5-1 半年ほど時間を置いたものがこちら

 



 ──"精霊"。


 それは、空気中を漂う不可視の存在。



 確認されているだけでも数十、まだ発見されていないものを含めると、その種類は数百にも及ぶと言われている。


 精霊を具現化し、導き、望む現象を引き起こすことを、人々は『魔法』あるいは『魔術』と呼び。

 その術を身に付けた者を、『魔導士』と呼んでいた。



 精霊の具現化には、本来うんざりするほど長い呪文を唱える必要ある。

 しかし魔法大国・アルアビスでは、その呪文を省略する技術を生み出していた。

 それは、呪符を留めた特殊な指輪を身につけ、"魔法陣"を描くというもの。

 これにより、魔法は人々にとってより身近なものへと変わった。街の灯りや水道といったインフラ整備にも活用が可能になったためだ。


 しかしながら、魔法の力は誰しもが自由に操れるものかというと、そうではない。

 王都に拠点を構える国の中枢組織・通称"中央セントラル"は、しかるべき教育と訓練を受けた者にのみ指輪を与える、という決まりを定めたのだ。



 そして。

 その、しかるべき教育と訓練を施す機関こそが。


 国立グリムワーズ魔法学院。

 通称、『アカデミー』。



 アルアビス国内における、唯一の魔法教育機関である。

 つまり、魔導士を志すのであれば、自ずとこの『アカデミー』への入学を目指すことになるのだ。


 学力だけでなく、一般教養や運動能力といった厳しい試験をクリアし、見事入学した者には、卒業と同時にその指輪が授けられる。



 地位と、名誉と、魔力を求め。

 狭き門をくぐり抜けた新入生たちが。


 今年も、このアカデミーへとやってきた。




 * * * *




 ──王都の中心部に広大な敷地を構える、国立グリムワーズ魔法学院。


 鉄製のおごそかな正門を抜けると、美しい並木通りが真っ直ぐに続いており、正面には、このアカデミーの象徴とも言える巨大な講堂が昂然こうぜんと佇んでいる。


 その、講堂の中で。


 今まさに、今年度の新入生を迎える入学式が執り行われていた。

 百五十名あまりの、今年十五歳になる少年少女と、その親族が見守る中。



「──続いて、新入生代表による挨拶です。エリシア・エヴァンシスカさん、お願いします」



 司会の指名を受け、最前列に座っていた少女が静かに立ち上がり、階段を登って舞台へと上がる。

 そして中央に置かれた演台を前に立つと、手本のように美しいお辞儀をしてから。

 にこりと、柔和な微笑を浮かべた。



「華やかな春の香りに心踊る今日。私たちは、この国立グリムワーズ魔法学院の門をくぐりました。緊張や不安が無いと言ったら嘘になります。しかしそれ以上に、これから始まる新たな生活への夢や希望で、今は胸がいっぱいです」



 落ち着いた、それでいて聞く者をはっとさせる、力のある声だった。

 そのよく通る声で、台本やメモなどを一切見ずに、彼女は数百名の聴衆に向かって、堂々と入学の挨拶を述べ始めた。



 ……と、それを見ていたとある新入生の母親二名が、ヒソヒソと話し始める。



「さすが、首席で入った子はしっかりしているわねぇ。やっぱりお育ちが違うのかしら」

「きっと貴族のご令嬢に違いないわ。赤ん坊の時から英才教育受けてきたのよ」

「でも、エヴァンシスカなんて姓、この辺りじゃあまり聞いたことがないけど……あら?」



 と、母親の内の一人が何かを見つけたように「見て、アレ」と斜め前を指さす。

 もう一人の母親がその指の先を見遣ると……


 参列者の中に、白い髭を口の周りに蓄えた老紳士が座っていた。

 しかし、どうもその様子がおかしく……



「あのおじいちゃま……あの子の挨拶聞きながら、涙を流しているわ」

「本当ね。恐らくあの子の親族の方なんじゃないかしら。ほら、身なりがきちんとしているもの。やっぱりそれなりのご家庭のお子さんなのよ」

「なるほどねぇ。おじいちゃま、お孫さんの晴れ舞台を見れて感動しちゃったのね。……ん?」



 そこで、老紳士が足元のカバンからゴソゴソと何かを取り出すような動きをするので、母親の内の一人が再び指をさす。



「待って。何か始めるみたいよ」

「え?……あれは…………」

「……スケッチブック?」



 そう。その老紳士が取り出したのは、そこそこの大きさのあるスケッチブックだった。

 突然のことに老紳士の両隣の参列者も驚き、少し引いた様子でそれを見つめている。


 しかし老紳士はお構いなしに鉛筆を一本取り出すと、一度エリシアの方へそれをかざし、片目を瞑って比率を測るようにしてから……

 サラサラと滑らかに、壇上で挨拶を述べる彼女の姿を描き始めた。


 その筆使いには、一切の迷いがない。よほど絵を描くことに慣れているのだろう、時々ちらとエリシアの方を見上げては、鉛筆で瞬く間に濃淡をつけてゆく。



「すご……あっという間に描いちゃった」

「お上手ねぇ。貴族さまじゃなくて、画家さんのお家なのかしら」



 最初は引いていた周囲の参列者も、その出来栄えに思わず小さな感嘆の声を漏らす。

 エリシアの勇姿を完璧に模写した老紳士は、満足気に一度頷くと、



「……………」



 自身の描いた絵を眺めながら。

 ハァハァと、息を荒らげ始めた。


 それに再び、周囲が身体を仰け反らせる。



「なんか……あのおじいちゃま、怪しくない?」

「そうね……もしかして、ただの不審者……?」



 母親二人組が警戒の眼差しを老紳士に向けた……その時。

 会場中に、拍手が湧き起こった。エリシアの挨拶の言葉が終わったらしい。壇上でお辞儀をし、舞台から降りようとしている。


 母親たちがそちらに目を向けている間に、老紳士はスケッチブックを小脇に抱え立ち上がり、静かに講堂から出て行こうとしており……



「やっぱり不審者だわ。私、学院の人に言ってくる」



 気付いた母親の一人が睨み付けながら腰を上げると。

 その視線に気付いた老紳士は、母親の方を向いて。



 ──にこっ。



 と、人の良さそうな笑顔を浮かべた。

 それが、あまりにも素敵な微笑みだったので。

 母親二人組は、相手が老人であることも忘れ、少々顔を赤らめて、



「………悪い人では、ないみたいね」

「………そうね」



 上げかけた腰を、ゆっくりと椅子に下ろしたのだった。


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