5-2 半年ほど時間を置いたものがこちら
いまだ入学式が執り行われている大講堂を出ると……
老紳士は、真っ直ぐに伸びる並木通りを抜け、正門をくぐり学院を後にする。
そしてそのまま隣接する別の敷地へと入り、勝手知ったるといった様子で建物の内の一つ……白壁の、無機質な造りをした建物の中へと足を踏み入れた。
階段で二階上がり、いくつかの扉を横目に長い廊下のずうっと進むと、突き当たりにある扉に鍵を差し込み、開ける。
ぱたん、と後ろ手に扉を閉め、内側から鍵をかけ。
シンと静まり返った部屋の中……ベッドとテーブルがあるだけの、質素な空間を見渡して。
──べり、べりべりっ。
と。
白い口髭と、付け眉を剥いだ。
その下から、皺一つない若々しい肌がのぞく。
さらに頭からも、白い毛髪を掴み取ると……焦げ茶色の艶やかな髪が現れた。
「……ふぅ」
剥ぎ取った老人の変装をテーブルの上に放り投げ、彼はベッドに腰掛ける。
そして脇に抱えていたスケッチブックを広げ、パラパラとめくり、それを眺めた。
最初のページから、最後のページまで。
描かれているのは、すべてエリシアの姿だ。
今にも声が聞こえてきそうな、八百屋の前で呼び込みをする姿。
とろんと幸せそうに目を閉じた、食事を楽しむ姿。
悪どい笑みを浮かべた、金勘定をする姿。
横顔も、寝顔も、後ろ姿も。
もちろん、屈託のない明るい笑顔も。
その数、約五十ページ。しかしこれは二冊目で、一冊目はとうの昔に消費してしまっていた。
その、二冊目最後のページに加わった、先ほどの入学式での姿。
彼は、自分で描いた鉛筆画の彼女に触れ、「はぁ」と吐息を漏らす。
「……今日も、可愛かったなぁ…………」
そう、呟いてから。
暫し沈黙した後に。
「………………じゃ、ねぇぇえええ!!」
パァン!! と、開いていたスケッチブックを勢いよく閉じ。
彼……クレアルド・ラーヴァンスは、自身の頭を抱えた。
はぁあ? なにコレ、こっわ。え、まじで何してんの俺。
あの娘の入学式に参列するために、わざわざ変装までして忍び込んで……任務で
ああもう、ほんと……どうしたらいいんだ。誰か、俺を止めてくれ。
──エリシアに初めて出会ったあの日から、約半年間。
彼は、何度か……否、
最初は一ヶ月に一度だった。
それが次第に、半月に一度、一週間に一度……と頻度が高くなり……
見る度にコロコロと変わる彼女の表情を何かに残しておきたいと、独学でデッサンまで始め……
結果、このような恐ろしいスケッチブックが完成してしまったというわけだ。
それをほとんど無意識の内にやってしまっているのだから、彼は自分自身が怖くて仕方がなかった。
「……………」
エリシアはこの半年間、必死に勉強し……
そして今日迎えた入学式にて、新入生代表の挨拶を務めるに至った。
そのこと自体は、本当に喜ばしいことだと思う。
動機はどうあれ「魔法を学びたい」という強い思いを実らせ、あんなにも立派な挨拶を堂々としてみせたのだから、ジェフリーも草葉の陰でさぞ喜んでいることだろう。
しかし。
それを差し引いても、自分のこの行動は異常だ。
若い男が一人で参列しては怪しまれると思い、老人の変装までして彼女を見に行ったのだ。
挙句、彼女の努力が実った喜びと、壇上で挨拶を述べる凛々しさに感極まって、涙さえ流し……
人目も
一体、どうしてしまったというのだろう。
こんなの、『恩師の遺言通りにその娘を見守る』ことの範疇をとっくに超えている。
彼女のことになると、まるで別の人格に身体を乗っ取られたかのように自制が効かなくなってしまうのだ。
もっと見ていたい。彼女のすべてを知りたい。
嗚呼、これではまるで。
ストーカーだ。
「…………」
クレアはふと、窓の外に目を向ける。
王都の中心部に位置する、"
この国の政治や法、軍事を統括する組織の名称だ。
組織そのものを指すのはもちろん、庁舎が数多く存在するこの場所自体もそう呼ばれている。
クレアは、この"
有事の際、兵力として国に尽くせるよう、厳しい訓練を幼少期から受けてきた。
十歳までは同じ敷地内にある養成施設で他の子ども達と共同生活をしていたが……
ジェフリーに出会い、正式にアストライアー所属になってからは寮で生活している。ここは、寮内にあるクレアの自室である。
そして、そのすぐ隣の敷地にあるのが……
今日からエリシアが通うことになった、国立グリムワーズ魔法学院。
通所『アカデミー』なのだった。
アカデミーは全寮制である。
つまり……
今日から彼女は、目と鼻の先にある場所で生活を送る。
これまでは王都を離れ、エステルア領にまで足を運ばなければ彼女を見守ることが出来なかったが……
今後は、その気になればいつでも拝みたい放題だ。
そう考えるだけで、もうワクワクが止まらなかった。
どうしよう。とりあえずあの可愛らしい制服姿を肉眼に焼き付け、あらゆる角度で
あ、体操着姿もいいな。彼女は運動神経も良さそうだから、躍動感のある姿を捉えることができるだろう。脳裏に浮かぶ白いシャツが似合いすぎて、眩しいくらいだ。
……いや、待てよ。
やばい。すごいことに気が付いてしまった。
ひょっとして、夏には……
スク水姿が拝めるのでは……?!
「…………って、だから違ぁああう!!!」
そこまで考えて、クレアは自身の頭を掻き毟る。
駄目だ。完全におかしい。病気なのかもしれない。このままでは本業に支障をきたす。
エリシアの様子を見に行くのは、せいぜい月一……いや、二ヶ月に一回にしよう。
国が運営する学院の寮で生活するのであれば、安全も保証されている。自分が頻繁に見守りに行く必要も、もはやないだろう。
「…………よし」
明日からは、仕事と自己鍛錬に専念しよう。
今日は非番だが、明日は大事な会議もある。
訳のわからない感情に自分を見失うのは、もうやめだ。
そう自分に言い聞かせ、一つ頷くと、クレアは壁に掛けていた剣を手に取る。
演習場で素振りでもしながら、精神統一をしよう。
自分は、国に忠義を尽くす剣だ。
余計な欲望や感情は、いらない。
「……………」
彼はじっと、鞘に納めた剣を見つめてから。
変装のために着ていた服を脱ぎ、訓練着へと着替え始めた。
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