第5話 感染症(2)

 数時間後、警察の調査ロボットがやってきた。

 生身の警察官は建物の中には入らず、外の警察車両でロボットの操作と映像の確認を行うことになっているようだ。

 トラックの中には制御管理用の機材が積まれており、ロボットのカメラからの映像が幾つものモニタに映し出している。


「ご苦労様です。ロボットに挨拶するのは初めてだよ。もう、そんな時代かね。年寄りの身では、どう対応して良いのか困ってしまうね」

「生身では来るなと言ったのはそちらだろう」


 ロボットのスピーカーから不機嫌な声が流れる。


「おや、ちゃんと聞こえてらっしゃるのですね」

「当然だ。面倒な挨拶は良い。現場はどこだ?」


 ゼスカは自己紹介しながらロボットを案内する。


「こちらが資料室、ここで倒れていたのを見つけて、医務室に運びました」

「発見者は? 君かね?」

「ドミネアは我々数名の前で倒れましたからね。発見者という表現が適切とも思えません。様子はビデオにも残っているはずですのでご確認いただければと思います」

「この部屋はそのままか?」

「ええ、ドミネアを運び出した以外は、何もしていません」


 会話をしながらも、ロボットはカメラをあちらこちらに向けて、室内の撮影を進めて行く。

 ドミネアが倒れた場所、その時の各人の居場所などを確認し、それぞれの位置から撮影して次へと進む。



「では医務室に案内してもらおう。彼はそこにいるのかね?」

「はい。勝手に解剖調査するわけにはいきませんからね。ドライアイスで冷却している以外は特に何もしていません」

「死亡確認はどうやって?」

「呼吸およひ心拍鼓動の停止、瞳孔の開放、それに反射反応を確認して、……」


 指折り説明するゼスカに、ロボットの向こう側の警察官はため息を吐く。


「随分と念入りだな」

「私たちは研究職とはいえ、医師ですよ。目の前で仲間が死に瀕しているならば、状況に応じた対処くらいします」

「証拠隠滅しているのでなければ良いがな」

「そんなことをするなら、もっと上手くやりますよ」


 こんどはゼスカが小さくため息を吐く。


「それで、彼らは何をしているのかね?」


 ロボットは器用に出入り口のドアを指して言う。


「何と言われても、我々、研究者のすることは研究だけですが」

「仕事熱心なのはいいが、同僚が死んだというのに、君たちは随分と薄情じゃないか? 少しは悼んだりせんのかね」

「先ほどもご説明しましたように、感染症である可能性が否定できません。ハッキリするまで、徹底的な調査が必要かと思っています。薄情とおっしゃいますが、分かるまで遺体をお返しすることもできないのですよ」


 ゼスカの言葉に、警察官は言葉を詰まらせる。


 そしてゼスカは、可能ならばこのロボットを回収せずにここに置き去りにしてほしい、と付け加える。

 消毒・除染にもコストがかかるし、百パーセント完璧な方法など存在しない。細菌やウイルスを漏出させないためには、研究室外に何も持ち出さないのが最も確実な方法だ。

 だが、研究室内の様子の撮影、そして、各研究員への聞き取りを済ませると、警察はロボットを回収して引き上げて行った。



 ドミネアが死亡した翌日。

 感染症の調査に関して、メルズリッサ研究室が全面的に協力することになった。事態を重く見たのか、上層部より許可というより指示が下りたのだ。

 さらに、他の研究室は一時閉鎖、研究員たちは撤退することも決定された。


 そして、司法局より検死の立会人が訪れた。これはあまり先延ばしにすることもできない。

 死体が傷んでしまえば司法局としても問題があるし、ゼスカたちケンドリス研究室側としても必要な情報が得られなくなってしまう可能性がある。


「あの、司法局のカデナモリ様がいらっしゃいました。どちらにお通ししましょう?」


 コズエットは事務的に尋ねる。


「検死医本人が来ているのかい? ロボットじゃあなくて」


 だが、部屋に入ってきた立会人の姿は、生身なのかロボットなのか判別の難しい容貌をしていた。


「司法局検死医のカデナモリだ。私が来てはいけなかったかね?」


 カデナモリは面白くも無さそうに挨拶する。

 頭を下げようともしないのは、その装備の動作自由度の低さゆえだろう。

 その姿は、まるで宇宙服である。いや、まるでではなく、本当に宇宙活動を想定した装備品なのだが。

 何重にもなっている特殊素材で作られた衣服は、対放射線遮断能力すら有する気密服だ。

 その内側に空気ボンベを背負い、服の中の気圧を外気圧よりも上げることで、部屋の中の空気を完全に遮る。

 そのため、服全体が風船のように膨らみ、丸々としたシルエットとなっている。


 そして、その重量も大きく、一式で三十キロを超える。

 また、動きが大きく制限されているために、執刀に参加することはできない。

 だったら、ロボットやドローンを使用したり、カメラだけを中に入れて撮影を命じるなりして、遠隔で見ていれば良いだろうと思うのも当然だ。


「立会人はその場にいなければならない。法律でそう決まっているのだ。例外など無い」


 忌々しいことだ、と小声で言ったつもりなのだろうが、側にいたミケイロンにはしっかり聞こえていたようで苦笑いをしている。


「こちらです」


 コズエットが事務的にカデナモリを処置室へと案内する。

 四十平米ほどの部屋の中央の作業台の上にドミネアの遺体が安置され、その上に保護用の布が被せられている。そして、その脇の台にはウサギが一羽横たわっている。取り囲む四方の壁には棚が並んでいるが、全て固く閉じられた上に施錠されている。

 検死に必要なものは、既に全て出されてワゴン上のトレイに並べられている。

 それ以外のものは綺麗に片付けられており、目につく場所に無駄な物は何一つ無い。


 カデナモリはのっしのっしと歩き、ドミネアの遺体に近づくと保護布をめくり取る。


「随分と綺麗なご遺体ですな」

「傷む前に冷却保存しましたからね」

「まるで、死ぬことが分かっていたかのような手際の良さではないか?」

「処置の手際が悪い者って、無能って言いませんか? 実験動物だろうが人間だろうが傷んでしまったら研究に必要なデータを取れないじゃないですか」


 嫌味なことを言うが。ミケイロンは肩を竦めて嫌味で返す。


「しかし、本当に綺麗だな。怪我もアザも何も無い。衰弱した様子も何もないとは」


 遺体の頭の天辺から足の指先まで舐めるように観察しながら言う。

 そして、ごつい手袋の指で、遺体の腕を突いたり撫でたりしてみたりしているが、感触が分からないのか、頭を横に振っている。

 続いて脚の方も見ようとしたのだろうか、右に寄ろうとして何もないところで蹴躓いた。


「すみません、転倒されても困りますし、あまり動かないで大人しく見ていていただけますか」

「むう。仕方がないな」


 ミケイロンに言われて、カデナモリ渋々数歩下がる。

 彼の装備は重量があるうえにバランスが悪そうである。さらに、動きが大きく制限されているので、転んだら一人で立ち上がるのは難儀しそうだ。


「では、始めましょうか」

「その前に一つ良いでか?」

「何か?」

「あのウサギは? 動物の死体を一緒の部屋に置いておくのは感心しないぞ。感染のリスクが無用に高くなるのではないか?」

「今朝、同じ症状で死んだウサギです。同じような症状であることを確認する必要があればと思いまして、用意しておきました」

「同じ? ウサギと同じ症状の病気に罹ると?」

「まあ、見てみれば分かります」


 遺体の前に立ち、天井から下がっているパネルを操作して超音波やX線での検査画像をモニターに映し出す。


「こちらは、冷却前に検査したものです」

「骨格には何の損傷も見られないのは良いが、他の臓器はどうした? 何故、何も写っていないのだ?」

「それも、開けてみれば分かります」


 ミケイロンは遺体ドミネアの反対側に回り、ワゴンからメスを手にすると、遺体の鳩尾のあたりから刃を入れる。

 そのまま下、足の方に向かって切り開いていく。


 メスが何度か滑るように動き、切り口が広げられると、その中から赤黒いモノが零れ落ちてきた。



「やっぱりか……」


 ミケイロンは苦々しく呟く。が、カデナモリにはよく分かっていないようだ。


「おい? それは何だ? 一体、どうなっている?」

「腹腔内の臓器がズタズタに裂け、千切れ、潰れている状態です」


 そう言って手を突っ込んで中のモノを掬い出しすと、金属容器バットに入れていく。

 腹腔から取り出されて次々と入れられていくそれを見て、カデナモリは眉を顰めている。完全防備のヘルメットは臭いも通さないが、見た目だけでも十分インパクトがある。


 検死医として二十年以上と長いキャリアを積んでいる彼は、今までにも多くの状態の酷い遺体は見てきている。その彼が思わず息を呑むほど、異常な状態なのだ。



「これは肺の一部ですね」


 ミケイロンは淡々と取り出した組織を分類していく。無差別に引き千切られた肉片のなかでも、比較的大きなものは胃や腸などの消化器官や血管などに仕分けされていくが、見た目では分からない小片の方が多い。

 しばらく無言で見守っていたカデナモリだが、ミケイロンが作業の手を一旦休めたタイミングで声を掛けた。


「何をどうしたらこうなる?」


 心なしかカデナモリの声が震えている。


「それは私たちも知りたいですね。あなたは、多くの遺体を診てきたのでしょう? どんな遺体、死に方に類似点があると思いますか?」


 逆に問われてカデナモリは口ごもる。

 機密事項を問われたから、というものでもあるまい。機密事項ならば返答を断れば良いだけであり、迷う必要は無いのだ。


「大型の機械に巻き込まれて、半身がこうなってしまったのは見たことがある。あとは…… 強いて言うなら大口径の銃で撃たれた場合が近いと言えば近いが……」


 カデナモリは曖昧に言葉を濁す。

 人間の身体は意外と頑丈で、臓器全てがズタズタになるならば、人間としての外型を留めていないのが普通なのだという。


「つまり、類似した遺体は見たことがない、ということでよろしいでしょうか」

「そうだな」


 分類された組織片は、小分けにして密封容器に入れていく。研究に用いるのはまた後日になるだろうが、それまでの劣化は最小限の抑えねばならない。


「それで、彼の死因ですが」


 作業を進めながらミケイロンが切り出した。

 彼らは、ウサギの死因は内臓破裂による失血性ショック死としている。

 同じ症状であるドミネアも、同様の死因であるとの所見だ。

 だが、カデナモリは素直に首を縦に振りはしなかった。


「そうだな。だが、本当の死因を隠すための隠蔽と考えられなくもない」

「皮膚には外傷がないことは、先ほど確認なさったでしょう? 倒れてから今までを撮影したビデオだってある。そちらは既に司法の管理下にあるはずだ」

「確かにそうだ。だが、何と言えば良いのだ? この遺体は不審な点しかない」


 そして、カデナモリは、自分が触れて診ることすらできないこの状況こそが、最も大きな不信の原因だと言う。

 一方、ミケイロンたちとしては、感染症の患者を診るのに相応の防護措置を取っているだけに過ぎない。


「これが感染症だとする根拠は?」


 カデナモリはバイザーの奥から、じろりと睨む。


「そちらのウサギの腹を開けてみれば良いでしょう」


 ミケイロンには駆け引きや心理戦というものに縁が無い。ただ事象を確認し、事実を説明するだけだ。


「ふむ。同じ症状、と言ったな」

「超音波検査の結果ではそういうことになっていますね」

「見てみよう。私は動物は専門外なのだがな」


 ウサギの執刀はヨシュビアの担当だ。

 慣れた手つきで毛皮にメスを入れて腹部を切開して、その中身を掬い出してバットに入れていく。

 こちらも酷い状態である。

 元の臓器の大きさや形には結構な差があるはずなのだが、取り出されてくる物体には、パッと見で差があるようには感じられない。もちろん、細かく調べれば色々差があるのだろうが……


「君たちはそんな装備だけで大丈夫なのかね? 私には完全防備で来るようにということだったが、ここはどれほど安全なのだね? これと同じ症状が出たのは、どれだけいるんだ?」


 解剖しているウサギに歩み寄りながら立て続けに問いかけるカデナモリの声は、僅かながら緊張が感じられる。


「三十五羽くらいですね」」

「随分と多いな。そういえば、生きているのがまだいたな。何故処分しない?」


 ヨシュビアの返答に、カデナモリはさらに疑問を投げかける。

 だが、一口に処分と言っても、小型のマウスを一匹や二匹と同じようには行えない。

 残っているウサギは二十一羽以上もいるのだ。まとめて処分するならば、処理設備のある施設へ運搬する方法も確保しなければならない。


「そんな簡単に物事が運ぶなら、私たちも胃薬を手放せるんですけどね」


 ミケイロンは肩を竦め、首を振る。


「他に確認したいことはございますか?」

「いや、もう十分だよ」


 カデナモリは大きくため息を吐くと、出口へと向かった。

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