第8話 希望(2)

「いったいこれはどういうことだ!」


 ヴィテトパンは苛立ったように叫ぶ。


 麻酔で眠らせたウサギやマウスの腹部を切開し、その状態のままで発症する様子を観察する。

 内臓が破裂するところを直接観察すれば原因もつかめるだろう、と数匹のマウスで実験をしてみることとなったのだ。


 しかし、それでも尚、病状をつかむことができなかった。

 秒間二百フレームのカメラで撮影しても、臓器が破裂するその瞬間まで兆候すら捕らえることができないのだ。


 だが。


「問題の場所は分かった」

「分かった、だと? これでどこの臓器の異常なのか、お前には分かったと言うのか?」

「落ち着いてくれ。そうじゃない」


 ウォレンは興奮するヴィテトパンを宥めながら説明する。


「こっちの図を見てくれ」


 画面に映し出したのは、ウサギの内臓破損状況を示した図である。

 そして、マウスの写真を横に並べる。


「最大破損個所は、マウスとウサギで一致していない。そして、人間も違う。同じなのは、場所なんだ」

「場所……?」

「四肢を除いた体の中央付近。重心位置とはまた違うようだな」

「そんなことが……」


 ヴィテトパンは納得がいかないと言った様子で首を横に振る。


「だから、一つ試してみたいことがある」


 開創器などを使って破裂する箇所から内臓を除けておいたらどうなるのか。

 それで核となる臓器はわかるだろう、というのがウォレンの考えである。


 マウスでは小腸から胃のあたり。

 ウサギでは肝臓を中心に肺から胃を含む範囲。

 切開した動物の内臓を丁寧に掻き分けて、合成樹脂を詰め込んでおく。

 この状態で発症すれば、どの臓器が中心となるのかが分かるはず。


 倫理的に問題視されそうな、かなり乱暴な手法ではあるが、単純であるがゆえに結果は明確になるだろう。

 そう期待してのことだった。


 ヒトはともかく、マウスやウサギは既に半数以上が発症し死亡している。

 もう形振り構っていられる状況でもない。




 ケンドリス研究室でのウサギにに運動をさせるという実験は上手く行っているようだった。

 二日目で、偏りがでてきたのだ。

 運動させていないグループは三匹が発症しているのに対し、運動させているグループの発症数はゼロである。


「偶然、である確率は14分の1程度ですね」


 ミケイロンは冷静に分析結果を報告する。


「明日の朝には発表できるように準備を進めておきます」


 コズエットはミケイロンとヨシュビアからデータを受け取り、公開用資料の作成に取りかかる。

 一般向けに分かりやすくまとめる、というのも中々大変な作業である。医学・生物学・統計学、それらの難しい概念を出したって、多くの文系の一般市民には全く何のことやら分からないだろう。


 だからこそ、それでもこの作業は大変重要なものである。

 市民が混乱せぬよう、最新の注意を払って、誤解を与えないよう、理解しやすいような資料を用意しなければならない。

 思い込みの激しい者たちが研究所の周囲で座り込みをしている分にはまだ実害が無いが、まかり間違って暴動をおこしたり、武装して突入でもしてこられたら大変である。




 結論として、運動不足が発症率を高める、というのは間違いが無さそうであった。

 運動させているウサギたちは三日目も元気に走り回っており、発症数はゼロのままだった。


 その結果を以って、ケンドリス博士とメルズリッサ博士は並んで記者会見に臨んでいる。

 全く新しい奇病についての説明が終わると――説明中から一部の記者から罵声が飛び、度々中断しているのだが――、怒涛のように罵詈雑言ばかりが浴びせられたのだった。

 いつまでも口汚く罵るだけの者は警備員に摘まみ出されるという騒動が起こったりもしたが、一度休憩時間を挟んで、改めて質疑応答が始まることとなる。



「運動不足が発症を早めることになる、とおっしゃいましたが、運動をしていれば大丈夫なのですか? もう少し詳しくご説明いただきたいのですが」


 第一の質問は、落ち着いた口調で発せられた。

 暴言を撒き散らすだけの者とは違って、きちんと理知的な質問をする記者もちゃんといる。

 だが、これに関しては二人の博士は苦い顔をするしかできない。記者のせいではないし、きちんと答えねばならない真っ当な質問だからこそ苦しいのだが。


「今日や明日ならば恐らく大丈夫と言えるが、一ヶ月後となると分からないとしか言いようがない」


 ウサギの最初の死亡から、まだ一ヶ月も経っていないのだ。

 この病気の潜伏期間も全く分かっていない。


 ゼスカたち研究室メンバーもドミネアと同時期の感染と考えて問題ないだろう。

 ドミネアだけが極端に早い時期に感染した、とするのはどう考えても不自然だ。

 ウサギとの接点が最も多いヨシュビアの方が、より早くに感染している可能性の方が余程高い。


「運動不足の場合、一週間程度は死期が早まっていることが確認されている。継続的に運動エクササイズをしている者で発症した例はまだない。だが、彼らも明日発症するかもしれない。あるいは一ヶ月になるのかもしれない。もしかしたら、何十年も発症しないのかもしれない。だが、それは今はまだ分からない」


 医学的見地、というのも面倒なものである。

 いや、医学に限らないが、未知のものは未知でしかないのだ。

 もちろん、類似した事象から推定できることもあるが、全く推定すらできないことも多い。


「目下、調査中です」


 メルズリッサ博士の言葉は、そう締めくくられた。

 質問をした記者の女性も難しい顔をして睨んでいるが、これ以上の情報は引き出せないと判断したのだろう。そこで引き下がった。



「どうして、新しい感染症が発生したのですか?」


 高校の教科書読めボゲエ! と返したくなるような酷い質問である。

 細菌、あるいはウイルスが突然変異したのだろう、としか言いようが無い。というか、新しい感染症が発生する理由はそれしかない。


「そういったことは予測できないのですか?」


 分かるかドアホ! と言いたいところだが、ある程度は予測しているに決まっている。だから、防疫体制は取られているのだ。

 研究室や実験室への入退室の際の除菌・滅菌は徹底されているし、研究員の健康診断も月に一度は行っている。

 そういった諸々のルールは定められているし、運用もされている。これまで何十年もそうしてきているし、そのルールも何度も改定・改善されている。

 おまけに、安全管理に関しての定めや運用・監査結果は、公開している。

 周辺住民が、この運用では不安があると思えば指摘できるようになっているのだ。


「じゃあ、どうして感染が広がったんですか?」

「それが分からんから、困っているのだよ! 分かっていれば対策を立てた上で、これ以上広まらないよう対処している」

「そんなこと、分かるわけ無いでしょう!」


 メルズリッサ博士の回答に逆切れする記者だったが、「そんなことは小学生でも考えれば分かる」という別の記者の発言によって一笑に付されるのみだった。



「全く新しい感染症、とのことですが、治療法も予防法も不明な状態で発表したのは一体どういった理由でしょうか? 不安を煽ることにしかならないと思いますが」


 この質問は、もはや予定されていたと言って過言ではないだろう。

 答えは単純なことだ。

 今回の発表の目的は、一般市民に運動をすることの重要性を周知することにある。

 感染症が広まっていることは、遅くとも数日内に気付く者が出てくるはずである。それは医療関係者である可能性が高いが、マスコミなどの中にも医療方面に詳しい物はいるだろう。

 そこで大騒ぎされると、手が付けられないほどのパニックになる可能性が高い。

 ならば、先に『運動することで発症を遅らせることができる』と発表してしまった方が混乱が少ないと考えたのだ。



「今回の件について、どのように責任を取るつもりですか?」

「全力で対処に当たります」


 端的に答えるケンドリス博士。だが、記者はそれで引き下がろうとしなかった。


「亡くなった方もいるんですよ? 博士の進退とか遺族への補償とか色々あるでしょう!」

「君は自分が言っていることの意味が分かっているのか? 今、私たちが辞めたら、この病気を研究する者がいなくなるが、それで構わないという人は少ないと思うのだが」


 メルズリッサ博士は呆れたように答える。

 そもそも、現時点ではこの病気自体がとする根拠が無いのだ。


 確認する方法は簡単である。

 使用していた薬剤を、完全に隔離した未感染のウサギに与えれば良い。

 薬の投与が病気の発生原因ならば、それで同じ病気が再現するはずである。


「我々に責任を負え、と言うならばそのくらいの実験はしてきてくれたまえ」


 メルズリッサ博士はバッサリと切り捨てて、次の質問を促す。

 だが、記者はしつこく食い下がる。


「どんな薬を使っていたかも分からないのに実験なんてできるわけない! 無責任なことを繰り返さないでください」

「研究していた薬品の組成や製造方法は先ほど説明したし、配った資料にも書いてあるだろう。なぜ分からないのだね?」


 このに及んで薬剤の組成等を秘匿するのは悪手あくしゅだ。

 広く公開して、世の中の他の医療関係者たちの研究の足しにでもした方が良い。

 理事会の総意で、そう結論付けられたのだ。



「治療法、あるいは予防について何かしらの目途は立っているのでしょうか?」


 ようやく煩いのが引き下がったと思ったら、また厄介な質問である。

 こちらは当然出てくるべき質問ではあるのだが……


「目下、調査・研究中です。現状では、コメントできることはありません」

「それは、全く目途が立っていないということでよろしいですね?」

「否定しません。進展があり次第、順次、発表していきます」


 ケンドリス博士は沈鬱な表情で重苦しそうに答える。

 実際問題、目途が立っていないどころか、暗中模索の状態なのだ。


 その後も幾つかの質問があげられたが、とくに大きな問題もなく記者会見は終了した。

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