3 恩師の娘の奇行が性癖に刺さります

 



 その日の夜。



 少し離れた場所に宿を取ったクレアは、街が寝静まった頃、再び八百屋へと向かった。


 エリシアの誕生日は明日。

 彼女が寝ている内に、この花を──ジェフリーの想いを託したマーガレットの花をそっと届けたいところだが……さて、どこに置くのがベストだろうか。



 昼間、あれほど賑やかだった商店街も全て店じまいされ、暗く静かな夜の顔を見せていた。

 太陽の下では温かみを感じていたレンガ畳さえ、今はどこか冷たく感じる。



 クレアは月明かりを頼りに、八百屋の建物の構造をあらためて確認する。


 八百屋の店舗側……ここに花を置くのは、正直微妙だろう。明日の朝、店を開けるのがエリシアとは限らない。しかも、商店街のメインストリートのど真ん中である。通行人に拾われてしまう可能性だってゼロではない。


 ぐるっと建物を回ると、裏側に勝手口のような扉があった。

 うむ、こちらはどうだろうか。通りに面した店舗側に置くよりはいいように思うが……



 ……と、クレアが腕を組んだ、その時。


 真っ暗だった二階の部屋に、突然パッと灯りがついた。

 クレアは咄嗟に、近くにあった街路樹に身を潜める。

 そこから、そうっと二階の窓を見上げると……



「……あれは……」



 窓の向こうに、パジャマ姿のエリシアが見えた。もうすぐ日付が変わる頃だが……こんな時間まで起きていたとは。

 机があるのか、彼女は窓の方を向いて座るような動きをする。そのまま顔を下に向け、そこから動かなくなってしまった。



「……………」



 日記でも書いているのだろうか。それとも、勉強?

 いずれにせよ、窓側を向かれていては花を置くことは困難だ。下手に動けば見つかってしまう。


 明日の朝、早くにまた出直すか……?


 と、クレアが様子を伺っていると。



 ──ガララッ。



 今度は、二階の窓が開いて。

 そこから、エリシアが顔を出した。

 クレアは再び木の陰に隠れ、息を潜める。



 まさか……気付かれたか?

 こんなところでこそこそ隠れているのが見つかっては、間違いなく不審に思われる。悲鳴を上げられたっておかしくない。

 そうなるとまずいな……逃げることは容易だが、警戒が強まれば花を届けることが困難になってしまう。


 少し緊張したまま、クレアは気配を殺すが……



「……………」



 しばらく待ってみても、悲鳴は上がらなかった。

 彼はもう一度、そろ……っと窓の方を盗み見る。

 すると。



「………」



 エリシアは、窓のふちに手をかけ。

 闇夜の中で、そこだけくり抜いたようにまん丸な月を、じっと見上げていた。

 大きな赤い瞳に、金色の明かりが反射している。


 そして、何かのでも感じたのか、鼻をすんすんと鳴らしたかと思うと……

 ゆっくりと、目を伏せて。



 ──レロッ。



 と、ピンク色の舌を突き出し。

 宙を、舐めた。



 そのまま、まるで見えないキャンディでも舐めるかのように、彼女は舌を上下に動かし始める。

 それを見たクレアは、



「……………」



 ……困惑していた。


 え、なにアレ。なにやってんの? なんかのイメトレ?

 意味不明だ。そう思う一方で。



「…………………」



 次第に、彼は……

 少女の奇行に、息を飲むほどに釘付けになっていった。




 "なにか"を求めるように彷徨う、柔らかな桃色の粘膜。

 それが、月明かりに照らされ、艶めくように光っている。

 時折聞こえる、くちゅっという湿った音が、耳の辺りに纏わりつくようだ。



 今日知ったばかりの、話したことすらない女の子。

 あの、達者な売り文句を紡いでいた舌が……

 今、無防備に、外気に晒されている。


 ここで見ている人間がいるとも知らずに、普段は人に見せることのない部分を……あんな風に動かして。



 うっすらと閉じられた瞳。

 半開きの口。

 何かを求めるように、うねるソレ。


 嗚呼、なんて…………



 ……情欲をそそる。






「……………」



 ん…って、何を考えているんだ。十四歳の女の子の舌を見て"そそる"だなんて。それに、ジェフリーの娘だぞ、あれは。


 と、自身の中に湧き起こった感情に慌てて蓋をする。もし動ける状態なら、首を振って両頬をペチペチ叩いていたところだ。

 クレアが胸の内で自分を律したのとほぼ同時に、エリシアも舌を引っ込め、



「……うーん……」



 何かを玩味するように口をもぐもぐしながら、小首を傾げて唸る。

 しばらくそうしてから、やはり「ううむ……」と眉間に皺を寄せたまま窓を閉め……

 部屋の中へ戻ったかと思うと、すぐに部屋の明かりが消えた。



「…………なんだったんだ」



 暗くなった窓の向こうを確認し、クレアは呟きながらふっと肩の力を抜く。


 本当に、今の奇行は何だったのだろう。何かの味を確かめているようにも見えたが……

 彼女を真似して、辺りのにおいを嗅ぎ、少し舌を出してみるけれど……当然、何も感じられない。


 単なる癖だろうか。それとも……

 彼女にだけ感じられる、見えないナニカの味があるのか……



「……まさかな」



 はぁ。と息を吐いて。

 もう一度だけ、彼女のいる部屋の窓を見上げてから。


 静まりかえった夜の商店街を抜け、クレアは宿へと戻った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る