3-1 リリーベルグの夜




 翌日。

 セイレーンの街で一泊したエリスとクレアは、港街・イリオンを目指し、再び歩き始めた。


 その道すがら、地元の人々におすすめの料理店を聞き、気になった店で朝食と昼食を食べ。

 午後のティータイムにはパンケーキの美味しいカフェに立ち寄るなどしたため、隣街のリリーベルグに到着した頃には、すっかり日が暮れていた。



 美味しい朝食が出ると噂の宿に部屋を取り、昨晩と同じように夕食を求め夜の街へと繰り出す二人。

 今宵のお目当ては、街の外からも客が訪れるという絶品ふわとろオムライスの店だ。

 無事に店に辿り着き、少しだけ順番待ちをしてから、中へと案内された。

 席に着くなり、エリスはデミグラスソースとケチャップソース、二種類のオムライスを迷いなく注文し、



「今日も半分こ、しましょうね?」



 向かいに座るクレアに、にっこり微笑んで言った。

 当然、彼には選択権も拒否権もない。もっとも、どちらも主張する気はないのだが。



 しばらくして、注文した二種類のオムライスがテーブルに運ばれてきた。

 エリスは半分に取り分けようと、スプーンを差し込む。すると、濃厚な色をした半熟たまごが、トロッと溢れ出した。エリスは思わず「おおっ♡」と声を上げる。彼女にとって、この世でもっとも興奮する光景の一つである。


 二人で『いただきます』をし、二種類の味を半分ずつ味わう。

 その美味しさにエリスは蕩け顔で悶え、それを見つめるクレアもまた、別の意味で悶絶した。


 腹がある程度膨れると、二人はゆっくりと世間話を始めた。

 この先、エリスが訪れるつもりでいる料理店について。

 クレアが経験した、難しい潜入捜査について。

 イリオンで食べてみたい魚料理について。などなど。



「あたし、一度でいいから"イシャナ"を食べてみたいのよね」

「イシャナとは、何ですか?」

「知らないの? 魚の名前よ。と言っても、その味や食感は魚というよりは肉に近いらしいんだけど……それだけ脂が乗っているんでしょうね。すっごく希少で、高級品なんだって。イリオンに着いたら絶対に食べたいんだ。脂が乗ってる魚なら……やっぱり炙りが一番かなぁ〜♡ あ、煮つけもいいかも♡」



 そう、楽しそうに語るエリスを見て。


 ……イリオンの街に着いたら、旅の本来の目的である"水瓶男ヴァッサーマン"の捕縛に向け、動き出さねばならないが……

 その"イシャナ"という魚だけは、エリスに絶対に食べさせてやりたいと、クレアは強く思うのだった。





 * * * *





「ふぅー。今日も美味しいものでお腹いっぱい。気持ちよく寝られそう♪」

「それはなによりです」



 オムライスの店を出て、自分たちが泊まる宿に戻って来た二人は、二階にある宿泊部屋に向かって廊下を進む。



「しっかし、不思議だわ……やっぱり二人で食べた方が、一人で食べていた時よりも美味しい気がする。なんで今まで気付かなかったんだろう。誰かといたほうが、より食事を楽しめるってことに」



 と、エリスは腕を組みながら真剣な表情で唸る。

 それにクレアは少し笑って、



「貴女がより美味しく召しあがれるというのであれば、私は喜んでお供いたしますよ。私も貴女と食事ができること以上に、幸福なことなどありませんから」

「いや、それはさすがに言いすぎ。でも……うん。明日も一緒に、美味しいものを食べましょ。この宿の朝食は美味しいって評判だから。ふふっ、楽しみ♡」

「そうですね。私もとても、楽しみです」



 互いににこりと笑い合ったところで、二人は部屋の前に辿り着いた。エリスは廊下の突き当たりの部屋、クレアはその隣である。

 エリスはスカートのポケットからドアの鍵を取り出そうとして、



「あっ、そうだ」



 何かを思いついたように、ポケットから出した手をそのままクレアの前へと差し出す。

 何かを渡すつもりなのだろうか、クレアも手を出すと、「はいコレ」と袋に包まれた小さなものを手のひらに落とされた。



「あたしのお気に入りのハッカ飴。食事の後によく舐めているんだ。あんたにもあげる」

「あ……ありがとうございます」



 もらったそれを手に乗せたまま、クレアは少し驚きながら礼を述べる。

 エリスは満足げに笑うと、



「それじゃあクレア。おやすみなさい。また明日ね」



 自室の鍵を開け、ひらひらと手を振り扉の向こうへと去ってゆく。

 クレアはそれを、名残惜しそうに見つめながら、



「はい。おやすみなさい」



 手を振り返し、彼女の姿が完全に見えなくなるまで見届けた。





「…………………」



 エリスがぱたん、と扉を締め切ると、クレアも自分の部屋の鍵を開け。

 部屋に入り、内鍵をかけ。

 しばらくそのまま、ぼうっと立ち尽くしてから……




「…………………ぅぁああああっ!!」




 呻き声を上げながら、ベッドにダイブした。



 なんなのアレ。なんなのもう、可愛すぎる!

 『明日も一緒に、美味しいものを食べましょ』だって? イエスに決まってんだろそんなモン!!


 つーか飴ちゃん! 飴ちゃんもらっちゃった!! 初めてのもらいもの……これは家宝として後生大事に取っておこう。明日防腐剤を買いに行く。絶対に買いに行く!!


 ていうか、え? あの娘あんなにデレるタイプだったっけ?

 学院アカデミーでは友だちも作らず、どんなイケメンに告白されても一切なびかなかったのに……

 だから自分も、旅のパートナーとはいえ必要最低限の会話しかされないんだろうな、くらいに思っていたのに。


 どっこい、めちゃくちゃ心を開いてくれているじゃん。

 ヤバイよ。あんな嬉しいこと言われて、飴ちゃんもらって、あんな笑顔見せられたら……



 ………………は、測りたい。



 ああああっ! 彼女のバストやヒップはもちろん、ふくらはぎも二の腕も、まつ毛の長さも、手足の指の一本一本までぜんぶ測りたい!

 彼女のカタチを全て知り尽くして、自分のモノにしてしまいたい!!


 なんせ、もう二ヶ月も測っていないのだ……きっとまた成長しているに違いない。

 くうぅっ、ダメだ。欲求が抑えられない……彼女にまつわる情報を最新の状態にアップデートしなければ、気が済まない!!




 ……などと、枕に顔を押し付け、一頻ひとしきり脳内でのたうち回ってから。



「………………………」



 右の手のひらを広げ、先ほどエリスからもらった飴玉をもう一度眺める。



 ……恐らくだが、自分は今、エリスと良好な関係が築けている。少なくとも、嫌われてはいないはずだ。

 これからも、仕事の相棒として、一緒に食事を楽しむ仲間として、彼女の側にいられるのなら……それだけで充分、幸せなはずなのに。


 ……やはりどうしても、彼女のことを知り尽くしたいと、そう思ってしまう。そんなことをしてバレたら、確実に嫌われると解っているのに。

 これはもう、さがなのだ。ターゲットについて詳らかに調査することこそが全てだった男の、哀しきさが



 もう限界だ。昨夜はなんとか我慢したが……

 二年以上も追いかけ続けた相手が、今まさに、隣の部屋にいるというのに。

 何もせずに寝るなんて、無理に決まっている。


 それに……



『これからは、自分の好きなもののために生きましょ』



 そう言ったのは、他でもないエリス自身である。




「…………なら」


 ……その言葉の責任、取っていただきましょうか。

 貴女のカラダで。




 クレアは理性の外れた、不敵な笑みを浮かべると。

 自分の旅荷の中から聴診器を取り出し、壁に当て、エリスの部屋の音を探り始めた──


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