3-5 リリーベルグの夜




 そして、数時間後──



 エリスの部屋の明かりが消えてから、だいぶ時間が経った。

 耳を澄ましても、起きている様子はない。完全に眠ったようだ。



 ………いよいよね。入りましょう。



 チェロは服の内側から精霊封じの瓶を一つ、取り出す。

 鉄の精霊・アグノラを閉じ込めてある瓶である。これを用いて鋭い刃を形成し、窓ガラスをくり抜いて中へ侵入する寸法である。

 コルクを開封する音をなるべく立てないよう、チェロが慎重に力を込め始めた……その時。



 ──ニャアァオ。



 背後から、そんな声が上がる。

 肩をビクッ、と震わせ、そうっと振り返ると……

 予想通り、そこには猫がいた。よく見ると二匹、並んでベランダの淵に立ち、チェロに視線を向けている。


 ……なによ、おどかさないでよね。

 こちとら今、一世一代の大事な局面を迎えているんだから。


 チェロは内心舌打ちをしながら、二匹の猫をシッシッ、と追い払うように手を振る。

 しかし、猫たちはひるまない。何故なら彼らにも、ここに来た理由があるからである。

 ……ちなみにこの猫たち、一匹はオスで、もう一匹はメスなのだが……

 先ほど鳴き声を上げたオス猫の方が、チェロに向かって再度訴えかける。



 ──ニャアァオゥゥ。

退け。そこはオレとミーちゃんの愛の巣だ。今から一発キメようとしてんだから、さっさとね、ニンゲン)



 そう。実はここのベランダ、このオス猫の縄張りであり、パートナーのメスを連れ込むお決まりの場所だったのだ。

 真夜中なら人通りもなく、ゆっくり事にいそしめるからと、この場所を占領していたのだが……彼にとっては、思わぬ来客である。


 だが、そんな猫側の事情など知る由もないチェロは、先ほどよりも大きな威嚇の声に慌てふためき、

 


「(馬鹿! そんな大声出して、エリスが起きちゃったらどーすんのよ?!)」



 と、口元に指を当て、静かにするようジェスチャーで投げかける。が、そんなものが猫に伝わるはずもなく。

 一向に去ろうとしない人間チェロに、オス猫はさらに腹を立て……

 毛を逆立てて渾身の一撃を放ったら!



 ──ゥミャアァアアアッ!!

(だぁから、オレは今すぐミーちゃんとヤリたいんだっつーの!! 早く退かねーとそのマヌケ面、八つ裂きにすっぞゴルァ!!!)



 その勢いに、チェロは思わずビクッ! と身体を震わせ怯む。

 何故だ……なんて言っているかわからないはずなのに、ものすごい勢いで恫喝されている気がする……!

 と、蛇に睨まれたカエル……もとい、猫に睨まれたチェロ状態になっていると……




「だぁかぁらぁ……それ、あたしのチョコだっつってんでしょ! この泥棒猫!!」




 ──!!


 今度は部屋の中からそんな声が聞こえ、チェロの心臓はいよいよ飛び出そうになる。


 今の声は……エリス?! やはり猫が大声を出したせいで、起きてしまったのか?!

 驚きのあまりパニックを起こし、チェロが固まっていると、パッと部屋の明かりが点いた。

 すると猫たちはベランダからぴょんと飛び降り、そそくさと退散していった。


 残されたチェロだけが、動けないまま、そこで停止している。

 ……どうする? 今動いたら、物音や影で居ることがバレてしまうかもしれない。

 それに、またすぐに寝てくれる可能性もある。やはりこのまま、じっとしていた方が……

 ………いや、エリスはきっと猫の声で起こされたのだ。猫がいないかどうか、カーテンを開けてベランダを確認するかもしれない。そうして見つかったら……一貫の終わりだ。



 嗚呼、どうしよう。どうするべき?

 姿を隠そうにも、先ほどの"透明な隠れ蓑"の魔法はとっくに切れてしまっている。再び使用するには、魔法陣を描く動作と、精霊への呼びかけが必要となる。そんなことしたら、一瞬で見つかってしまうだろう。

 なら、引くか? いいや、せっかくここまで来たのだ。そんな惜しいこと、できるものか。



 ……と、動こうか動くまいか、延々と迷っていたのだが……

 ………カーテンは、開け放たれる気配がなかった。



 ……よかった。エリスは、このまま寝るつもりなのかもしれない。

 ならば、やはり待とう。部屋が再び暗くなり、しばらくしたところで、今度こそ仕掛ける……


 そう、チェロが新たな決意を胸に、じっと部屋の明かりが消えるその時を待っていた……その時!




「ああもうムリ! エドラ! エドラ!! エドラぁあっ!!」




 エリスの叫び声が響き渡る! 同時に、部屋の中が激しく明滅し、物が壊れるような音まで聞こえてきて……

 これは……何かあったに違いない。



「エリス!! 大丈夫?!」



 思うよりも早く、チェロの身体は動いていた。

 魔法の刃でスマートにくり抜く予定だった窓ガラスを体当たりでぶち破り、転がりながら部屋の中へと入り込む。頭皮に少々ガラスが刺さっている気がするが、気にしている場合ではない。

 彼女はパッと顔を上げ、愛しいエリスの姿を確認する。と、そこには……



 エリスの部屋であるはずなのに、どうしてだか、あのいけ好かないヘラヘラ男がいたのであった





 ──以上。チェロサイドの回想、終了。


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