第7話 希望(1)

 夕食後、ゼスカたちケンドリス研究室のメンバーはそろってトレーニングジムに来ていた。

「研究室内に籠っていても、新しい発想は出てこない」とのヨシュビアの意見にみんな賛同したのだった。


 ジムはノデンス医療研究所の福祉サービスの一環として、同一の建物内に用意されている。

 既に、研究所の他の研究室は閉鎖され、建物自体への立ち入りが禁止されているため、感染を撒き散らす心配はない。

 もっとも、プールは使えないのだが。


「泳ぎたかったのだがな……」


 水泳を趣味にするゼスカは不満そうだが、こればかりは仕方が無いだろう。


「そういえば、ドミネアはここにあまり来ていなかったな……」


 自慢の筋肉を晒し、筋トレをしていたミケイロンがダンベルを置きながらぽつりと言った。

 ドミネアは運動を得意としておらず、一人暮らしということもあり、普段から不摂生な生活であった。


「適度な運動は、気晴らしに有効なことは医学的にも証明されているのだがな」


 そういうヨシュビアは、ゼスカと並んでランニングマシーンの上で疲れた様子も見せずに走り続けている。


「ちょっと待て。うちの研究室でジムここを使っていないのは、ドミネアだけか?」


 ゼスカの言いたいことに気が付いたミケイロンとヨシュビアは互いに顔を見合わせる。


「運動量が関係しているのか? いや、代謝能力か?」

「ストレスのレベルというのもあり得るな」

「体脂肪率はどうだ?」


 だが、ここで議論していても仕方が無い。

 その線で調べてみることにして、各自、トレーニングに戻っていく。

 二時間は運動をする、と決めたら運動をするのだ。途中で放り出して研究室に戻りはしない。


 本当に運動が大切ならば、運動を放り出して研究に没頭するなど愚の骨頂である。




 第四の犠牲者が出た。

 メルズリッサ研究室のバーシェミだ。

 運動気晴らしを終えて、研究室に戻って来たゼスカたちは、さっそくメルズリッサ研究室へと先ほどの仮定についての話についての意見を聞こうとしたのだが、それより先に悪い報告が来てしまった。


「端的に聞きたいのだが、バーシェミは普段から運動をするタイプか?」

「あ? 運動? それがどうした?」

「ドミネアは私たちの中で、最も運動をしないタイプだ。私たちのなかで、最も大きな差は恐らくそこではないかと思う」

「運動が関係していると? 動物の方はどうなんだ?」


 ウォレンの指摘の通り、最も発症例が多いのはウサギ、次にマウスだ。

 だが、運動量やストレスといったことは、ウサギたちの環境はほぼ同じになるよう調整されている。

 当然のことである。

 そもそもが、ウサギたちは新薬の開発の実験に使われているのだ。

 動物実験は、そう多くのデータを集めることができない。

 ある種の理学や工業実験のように、少しずつ条件を変えて何千、何万という単位の数でデータを取るものではない。そんなことをすれば、間違いなく動物愛護団体が大騒ぎをするだろう。

 であれば、環境のバラツキノイズは少ない方が良いに決まっている。

 ケンドリス研究室のウサギたちは、性別、年齢によっていくつかのグループに分かれているが、それ以外の要素はできるだけ排除されるように飼育されている。


「確認してみたが、バーシェミはメルズリッサ研究室うちで一、二を争う運動不足らしい」

「そんなことを争わないでくれ。で、もう一人は無事なのかい?」

「ああ。念のため、ハニベットには今すぐジムで汗を流してくるように言っておいた」


 ウォレンは笑いながら言う。

 そして、第二、第三の犠牲者について確認してみると、肥満タイプであることが確認された。

 ウサギたちも、肥満と言うほどではないが、運動不足感は否めないようだ。ヨシュビアによると、狭いゲージでは運動量の確保が難しいらしい。



「運動をしていれば発症しないってんなら、全然余裕じゃねえか?」


 資料を見ながらザキュエイが呟く。


「健康な者ならば、な。風邪を引いて寝込んでいたら発症する、かも知れんぞ」

「風邪で二、三日ならともかく、怪我や病気で二、三週間となると、マズイかもな」


 可能性の話をするとキリが無い。いくらでも疑わしい要素は出てくるだろう。


「ウサギを分けようか。と言っても、残りの数から考えて多くて四グループくらいか」

「運動量の多い、少ないで良いか? 」

「そうだな。筋肉や脂肪の量では難しいだろう」

「何を基準に分ける?」

「今と変わらないグループと、激しく運動させるグループで良いんじゃないか? 運動が発症に関係あるとしても、ウサギと人間の運動量のマッピングが全くわからない」


 ウサギでの発症率と運動量の関係が分かったところで、人間だとどれだけの運動をすれば良いのかは分からない。

 第一、そこらの一般人では何キロカロリーの運動が必要だとか、運動強度がこれだけ必要と言われたところで分からないのだ。


 だから、ウサギを走らせて効果があったなら、「ジョギングしましょう」で良いのだ。

 おそらく、「何分走れば良いのか?」といった質問はくるだろう。だが、それも「ヘトヘトになるまで」とか言っておけば良いという結論だ。

 そもそも、人によって体格も体力も違う。年齢によっても必要な運動量が違うかもしれない。

 結局のところ、何も分からないのだから、『臨機応変に』とでも言って誤魔化すしかない。



「正直、運動の多寡が発症の有無に関連する、というのは俺は賛成できないな。確かに運動不足が免疫力の減退に繋がるが、それが発症の閾値を跨るとはなあ…… もっと感染力も弱いならともかく、除染を乗り越えて広まるようなヤツだぞ? そんな強力な細菌だかウイルスなら、そんな程度に影響を受けないだろう」


 ウォレンはそう言うが、実際に運動不足は発症者に共通することであることが確認されている。


「そもそも、運動不足というならば、高齢者の多くは運動不足ではないか?」

「代謝能力が低下すれば、その分だけ必要な運動量も低下する、とも考えられる」


 それがこじつけなのか、的を射ているのかは今のところは分からない。

 子どもに関しては、この州では、運動不足解消のプログラムは色々と考えられているため、多くの子どもたちは代謝に見合った運動量があると考えられる。


 筋肉や脂肪の量や率が影響することも考えられるが、現状の症例だけでは情報が少なすぎる。

 あと百人くらい犠牲者が出れば、傾向も掴みやすいだろう。


「ジレンマだな」

「昔からそうさ。医学は大量の犠牲者の上に作られてきているんだ」


 たとえば、肺炎が『肺炎』と認識されてから効果的な治療薬が作られるまで、一体何百万の人が肺炎で死んだのだろうか。

 新しい病気が発見されて特効薬が作られるまでの死亡者が千人にも満たないのなら、それは医学の進歩の賜物といえよう。



 希望が見えたかのようにも感じたが、悪いニュースは止まらない。

 翌日も発症者が報告された。


「ベイジエンで似た症状の死亡者が出たそうです。十九歳、男性。身長は百七十、体重百十。かなりの肥満ということです」

「また肥満か」


 ウォレンは思わず苦笑する。

 だが、発症者に偏りがある、と認めざるを得ないだろう。

 そして、もうひとつ。


「封じ込めは、完全に失敗した」

「同じとは限らないんじゃ……」

「それをこれから確認する」


 先方の病院と患者の症状についての情報交換をする。

 と言っても、こちらが持っているのも、たった四例だ。


「これからどうなる?」

「分からない。広域に広まっていることが分かったら、世間に発表せざるを得ないだろうな」


 そして、早々に動きがあった。


 過激派市民団体が騒ぎ出したのだ。

『危険な研究所を潰せ』

『マッドサイエンティストに裁きを』

 発表から半日も経たないうちに、横断幕やプラカードを持った者たちが研究所周辺を取り囲みはじめた。


「これはまた随分と動きが早いな」

「どんだけ暇なんだ? ああいった奴らは」


 ヨシュビアたちもテレビニュースを見ながら呆れるばかりである。

 この研究室には窓が無い。

 当然である。ほとんどの研究室にとって、太陽光なんて邪魔以外の何物でもない。

 太陽光が必要なのは、本当にごく一部の研究に過ぎない。紫外線に弱い菌や薬品を扱っている研究室にとっては邪魔でしかない。

 さらに、菌やウイルス、あるいは危険な薬品が漏洩するリスクを上げる危険なものだ。

 だが、素人にはそんなことも分からないのだろう。


「放っておけ。あいつらもこの中にまで入ってくる気は無いだろう」

「いえ。さっき、数人入ってきてましたよ?」

「は? バカじゃねえのか? いや、タダで被験体が手に入ったと考えるべきか。ありがたいことだ」


 ザキュエイは一瞬、驚愕に目を剥くが、すぐに平静を取り戻すと冷淡に言う。

 警備ロボットに捕らえられた侵入者三人は、ケンドリス研究室に連れてこられてきた。


「さて、君たちも立派な感染者だ。我々の実験につき合ってもらうよ」

「ふざけるな!」

「この悪魔どもめ! 監禁罪で訴えるぞ! 今すぐ解放しろ!」

「残念ながら、監禁罪は成立しない。私たちは医師で、君たちは患者だ。感染症拡大防止のために隔離させてもらうよ」


 侵入者たちは口々に罵詈雑言を並び立てるが、ゼスカは相手の言い分に取り合うつもりも無い。

 彼らは警備ロボットから逃げて、『入ってはいけない区画』にまで入り込んでしまっていた。


「そもそも、現在、この研究所の建物の中全体が汚染区画として隔離されているんだ。その中に入ったら最後、解決するまで出られないのさ」

「君たちはも、ここが医療研究所だと知って入ってきたのだろう? 治療薬もない危険なウイルスや細菌を取り扱っているんだ。触れた者を外に出すわけにいかない。君たちは新たな病気を撒き散らすつもりかね?」


 そこまで言われてやっと気付いたのだろうか。三人は顔色を悪くし、互いに目配せをしている。


「俺たちは死ぬのか……?」

「死ぬだろうね。私たちも防護服なしで出入りしない区画にマスクもせずに入ったんじゃあなあ」

「せいぜい役に立ててやるさ。無駄死にはさせないよ」


 ミケイロンは笑って言うが、慰めになどなっていない。


 そして、翌日から外で騒いでいた『平和と安全を守る会』とかいう市民団体の者たちもバタバタと倒れていった。

 それに対して「毒ガスを撒かれた」と主張しているが、そんな事実は無い。というか、そんなことをして一体何になると言うのだろうか。

 第一、開けた屋外で毒ガスなんて効くはずがない。しかも、昨夕からの天候はあまりよくなく、平均7メートル毎秒の風が吹いていたのだ。そんな強さの風が間断なく吹いていては毒ガスなどあっという間に吹き飛ばされてしまう。


「丸一日、ほとんど動かずに座り込んでいたせいだな」

「脂肪や筋肉の量じゃあなくて、運動量そのものに関係があるということか」


 多くの犠牲者が出れば、それだけ情報も集まり、研究も進む。

 はずだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る