第6話 感染症(3)
昼食を摂りながらメールをチェックしていたコズエットの顔色が変わった。
「ゼスカさん、ミケイロンさん、ヨシュビアさん! 大変です! 新しい感染者の可能性がある患者の報告があります!」
「なに? どこの病院だ!」
「エーゼス病院、モリス派のところです」
「隔離状況は?」
「不明です。未知の症状として、
「だれか、知り合いはいるか?」
ゼスカが問いかけるが全員が首を横に振る。
ならば、とメルズリッサ研究室にも確認してみることにした。
「済まない、至急なのだが、ウォレンか誰かお願いできるかな」
「おいおい、随分な呼び出しじゃないか」
文句を言いながらも、ウォレンは直ぐに電話口に出た。
「本当に済まない、かなり緊急事態だ。二人目が出た可能性がある」
「何ィィィ!」
叫ぶウォレン。ゼスカは受話器を、耳から遠ざけながら話を続ける。
「エーゼス病院は知っているか? モリス派の中堅の病院なのだが」
「患者はそこにいるのか? エーゼスの詳細は知らんが、モリス派は研究室も大学も持ってない地域密着型だ。隔離とか大丈夫なのか?」
「未確認だ。だから確認を急ぎたいのと、諸々の措置の指示が必要なのだが、そちらにコネクションはある者がいるか?」
ウォレンともう一名が、モリス派の臨床医出身ということで、連絡はそちらを通すことにした。
「発生源はケンドリス研究室、と言って良いか?」
「ああ。どうせその辺りはすぐにでも発表しなければならなくなるだろうしな。すまんが任せて良いか?」
「まあ、仕方ねえな」
重い沈黙が訪れていた。
ケンドリス研究室、メルズリッサ研究室、そして、それらが所属するノデンス医療研究所の理事室。
音声と映像を三者で共有する会議で、ウォレンからの報告が終わってから、口をきく者がいない。
エーゼス病院へ確認したところ、患者の症状はドミネアやウサギと同様のものであることは間違いなさそうである。
それが意味するのは、この症状が感染しているということだ。
ウサギに投与している研究用の薬剤は、研究室内で製造しているものであり、研究室外には流通も保管もされていない。当然、製造量・投与量は厳重に管理されており、外に持ち出された形跡もない。
人間の発症がドミネアだけならば、薬物の誤飲・誤吸入の可能性も考えられたが、外部の者が薬剤に触れる機会など無いはずなのだ。
「全ての物流を含めて、この町への出入りを禁止するべきだ」
重い空気を破って、ケンドリス博士が口を開いた。
「そんなことができるのか? だいたい、現在、どこまで広がっているんだ?」
「感染力や致死率も分からないのに、騒ぎを大きくし過ぎると問題だぞ」
「致死率はともかく、感染力はかなり高いだろう。経路が不明だが、既にかなり拡大している。早々に手を打たなければ手遅れになる。今はまだ、町の外にまでは広まっていないかもしれない。封鎖できなかったら、拡散は止まらない。」
ケンドリス博士の提案に難色を示す理事は一人や二人ではない。しかし彼らを嗜めたのはメルズリッサ博士だった。
今回発見された患者は、この研究所の関係者ではないし、その家族でもない。
感染経路に、何人が関わっているかも分からなく、すでに町の外まで感染が広がっている可能性もある。
それでも、町を封鎖すれば、拡大スピードを減ずることができるはずである。
「封鎖した後の感染者の発生状況次第では、この町の焼却処分も考慮に入れる必要があるかと思います」
ゼスカが恐ろしい考えを提示した。
物流を停止すれば、遅くても一ヶ月以内に町の中の食料備蓄は尽きてしまうことが予想される。
その時に、どうするかというのは大きな問題である。
犠牲を已む無しとして食料を運び込むのか、住民を見捨てるのか。
いずれにせよ、最終的な判断は政治家たちの仕事であろう。
「まあ、とにかく俺たちは病原体を突き止めることに集中しねえと。とにかく根気のいる作業だが、みんな頼む。俺たちだけじゃない。この町の人間の命がかかっているんだ」
ウォレンがそう締め括って、会議は終了した。
「さて、議院の方々はどう反応するかな」
理事会との回線を切った会議室で、ゼスカが呟くように言う。
「揉み消したりされないでしょうか?」
「さあな。だが、いずれ発覚する。まだ間に合ううちなのか、手遅れになってからなのかは分からないけどね。けど、手遅れになってからだと、ただの殺され方じゃあ済まないだろうね。何十万、何百万の怒りを受けてどうなるか、分からないはずがあるまい」
ゼスカはそう言うが、実際のところ、どのような判断が下されるかは想像がつかない。
彼女の言う焼却処分は本当に最終手段だ。人口百四十万の都市を丸ごと焼きはらうなど、そう簡単に決断などできないだろう。
その決断をした為政者の名は後世まで残るだろう。
評価はどちらになるかはまだ分からない。
「名を残す後世があれば、の話だけどね」
ぽつりと呟いたミケイロンの言葉に、返答をするものは無かった。
「二番目の遺体をこちらに搬送することになった。急いで受け入れ体制を整えてくれ」
翌朝、唐突にウォレンから連絡が入った。
「運ぶって、誰がどうやってだ?」
「担当した医師と看護師たちだ。感染経路が分かっていない以上、彼らも隔離して監視する必要がある。それと、二番目の家族たちも隔離する」
「そんなに大人数を受け入れることはできないぞ」
「いや、国立医大病院の隔離病棟だ」
国立医大病院には、最高レベルの隔離施設が存在している。
ただし、設備が完成してから数年、まだ一度も運用されたことは無いのだが。
今回が最初の事例となるようだ。
メルズリッサ博士の出身大学ということで、ボス自ら話をつけたらしい。
ドミネアの葬儀は、遺体なしで簡単に行われた。
同僚たちは誰も出席しない。できるはずがない。研究室から一歩も出ることができないのだから。
「あなた達には人の心というものが無いのですか!」
妻は泣き叫ぶが、同僚たちは顔も出さず、妻は亡骸と対面することもできない。
それは、もう、どうしようもないことだ。
二人目の発症者が、しかも、研究室とは直接関連しないところから出たことで、感染症であることが確定したのだ。
発症者が死亡して、どの程度の時間があれば病原体が不活性化するのかも分からない。
宗教倫理的には非道と罵られるような方法で遺体処理される。
以前は非難の対象であった火葬は、最近はそれでも受け入れられつつある。
だが、全身をバラバラに刻んで可燃性薬品に漬けてそのまま燃やすというのは、聞いた瞬間にたいていの遺族は怒りだす。
いや、遺族ではない第三者までが大声をあげて非難しだすのだから困ったものである。
新型感染症のニュースとともに、マスコミで遺体の扱いの酷さが槍玉に挙げられている。
だが、世間の騒ぎも冷めぬうちに、三人目の発症者が現れた。
「最悪だ……」
呟くウォレンの眉間には深いシワが刻まれている。
「大至急、街の閉鎖をしろ! 取り返しのつかないことになるぞ!」
「既に手遅れじゃないか?」
「それでもだ! それでも拡散するがスピードを減じることができれば、助かる人数が増える可能性が高い!」
世間に発表されていないことがある。
三人目の発症者の感染ルートはメルズリッサ研究室の研究員からである可能性が高い。
というか、普通に考えれば、それ以外の可能性を考えるのはナンセンスだ。
ヨズセフォンの息子の担任教師。
数人を経由するルートではあるが、二番目の感染者やケンドリス研究室のメンバーとの接点はまるでない。
「何故だ……! 一体どこから漏れた?」
「考えられる最大の防疫体制は取っていたはずだ」
「まるで、ホラー映画だな」
「ああ、何年か前に流行ったな。見ただけ、聞いただけで感染する呪いとか」
「あんなものはフィクションだろう」
理事たちとの会議も紛糾する。
だが、封じ込めに失敗しているのはもはや確定事項だ。問題は、今後、どの程度の強硬策を取るべきなのかである。
突如発症して死亡する恐ろしい病気ではあるが、今のところの人間の死亡例は三人だけである。
これが、数十万人に三人ならば、それほど大騒ぎする程のことでもない。
遺族たちは大騒ぎするだろうが、人口百万の都市で十人程度なら社会的には何の問題もない。
交通事故が何件かあった、という程度のことだ。
「ウサギは既に三十五、全数の三分の一以上が死んでいるんだがなあ……」
楽観論を示す理事に、ザキュエイは呆れたように返す。
人間もその確率が適用されるならば、大問題どころではない。人類滅亡の危機と言っても差し支えないだろう。
サンプルの少ない現状でも、不可解な点がある。
死亡者の年齢は下から二十八、三十三、そして四十一歳だ。一般的には、小児や高齢者の方が免疫力が弱く、病気による死亡率が高い。
だが、死亡者は、最も病死率の低い年齢帯にしかいない。
「感染経路の問題ではないか?」
「三人目は教師だぞ? しかも、子どもからの感染と考えるのが最も有力だ」
「発症には、何らかの偏り、因子があると考えた方が良いな」
「たとえば喫煙や飲酒が関係するなら、子どもが発症しないのも説明がつく」
「いや、ドミネアはどっちもやっていないはずだ」
「食生活や持病、遺伝子的な影響。色々な要素が考えられる。だが」
「サンプルが少なすぎる、か」
可能性のあるものが多すぎて、絞り込みには情報が少なすぎる。数十人の犠牲者がいれば、もう少しは議論になろうというものだ。
不謹慎と言われようと、発症例が少なければ治療法も予防法も研究が進まない。
それはどんな病気でも同じである。
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