4-4 続いて、恩師の娘の一日に密着します

 



 "人間は、死んだらそれでおしまい。

 だから、今日を妥協せずに生きる。

 自分自身の人生を、後悔しないように。"



「…………」



 それは、生まれた時から生き方を決められていたクレアにとって、考えたことすらない人生観だった。


 この命は国の為にあるのだと信じて疑わず、忠義を尽くし、上司の指令に従い行動してきた。

 そこに、私情は一切介入させない。と言うより、自分の意思だとか欲だとかが湧くことすらないよう育てられてきたのだ。


 それなのに。

 目の前の少女は言う。



『美味しいものをうんと食べて、「今日もお腹いっぱい、幸せだった」って、毎日眠りに就きたいの』



 そうか。そんな生き方も、あるのか。

 この命を、自分のために使うという生き方。


 それができたのなら……

 自分も、上辺だけの笑みではなく、彼女のように。

 心の底から、笑うことができるのだろうか。



 クレアは、自分の手のひらに目を落とす。

 ジェフリーの命が消えてゆくあの感覚が、今でもこの手に生々しく残っている。


 人は、いつか死ぬ。

 ならば、もう少し。


 自分のために生きてみたって、ばちは当たらないのかもしれない。





 そんなことを考えていると。

 二つ目のケーキを食べ終えたらしいエリシアが、ぱんぱんっと手を払い、



「じゃ、あたし帰るわ。またね、母さん」



 墓石に向け手を振って、元来た道を帰ろうとするので、クレアは慌てて動き出す。

 マーガレットの花を……父親からの誕生日の贈り物を届けるには、このタイミングしかない。


 彼は森の中を駆け、先回りするように八百屋を目指した。




 * * * *




 賑やかな商店街が、オレンジ色の夕陽に染まる頃。



「…………あ……」



 エリシアは、住まいである八百屋に帰り着くなり、声を上げた。

 店舗とは反対側の、勝手口。

 その扉の下に、見つけたのだ。


 白い、マーガレットの花を。


 彼女は駆け寄り、しゃがみ込むと。

 まるで壊れ物を扱うように、そっと手に取る。

 たった一輪だけのその花を、彼女は愛おしそうに見つめ。



「…………えへへ」



 目にうっすらと涙を浮かべながら、嬉しそうに微笑んだ。

 そしておもむろに顔を近付け、瞳を閉じ、花の匂いを嗅ぐ……

 が。



「…………ん?」



 すぐに目を開き、小首を傾げる。

 そして、茎に巻かれた赤いリボンをじっと眺め……



「………………」



 何かを考え込むように、暫し黙り込む。



 ……それを、二軒隣の建物の陰に隠れているクレアが、「何かまずかっただろうか」とハラハラしながら見守っているわけだが……



「……ふーん」



 何を納得したのか不明だが、エリシアはそう呟いて。

 花を大事に持ったまま、勝手口から家の中へと入って行った。






「…………はぁぁ」



 クレアは、深く深く息を吐く。

 終わった。任務完了だ。


 これで、心置きなく王都に帰れる。

 これで、ようやく……


 あの娘の監視から、解放される。



「………………」



 しかし。

 その時、クレアは。

 自身も困惑するような、妙な感覚に襲われていた。



 エリシアの、明るく元気な笑顔。

 金勘定をする時の、ゲスな顔。

 ステーキを頬張った時の、とろけた表情。

 墓石に語りかける、寂しげな瞳。

 そして。


 最後に見せた、泣き笑いするような、切ない表情。


 目まぐるしく変わる、いろいろな表情かおを、もう、見守ることができないのかと思うと……

 なんだか妙に、残念なような……

 それに……



 あの、悩ましげに舌をうねらせる、艶かしい表情も……



 って、それは違う違う。


 ……兎に角。

 一日半密着し、愛着と言うか、庇護欲というか……まぁ、その、なんだ。

 つまりは、彼女をもっと見ていたいと、そう思ってしまっているのだ。


 任務に私情を挟むだなんて……いや、そもそもこんな欲求が湧き起こること自体、初めてだ。

 昨日からずっと、エリシアには調子を狂わされてばかりである。


 しかし、任務は任務。

 彼女とは、金輪際会うことはあるまい。


 そう言い聞かせ、クレアは歩き出す……が。



「………あ」



 そこで、思い出す。

 ジェフリーが、今際の際に言った言葉を。



『時々でいい。娘と、妻を……見守っていてほしい』



 そうだ。たしか、誕生花の話をする前に、そう言われていたのだ。

 …………と、言うことは。



「…………」



 クレアは、彼女が消えていった扉を振り返る。




 仕方がない。

 上司からの指令だ、遂行しないわけにはいかない。


 これからも、見守りに来るとするか。




 なんて、半ば言い訳のようなセリフを胸の内で呟いて。


 クレアは口元に笑みを浮かべながら、タブレスの街を後にした──


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