぁ……ど、どうも」


 キャプテンの言動で、一つ悟った。

 このチームは結果より、楽しさを求めるのだと。

 俺が逆の立場なら、こんな楽しそうに笑うことなんてできない。

 中学バスケを部活のバスケと例えるなら、このチームは体育のバスケ。

 だが、それもいいだろう。

 元より結果を重視するのならこの高校には来ていない。

 それに中学時代、レギュラー争いに凌ぎを削り続け合っていたチームに所属していたこともあり、こういった和気藹々とした雰囲気は新鮮に感じる。

 高校では、中学のように失敗したくない。

 その為には、今の雰囲気が丁度いいのかもしれない。


「よっしゃー、一年に負けたことだし校庭でも十周すっか。おい、お前らもこい! 連帯責任だぞ!」


 キャプテンの掛け声に見物していた先輩たちは「ふざけんなてめー!」などと再び野次を飛ばしたが、有無を言わさないキャプテンに渋々付いて行った。


 先輩たちが出ていくと、あれだけ騒がしかった体育館が急にシンと静かになる。

 今体育館にいるのは俺と藍田のみ。

 予想外の状況に、思わず身体が強張った。


「桐生くん」


 静かな声で語りかけてくる藍田に、動揺を誘われないように表情を隠す。


「あ……藍田」

「ナイスプレー、相変わらずキレのある動きだね」

「ど、どうも」


 気軽に話しかけてくる藍田に、少し複雑な気持ちになった。

藍田の中で、半年前のあの屋上のことはなかったことになっているのか。

 それとも、半年も経っているのにうじうじ考えてる自分がおかしいのだろうか。

 藍田にとってはそれほど重要な出来事じゃないのかと心の中で疑念に思う。

 ……それならそれで、いい。

 また、こうして普通に話せるなら。

 これから一年間も同じクラスなのに、自分だけこんな気持ちを燻らせておくのは嫌だった。


「桐生くん、本気出してた?」

「……本気に見えなかったのなら、それが正解」


 中学生のころのノリで冗談を交えた返事をするも、まだ緊張してまともに藍田の目を見れない。


「ふふ、桐生君らしいね」

「だろ」


 かつて俺は、藍田とするこういった日常の会話を、とても気に入っていた。

 誰もが美人と羨む藍田と二人きりの空間を持てるという優越感も、多少あった。

 だがそれ以上に、藍田と一緒にいる時間が心地良かったのだ。

 藍田が"高嶺の花"と呼ばれていた中学時代、他校の生徒にも関わらず会うたびに二人で話し込んでいた俺は反感を持たれたのか、試合でよく必要以上にディフェンスマークを厳しくされていたことを思い出す。


「桐生くん」

「ん?」

「バスケ部、入りなよ」


 藍田から誘われて、心が揺らぐ。

 正直、とても迷っていた。

 俺にとって部活とは、レギュラー争い、そして勝ちを追求していくものだったが、このチームはいささか和気藹々としすぎている。

 こういった雰囲気は嫌いではないのだが、これが部活と言われるとしっくりこないのが本音だ。

 それに中学時代のことを考えると、俺がこのチームにうまく馴染めるかが不安だった。


「私、桐生くんがいないと嫌」

「え?」


 藍田の突然の発言に耳を疑う。


「桐生くんのプレーが見れなきゃ嫌」

「ああ、うん」


 がっかりしたような、ほっとしたような。

 こうした思わせぶりな言動に落とされた男子がいたとしたら、同情せざるを得ない。


「私、今日ここに来たのって桐生くんが来ると思ってたからなんだよね。ほんとは私、テニス部に入る予定だったの」

「藍田ってテニスやってたんだ」

「やってないよ?」

「おい」

「でもさ、さっき桐生くんのプレー見て、それにこのチームの雰囲気感じて。私、ここのマネージャーになりたいなって思った。だからさ」


 藍田は続ける。

 俺は相変わらず藍田の口元を見ながら、なぜ藍田はこんなにも熱心に誘ってくるのだろうと考えていた。


「一緒にこのバスケ部、入ろ?」


 なぜ俺を振った藍田が、部活に誘ってくれるのかは分からない。

 振った相手を誘うというのは、振った本人からしても気まずいものだと思っていたから。

 だが俺にとって藍田の誘いは、戸惑うものではあっても、決して嫌なことではなかった。


「……うん、おっけー。入部するわ」


 気付くと、自然にそう答えていた。

 俺の答えを聞いて、藍田は口を緩めて笑う。


「……そっか!」


 藍田の誘いに応じたのは、弱小チームをインターハイに導くだとか、そんなスポ根精神からきた理由ではない。

 単純な話、俺自身が変わる為には、環境を変えるしかないと思ったから。

 加えて、この胸の中で燻っている思いをハッキリさせておきたかった。

 そんな理由でこれから三年間も所属する部活を決めるなんて、自分でもどうかしてると思う。

 気持ちに整理をつけると、いくらか緊張が解ける。

 顔を少し上げると、久しぶりに藍田と目が合った。

吸い込まれるような大きな瞳が、俺を映している。


「やっと目、見てくれた」


 藍田の微笑みに、思わず見惚れる。

 かつての俺の惚れた笑顔が、そこにあった。

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