3-4 リリーベルグの夜




 * * * *




 今から六時間前──




「……………来たっ♡」



 リリーベルグの街の入り口で、朝からずうっと物陰に隠れ、張り込みをしていたチェロは……

 夕闇の中、目を凝らし、ついに見つけた。

 この街に足を踏み入れた、愛しい愛しいエリスの姿を。

 ………その隣には、あのヘラヘラ笑ういけ好かない男もいるが。


 一刻も早く二人を引き離し、エリスを自分の元へ連れ戻したいが……ここは焦らず我慢、である。

 何故なら……



「………ふっふっふ♡」



 と、チェロは妖しげに笑いながら、胸元から小さな瓶を取り出す。

 それは昨夜、訪れた酒場で購入した、とある花の蜜……



 "ヘブンスリリー"。

 経口型の、媚薬である。



 今からエリスを尾行し、今夜泊まる宿を把握する。

 そして、彼女が眠った頃合いを見計らって……部屋へ侵入する。

 あとはこの媚薬を口へ含ませれば……あっという間に、彼女は私の虜。きっともう、私なしでは生きられないカラダになるはずだ。


 この媚薬の効能は昨夜、自身の身体をって検証済みである。

 ほんの僅かな量を、小指に掬って舐めただけだったのだが……控えめに言って、ヤバかった。何が、とは言わないが、とにかく、ヤバかった。


 快楽に乱れたエリスの姿……何度、思い描いたことか。それが今夜、ついに実現しようとしている。

 焦らず慎重に、機を伺わなければ……



 チェロは期待に胸を膨らませ、エリスの後をこっそり追跡する。すると彼女は、とある宿屋へと入って行った。メイン通りから外れた静かな場所にある、二階建ての宿である。

 一階がフロントと食堂、二階が宿泊部屋になっているらしい。受付を済ませ、部屋の鍵を受け取り、エリスが移動するのを確認したチェロは、建物の全貌が見える距離まで離れ、じっと二階に注目する。

 と、一番端の二つの部屋の明かりがパッと点いた。なるほど。エリスは今夜、あのどちらかの部屋に泊まるのか。


 さぁ、どうやって部屋に忍び込もうか。

 チェロは宿の周囲をぐるりと確認する。

 それぞれの部屋には、小さなベランダが付いているようだ。そこへよじ登り、窓から侵入を試みるとするか。


 チェロがおおよその算段をつけたところで、宿からエリスとあの男が出てきた。

 チェロは再び物陰に隠れ、去ってゆく二人の背中を見つめる。



 くそっ……仲良さそうに肩並べちゃって。

 でも、それも今日までの話だ。

 何故ならエリスは、今夜、私のモノになるのだから。

 あの男にも、国にも、あの娘を好きにはさせない。

 明日からは私と二人で、愛の逃避行に旅立つのよ……っ!!



 ……と、鼻息を荒くし、拳を強く握ってから。

 チェロはそのままじっと物陰に隠れ、エリスの帰りを静かに待つのだった。





 ──数時間後、エリスとあの男が宿へと戻ってきた。

 どうやら夕食を食べに行っていたらしい。エリスが満足そうにお腹を叩いている。


 二人が宿の中へと姿を消すと、程なくして二階の角の二部屋に明かりが点いた。やはり、あのどちらかの部屋で間違いない。

 夕食時を過ぎ、閑静な立地ということもあってか、宿の周りに行き交う人はほとんどいない。


 ……よし。そろそろ動こう。


 チェロは小さく頷くと、右手を静かに掲げる。

 そして指を踊らせ……空中に魔法陣を描き始めた。

 精霊を封じた小瓶から魔法を繰り出す戦術を得意とする彼女だが、今使いたい精霊は、生憎あいにく持ち合わせにはないのだ。

 その精霊とは……



「──暖気の精霊・ウォルフ。冷気の精霊・キューレ。我が命に従い、姿を示せ」



 エリスが発見したばかりの、新種の精霊・二種である。

 未だ分布傾向がわからず、小瓶に封じることができていないため、この場にいる可能性に賭けてみたわけだが……

 幸運なことに、二種類とも光となって現れてくれた。数は少ないが、チェロの呼びかけに応じるように、近くをふわふわと浮遊している。

 チェロは再び、ピッと指を立てると、



交われフュージア!」



 精霊に向かって命じる。すると二種類の精霊は、互いに引き寄せ合うようにクルクルと回り出し……やがて完全に一つになったかと思うと、チェロの身体を覆い尽くすようにして広がった。

 混ざり合った精霊に覆われたチェロは……忽然と、その姿を消した。

 しかし実際は消えたように見えているだけで、彼女はそこにいる。暖かい空気と冷たい空気を絶妙な加減で混ぜ合わせ、蜃気楼と同じ現象を発生させ、自分の姿を見え難くしているのだ。自然現象を利用した、"透明な隠れ蓑"である。


 何を・どのくらい混ぜ合わせれば、望む現象が生み出せるのか……精霊融合のセンスにおいて、チェロは絶対的な知識と才能を持っていた。

 いくら精霊を認識できるエリスであっても、その点ではチェロには勝てないだろう。伊達にこの歳で学院アカデミーの特別栄誉教授を務めてはいない、ということである。


 ……まぁ、その抜群のセンスも、元生徒の部屋に不法侵入するために使っているようでは、とても褒められたものではないのだが。



 "透明な隠れ蓑"を纏ったチェロは、宿屋へと近付き、人目を気にすることなくその壁面をよじ登っていく。

 時々、樹木の精霊・ユグノを使い蔓を生み出し、ロープのようにして使いながら、あっという間に二階部分へ到達し……

 目的の二部屋の内、手前側の部屋のベランダへと降り立った。


 そして、ほんの少しだけ開いていたカーテンの隙間から、そっと部屋の中を覗いてみる。……と。



「…………………ぅぁああああっ!!」



 そんな呻き声と共に、あの男……エリスのストーカーを名乗る男が、ベッドに倒れ込むのが見えた。


 ………何してんのかしら。気持ちわる。


 兎に角、これでわかった。

 エリスの部屋は、もう一つの方である。


 チェロはすぐさま隣のベランダへと移る。こちらはカーテンがきっちりと閉められており、中の様子は確認できなかった。

 窓ガラスにそっと耳を近付けると……水音のようなものが聞こえる。どうやら部屋の主は、シャワーを浴びているらしい。

 しばらくすると水の音が止まり、部屋へと戻ってくる足音がして。

 チェロがそのまま、耳を澄ませていると……



「──精霊・ウォルフ。ちょっと髪乾かすの手伝って」



 そんな声が聞こえ、チェロは思わずニヤける。

 間違いない。エリスの声だ。やはり、この部屋にいた。

 そのことを確信したチェロは、ベランダへ静かに座り込む。


 シャワーを終えたエリスは、これから寝支度をするはずだ。

 明かりが消え、しばらく経ったら……

 部屋へ侵入し、眠っているエリスの口に、この"ヘブンスリリー"を含ませる。

 あとは……私のテクニックで快楽の坩堝るつぼへと落とし込めば、こっちのものである。



 ふふ……エリス。

 今夜、あなたの中の新しい扉を、私の手で開けてあげるわ……♡



 懐から、媚薬入りの小瓶を取り出し。

 チェロはそれに、チュッと口づけをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る