第4話 感染症(1)
「只今をもって、この研究室を封鎖する。全員、研究室外への退去を禁止する」
ゼスカが一方的に宣言した。
誰も、反対する者はいない。むしろ、その次の指示を待っているようですらある。
この研究室の
資金が潤沢にある研究室は少ない。ケンドリス研究室も例外ではなく、各所でプレゼンや研究の経過報告をして出資を募らねば研究が立ち行かない。
そのため、実際に研究を進めるのには、ゼスカを中心としたチームが作られている。
「まず、落ち着こう。パニックになっていたんじゃ、ロクな仕事はできない。ヨシュビア、みんなを集めてくれるかい?」
ヨシュビアが他のメンバーを呼び集めに行っている間に、コズエットは警察への通報をしている。死因に警察が絡むような事件性が無くても、通報があまり遅くなると、面倒なことになりかねない。
「現場の確認を行いたいとのことですが、どういたしましょう?」
「壊れても良いロボットやドローンで頼む、と言ってくれるか?」
「壊れても良い、ですか?」
怪訝そうな顔をしてコズエットが聞き返す。
「ああ。仮に伝染病だとするならば、この研究室内は汚染区画として取り扱うべきだ。ここを出るには厳重な洗浄消毒をする必要がある。ヤワな機械だとそれで壊れてしまいかねない」
「どう説明すれば良いですか?」
コズエットは眉根に皺をよせ、小首を傾げる。
警察の通報窓口で受け付けをしている人物が、医療や防疫に関しての知識があるとは限らない。というかむしろ、そんな知識など無いと考えた方が良いだろう。
それでも端的に分かりやすく伝えるのは言葉の選択が重要である。ということで、ミケイロンが即座に平易な言葉に直して伝えている。
「代わろうか?」
「納得していただけなかったらお願いします」
だが、代わる必要も無かったようで、一分ほど話したのちに音声回線は閉じられた。
そして、通報が終わった頃には常勤の研究員および事務員、総勢八名が会議室に集まっていた。
「さて、みんな集まったね」
「なんだ? 一体、どういうことなんだ?」
遅番のザキュエイは、ちょうど今研究室に着いたところで、事態を把握できておらず戸惑った表情を見せる。
「ドミネアが死亡した。一時間、はまだ経っていない。そのことについて全員で話をしたい」
言葉を詰まらせているザキュエイをよそに、ゼスカの淡々とした説明が続いていく。
死亡確認時刻は十二時十分。警察の現場検証は夕方までには来ることになっているらしい。それまでは、ドミネアが倒れた第一実験室と、遺体を安置してある処置室への立ち入りは禁止である。
「私が触診、打診をした限りでは、死因はウサギと同じ。内臓が破裂していると思われる。詳しいことは解剖調査してみないと分からないが……」
現状説明の最後に、ミケイロンが付け加えた。
ドミネアの遺体は、勝手に解剖調査するわけにはいかない。言うまでも無く、人間をウサギと同じように扱うことなどできない。それは死んだ後でも当然だ。
遺族や司法の許可なく行える検査は、せいぜいが、超音波やX線を使った非破壊検査や、口や肛門から漏れ出た物を採集して分析するくらいだ。だが、それらも警察の現場検証が終わってからである。
解剖調査が行えるのは、司法局による死因確認が行われた後のことになる。それまでは、遺体が腐ってしまわないように大切に冷凍保存しておくのだが、それも現場検証が終わるのを待つ必要がる。
「結局、今できることは何もないってこと?」
「いや、ユフィヨミ、考えなければならないことは盛りだくさんある。まず、目下の課題は、現場検証に来る者たちをどう迎えるかだ。そもそもとして、死因が厄介過ぎる」
不謹慎な話だが、機械に挟まれたり、薬品を誤って吸入してしまったりなど事故であることが明白ならば、問題など無いのだ。
普通に事故として届け出て、普通に悲しい顔をして、普通に葬儀を行えば良い。
だが。
「新型の感染症の疑いがある。もちろん、誰かの何かのミスで、薬剤を誤って摂取してしまった、ただの事故という可能性もある」
「可能性の話を言うならば、体内で変質した薬物が気化して空気中にばら撒かれているという線もあるだろうな。思いつくことを言い出したらキリが無い」
「なんにせよ、現場や遺体は、汚染されていると
「で、実際に、汚染区画ってのはどう処理すれば良いんだ?」
ミケイロンの言葉に、全員が難しい顔をして考え込む。彼らは医療研究のエキスパートではあるものの、感染症は専門外だ。
無菌室での実験・研究の経験はあっても、汚染区画の洗浄・除染の経験など誰も持っていない。
「専門家に意見を仰ぐ必要があるね。私たちだけで頭を悩ませても、良い結論は出なさそうだ」
「たしか、上にオーガー症の研究室があったな。なんて言ったっけ?」
「メルズリッサ研究室ですね。問い合わせしてみますか?」
「ああ、頼む。できれば研究に協力して欲しいが、まあ、贅沢は言ってられないか」
「それも軽く聞いてみますね」
ウサギの検査の概要と結果についてのレポートは纏めてある。
生きているウサギの解剖調査やセンサー埋め込みについての申請のために作ったものであり、機密情報を含んでいるものだ。しかし、ここで出し惜しみをするわけにもいかない。
研究室が違うとはいえ、同じ組織内の同じ研究所に属している者たちへの開示は、外部ほど厳しく制限されているわけでもない。叱責されることはあっても、頭を下げれば済む問題、という程度でもある。
電子ファイルを添付したメッセージを送って数分後、メルズリッサ研究室から音声回線の着信があった。
「おい、ゼスカ! ヘイネティア・ゼスカ、いるのか? いるなら返事しろ!」
コズエットが回線をつなぐと、スピーカーからやたらと大きな声が響いた。
「挨拶も無しに失礼だな。そちらは誰だい?」
「あ? 俺のことは忘れちまったってか? ウォレンだよ、ミストス・ウォレン」
「ウォレン? あのウォレンか? そうか、ならば少々の失礼には納得がいく。いつからメルズリッサ研究室に入ったんだい?」
「失礼なのはどっちだよ! って、そんなことはどうでも良い! なんだ、この新しい感染症ってのは!」
「喧しいから怒鳴るのは止めてくれないか」
スピーカーのボリュームを落としながらゼスカはクレームを付ける。
「内臓が爆発する病気なんて聞いたこともないぞ」
「だから、新しい病気の可能性が高いと書いてあるだろう? ちゃんと読んでくれたまえ」
ゼスカはやれやれと呆れたように言う。
「お知り合いで?」
「旧い知り合いでね、大学時代の同級生さ。
ゼスカ曰く、彼とは学年首位を競い争っていた仲で、研究医を目指していた彼女とは、よく衝突していたらしい。
「それで、感染症を疑う根拠は、
「ああ。人間の感染例は少ないかも知らんが、ウサギとよく似た症状が出ているんだ。感染症を疑わない理由がない」
「少ないかもじゃねえよ。少なすぎだ。一件だけじゃパターンも何もあったものじゃない。病原体を見つけるとか不可能に等しい」
「ええと、協力をお願いしたいのは二点だ。病原体の検出も協力してほしいことの一つだが、もう一つ重大なことがある」
「除染、か……」
「ああ。済まないが、私たちにはそちら方面の知識はまるでない。防疫や除染についての実務的な知識と協力が欲しい」
「知識が無いって、そんなの大学でも習っただろう?」
ウォレンは呆れたように言うが、概念上の知識と実務に必要な知識はまるで違う。
例えば消毒薬と一口に言っても、何処のメーカーの何という製品があるのか。納品が早いのはどこなのか。購入の単位量や単位金額はどれくらいなのか。といったことは大学で習いはしない。
主成分を同じくする薬品でも、使用方法が
さらに言うならば、どの種類の薬品をどの程度の量保持していれば良いのか、といったことも現場のノウハウの一つだ。
「確かに、言われてみれば、最速で届けてくれるところなんて習わないし、携わってなけりゃ知りもしないか。まあ、その辺の情報なら機密ってこともないし問題なく出せる」
ウォレンは納得したように頷きながら言葉を返す。
「できれば在庫を分けてもらえると有り難い」
「そこはさすがに俺の一存では決められないな。上に聞いてみるよ」
「今すぐ頼めないか? もう少ししたら警察が現場検証で来るんだが、彼らに拡散されても困る」
「ちょっと待て、それは大問題だろ! いいか、中に入った奴を外に出すな。絶対に。警察だからって例外じゃあない」
「ああ、だからロボットかドローンで頼むと言ってあるんだが。生身で入ってこられたら洗浄なんてできないからね」
「……ロボットってのは消毒薬ぶっかけたら壊れたりしないのか……? 未知の病原体なら、強酸か強アルカリのものを使いたいんだが」
「その辺りは専門外だ。まったく知らん。だから壊れても良いヤツを寄越せと言ってある」
回線の向こう側から複数のため息が聞こえてくる。
だが、病原体の特定もできていない以上、非常識と言われようが、取りうる手段の中で最大の除染殺菌処理能力を持つ方法を選ぶべきだろう。
たとえばエタノール噴霧だけで済ませて、後で『効果がありませんでした』では謝罪しても済みはしない。
「……上の方に聞いてみる。あまり期待はしないでくれ」
「期待させてもらうさ。この研究所から病原体が拡散した、なんてことは上の方々も望んでいないだろうからね。誰だって、協力して対処に当たらなかったことを糾弾されたくないだろう?」
「それで、病原体の検出なんだが」
メルズリッサ研究室のリーダーを務めるヴィテトパンが切り出した。
ゼスカのレポートにはウサギの症状については細かく記されているが、使用してた薬剤に関しての情報は殆ど無い。
ヴィテトパンの要求は、その部分に関しての細かい情報の開示だった。
だが、概要ならばともかく、詳細な情報に関してはゼスカたちの判断で開示することはできない。
だが、ケンドリス博士や組織上層部の決裁を得られない、ということもないだろう。死亡者が出ている以上、事態の収束は急務である。
「検体は一人だけ、だな?」
「人間は一人ですね。ただし、警察の検証が終わるまで動かせませんが。解剖検査も遺族や司法の許可を得てからになるでしょう。ウサギの方は上の許可が下り次第、何十件か出せますが」
「ならば、一番早いのは、君たちの血液や粘膜かね?」
「……そうですね。口腔粘膜でよろしいですか? 量はどれくらいあれば……」
ヴィテトパンとミケイロンは、今できることを早急に進めていく。
その間に、ゼスカは諸々の許可を得るための申請書類や資料を作成している。
メルズリッサ研究室でも、ウォレンを中心に、警察の現場検証に対応するために、除染用機材の準備を進めている。
実際に使用するのは許可が下りた後になるのであろうが、その前から準備をしていなければ間に合わなくなってしまうという判断だ。
彼らも医者である。
止められる感染拡大を、指をくわえて見ていることなどしない。
「一つ訊きたいんだが」
「どうした? ウォレン」
「ラットやマウスでは同じ症状は出ていないのか?」
「いま、使っている動物はウサギだけなんだ」
「だったら、元気なマウスを何匹かそちらにやる。そいつに感染してくれればこっちも確認しやすい」
ウォレンの言い分は単純なものだ。未感染と感染済み比較するのが病状や病原体の特定がしやすいということだ。
「それは良いが、ネズミに感染するのか?」
疑問を呈したのはユフィヨミだ。
「ヒト、ウサギ、ネズミで共通して感染する菌もウイルスもありますよ」
説明するのはヨシュビアだ。彼はチーム内で唯一獣医師資格者である。
動物からヒトへと感染するウイルス性の病気で、最も有名なものに狂犬病である。狂犬病ウイルスはほぼ全ての種類の哺乳類に感染し、似たような症状を発する。また、インフルエンザなど鳥類と相互に感染することが分かっているウイルスも多くあるのだ。
細菌性の病気でも、ウサギからヒトへと感染する病気のは多くあり、その代表のような野兎菌はネズミにも感染する。
そもそもとして、ヒトよりも、ラットやマウスの方がウサギに近いとされているのだ。ウサギからヒトへ感染する病気の中で、特に警戒すべきものはすべてネズミにも感染する。
数分後には、防護服を着た者がケンドリス研究室を訪れていた。
彼はディアゾンと名乗り、一四匹のマウスを渡し、引き換えに血液と口腔粘膜のサンプルを回収する。
そして、帰り際に出口の扉を出たところで、待機していたメンバーに大量の薬剤を頭からかけられて消毒処理を行う。。
彼らはさらに出入り口周辺を入念に消毒・除染してから上階のメルズリッサ研究室へと戻っていった。
それを見ていたケンドリス研究室のメンバーはあまり良い顔をしない。
自分達が病原体扱いされて気分の良い物はいないし、不安にもなるだろう。
「俺たちも死ぬのか……?」
「分からん。意外とその可能性は低いかも知れないな」
「どういうことだ?」
「なぜ、ヨシュビアが生きているのかだよ」
「おいおい、ザキュエイは僕に死んで欲しいのかい?」
不機嫌そうに言うヨシュビアに、「そうじゃない」とザキュエイが説明する。
ウサギたちに最も近く、最も長く接しているのはヨシュビアだ。ウサギから感染したのなら、真っ先に感染するのはヨシュビアだろう。
だが、今のところではあるが、ヨシュビアは元気である。
問題はドミネアがいつ、どうやって感染したのかだ。
「経口感染か、接触感染か、空気感染か……」
「一般的に、感染しやすい行為は無い、で良いな?」
「一体、何を疑っているんだ」
ヨシュビアは不愉快そうに言う。
「念のための確認だよ。気を悪くするな。事故等もあり得る」
「……ドミネアが注射針を扱うようなことは無かったはずだ」
そして思い出したように、少なくともここ数ヶ月では、と付け加える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます