第2話 藍田奏
──藍田奏と出逢ったのは、中学二年生の夏。
当時所属していたバスケ部が出場した、地区大会の会場でだ。
中学時のバスケ部は公立ながら全国大会に出場した経験もある強豪で、県大会には毎年出場していた。
そのため、当然市内では名が通っており、俺自身もまたチームのシックスマン。
試合後、地区予選で相手校に県大会常連の力を見せつける形となった俺のチームは、会場の後片付けをしていた。
なぜか試合に勝ったチームが後片付けをするのが暗黙の了解となっているのだが、昔からの伝統とされているので仕方ない。
疲れた体に鞭を打ちながらパイプ椅子を運んでいると、目の前でジャージ姿の女子がボードを落とした。
「ボード落としましたよ」
拾ってやると、女子は慌てたように受け取った。
「すみません。ありがとうございます」
──可愛い。
その女子を見ると、疲労した身体に電流のような衝撃が流れた。
艶のある黒髪に、滅多にお目にかかれないほどの綺麗で白い肌。
日本美人とはこの人の為にあるのではなかろうか。
そしてその日本美人は、驚くべきことに俺の名前を口にした。
「もしかして、桐生くんですか?」
「え、もしかしてファン?」
とっさに出たつまらない冗談に、日本美人はクスクスと笑った。
それが女優を彷彿とさせるような仕草で、胸が暴れ出す。
「いえ、先ほどあなたに負かされたチームのマネージャーです」
「ああ」
名前を知っていたのは対戦相手の選手名簿を見たからという訳だ。
相手チームにこんな美人なマネージャーがいたなんて、試合に勝って勝負に負けたみたいだと感じる。
「その様子だと、私がマネージャーってことは気付いてなかったんですね」
「ごめん、試合中は選手の顔しか見えないから」
いくら美人とはいえ、試合中にまで気を取られていては勝てる試合にも勝てなくなる。
日本美人も俺の言い分に頷いた。
「だよね。でも、桐生くんのプレーには驚きました。ウチの男バスはまだまだ弱いので、色々参考にさせてもらいます」
「そんなそんな」
普段いいプレーをしても褒めてくれるのは男ばかりだったので、素直に照れる。
「私、藍田奏っていいます」
「桐生陽介です、よろしく」
──これが、藍田奏との初めての会話。
「手伝いますよ」という藍田の申し出に甘えると、初対面同士にも関わらず意外にも話は盛り上がった。
「桐生くんってなんでシックスマンなの?」
「なんでって?」
片付けを終えたあと、藍田は思い出したかのように質問してきた。
「だって桐生くん、スタメンのどの選手より得点稼いでたよ」
シックスマンとはスタメンが不調の時に交代したり、試合の流れを変える為に投入されるチーム第二のレギュラーだ。
バスケ部の中でも一際筋の良かった俺は、中学一年の時からこの役職についており、それは中学二年になるまで続いていた。
一年生でシックスマンになる実力を持っている選手は、二年生に上がるとスタメンになるのがごく自然の流れなのだが、俺は二年になってもシックスマンに甘んじていた。
そのことに藍田は疑問を抱いたのだろう。
「試合の流れを変えるのが楽しいから。自分の存在の大小が分かる瞬間が楽しいんだ」
スポーツには、試合の流れというものが確かに存在する。
流れが悪い時に試合に投入された自分が華麗にシュートを決め、それまで相手側にあった流れを一気に引き寄せる快感は、スタメンでは味わうことができないと思っていた。
藍田の質問に馬鹿正直に答えたのは、この女子が初対面で、今後会う機会も早々無いだろうと踏んでいたからだ。
藍田は答えを聞くと目をぱちくりさせ、吹き出した。
「正直な人」
──今後もう会うことはないだろうという俺の見解は、幸か不幸か大きく外れた。
度々申し込まれる練習試合に、大会の地区予選。
その度に藍田と顔を合わせ、色んな話をした。
最初は主にバスケの話。どんなプレーが理想とか、今までの試合で一番白熱した試合の話とか。
顔を合わせる度に、お互いの私生活の話も増えていった。
たまにしか会わないのに、会う度に一段階深い関係になっている気がして、心が踊っていた。
◇◆◇◆
「陽、学校着いたよ?」
「え?」
昔のことを思い出していると、学校に着くまでは一瞬だった。
「さっきからいくら話しかけてもぼーっとしちゃって。どこか具合でも悪いの?」
「いや、悪い。普通に聞いてなかった」
「へえ、いい度胸ね。どこから聞いてなかったの?」
下駄箱前でくるりとこちらに向き直る理奈に、「全部」とだけ告げて上履きを手に取る。
理奈は俺の言葉にあんぐりと口を開けた。
「ぜ、全部!? じゃあ私が友達とおっきなジンベイザメのぬいぐるみとツーショットした話は、その後二人でたこ焼き食べて私だけお腹壊した話は!」
「なんだそれ、多分聞いてても反応は変わらなかったぞ」
教室に向かいながら、あくびを噛み殺す。
理奈のクラスとは隣同士で、俺は手前の教室だ。
理奈とは一旦ここで別れ、日直の仕事をしなければならない。
今日はそのために早起きしたのだから。
「じゃあな、タコ」
「タコ言うな。てか今日私付いていく意味あったの!」
「……多分」
「おい!」
ヒラヒラと理奈に手を振りながら、教室に入る。
一-B。俺のクラス、そして藍田奏のクラスでもある。
「……抜けてねーな」
事あるごとに彼女を思い浮かべてしまう自分自身に、小さく呟いた。
北高校に入学して一週間半。
藍田奏と同じクラスになったと分かったときは、嬉しいような、気まずいようなという気分。
今朝の登校で話をしたのが久しぶりの会話だったのだから、彼女が都度頭に浮かんでくるのは仕方ないことなのかもしれない。
もっとも、あの挨拶を会話と呼べるのかはわからないが。
「……はぁ」
溜息を吐きながら教室の扉を開ける。
中には先客がいた。
金色に染めた短髪が特徴の、名前は
「工藤辰則です、個性を発揮するために二週間限定で金髪にしてみました! タツって呼んでください!」
一つ後ろの席でそんな自己紹介をされては、誰だって覚えてしまう。
「あれ、桐生。今朝は早いんだな」
まだ殆ど話したこともないのに、フレンドリーな話し方だ。
髪の毛を金に染めるだけはある。
「おはよ。工藤こそ」
「タツでいいって」
ニヘラと人懐こく笑う金髪に釣られて笑い、「ならタツで」と言った。
「それで、なんでいるの?」
俺の問いにタツは目をしばたかせた。
「なんでって、日直だし」
「今日の日直俺だけど。俺の名前桐生だよ、日直名前順だったろ」
「……まじで?」
本気で勘違いしてたらしいタツは「嘘だろおおお」と叫び回った。
せっかくの早起きが無駄になったのだ、気持ちは分かる。
「じゃあ、早起きのついでに手伝ってよ」
「それで日直の仕事したことになるなら」
「無理だと思うなあ」
「そ、そんな…… 」
大げさにショックを受けるタツに思わずクックッと笑いがこぼれた。
クラスのムードメーカーになるのは、タツのような人間が相応しい。
高校生活は、まだ始まったばかり。
今更ながら、期待に胸が膨らんでいるのを感じた。
◇◆
「陽、仮入部いこ、バスケ部!」
理奈が一-Bに飛び込んできたのは終学活の終わりの挨拶をした時だった。
北高校、略して北高の仮入部期間は入学式から一週間後に始まる。即ち今日だ。
新入生は仮入部期間である三週間の間に色々な部活を体験し、どこに入部するのかを決めなければならない。
「いきなりバスケ部? せっかくだし他も見て回ろうぜ」
俺は北高に進学する際、ここの男子バスケ部に大した実績がないことは知っていた。
というかこの高校は、女子バスケ部以外のほとんどの部活が県大会にすら出場したことがない。
男子バスケ部もその例に漏れず、俺はそんなバスケ部に大した思い入れはなかった。
かといってバスケ部以外の部活にアテはないので、仮入部期間にできるだけ多くの部活を周りたかったのだが。
「あったりまえじゃない、今日はバスケ部、明日も明後日もバスケ部よ」
「……あーい」
逆らった方が面倒なことになりそうだと、渋々了承する。
念のため、バスケットシューズは持ってきていた。
「じゃあ体育館前で待ってるからね!」
理奈はそう言い残し嵐のように去って行った。
すっぽかしたら理奈は怒るだろうかと本気で考えていると、後ろの席のタツが急に話しかけてきた。
「今の女子、彼女?」
「いや、幼馴染」
「かわいいじゃん」
「顔はな」
この手のやり取りは入学してから一週間足らずでかなりの人数としたと思う。
主に男子とだが、タツのような誤解は女子の間にも生まれているようだ。
理奈本人は全く気にしてない様子なので、俺も質問されない限りわざわざ訂正しに行く気はない。
そのうち、俺たちが付き合っていないことも分かるだろう。
「いいねえ、青春だねえ」
「おっさんかよ」
タツのからかいにツッコみ、席を立つ。
「バスケ部行くの?」
「まあ行かなきゃ理奈が面倒だし。タツも来る?」
「いや、俺はいい。部活説明会で行きたいところは決まったから」
意外にも、タツはしっかりと部活説明会を見ていたらしい。
バスケ部以外にアテのなかった俺は半分寝てしまっていたというのに。
「ちなみにどの部活?」
「縁があったらまた巡り会いましょう」
……つまり、教える気はないそうだ。
とりあえず今日はバスケ部に行こうとタツに背を向けると、前方の女子グループがちょうど教室から出ようとするところだった。
グループの中心には、藍田がいる。
「藍田さん、今日どの部活見に行く?」
「んー、今日はバスケ部見に行くつもりかな?」
「えー、藍田さんバスケできるんだ、すごいね!」
「ううん、違うの。中学の時男バスのマネージャーだったから──」
そのままキャッキャと話しながら女子グループは教室から出て行った。
「……バスケ部行ってくるわ」
「なんかさっきよりやる気出てね?」
「出てない」
体育館までの道のりはとても一瞬だった。
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