4-1 続いて、恩師の娘の一日に密着します
「…………じゃ、ねーよ」
翌朝。
クレアは、起床と同時に……自分自身にツッコんでいた。
失態だ……エリシアの奇怪な行為に動揺し、花を届けるという本来の目的を見失ったまま宿に帰ってきてしまうとは……
しかも、宿に戻ってからも彼女のあの姿が頭から離れず、しばらく悶々としたまま寝付けずにいたため、
「………………」
目を覚ましてみたら、もうすっかり日が昇りきった時間帯になっていた。
ジェフリーから託された、最後の任務の期日……
エリシアの、誕生日である。
……こんなことは初めてだ。
物心ついた時からずっと、与えられた指示や任務をこなすことだけを考えて生きてきたのに……
それを、見失うなんて。
さらに言えば、ターゲットを魅了し籠絡することはあっても、クレア側が色香に惑わされることなど一度たりともなかった。そっち方面の自制心には、むしろ自信がある。
それなのに、どうしたというのだろう。
こんなの、自分らしくない。
自覚している以上に、ジェフリーを失ったショックが大きいのだろうか。
……それとも。
単純に、エリシアのあの姿が、自分の中の"なにか"に刺さってしまったのか……?
……いや、そんなはずは。
考えを振り払うように、クレアは頭を左右に振る。
嗚呼、予定では朝の内にエリシアが花を受け取るのを見届けて、昼前には王都に向けて出発するはずだったのに……
仕方がない。もう一度、花を届けるチャンスを伺おう。
誕生日である今日中に、その手に渡ればいいのだから。
そう切り替えて、布団をめくりベッドから降りる。
そのまま窓に近付き、カーテンを開けると……外には雲一つない青空が広がっていた。
起き抜けの目には刺激が強すぎるくらいの快晴だ。
あの、明るく元気な少女の誕生日に相応しい天気。
クレアは小さく息を吐いてから、憎らしいくらいに照りつける太陽を見上げて、
「……大丈夫ですよ。必ず、任務は遂行します」
どこかで見ているであろう元上司に向かって、そう呟いた。
──再び……いや、三たび。
クレアは、例の八百屋を訪れた。
昨日、あの娘がエリシアで間違いないかを確認するため、店の女将さんに話しかけてしまったことを少し後悔する。
食事処ならまだしも、たまたま立ち寄っただけの旅人が、昨日の今日でまた同じ八百屋の様子を伺うのはさすがに不自然すぎるだろう。
だから今回は、見つからぬよう裏手側から建物に近付いた。どうやら既に店は営業しているようだが……
と、隣の建物との間にそっと身を潜め、エリシアがいるかどうかを探ろうとすると、
「おばちゃん。あたし、今日お店の手伝い休んでもいい?」
そんな声が、八百屋の店先から聞こえてくる。これは、エリシアの声だ。
そのすぐ後に、別の声が「えっ?」と聞き返してから、
「いいけど……どうしたんだい? どこか具合でも悪いの?」
これは、昨日話した女将さん……エリシアを引き取った親戚の女性の声。
「ううん。今日は母さんの月命日だから、お墓参りに行きたいな、って思って」
「そうか……そういうことなら、もちろん構わないよ。もうひと月になるんだね。あ、そうしたらこれ……はい、お小遣い」
「えっ、いいよこんなに」
「何言ってんの。これはエリスちゃんが稼いだお金だよ。お小遣いと言うより、お給料だね。お母さんに、花でも買って行ってやんな」
「……ありがとう!」
そんなやり取りの後、エリシアが「じゃあ、行ってきます!」と店先から勢いよく出て行くのが見え、クレアは慌てて裏手側の通りから後を追う。
店舗側に回れば女将さんに見つかる可能性があるので、ひとまずは一本隣の道を並走することにする。
それにしても、今の会話……八百屋の女将さんは、今日がエリシアの誕生日であることを知らないのか?
エリシアも、今日が自身の誕生日ではなく"母の月命日"なのだと告げていた。
何故、言わなかっただろう。
確かに、引き取られたばかりの遠縁の親戚に「今日、あたしの誕生日なの!」と言うのは
それとも、何か別の考えがあってのことなのだろうか……?
いずれにせよ、彼女の後を追い、花を届けるチャンスを伺わねば。
あの八百屋の近くで日がな一日、いつ帰るかもわからない彼女を待ち続けるのはさすがに非合理的すぎる。
……と、八百屋からだいぶ離れたので、路地を曲がりエリシアがいる方の通りへ合流する。
少し前を走っている姿を捉え、クレアは付かず離れずの距離で尾行し始めた。
まもなく昼食時。商店街はたくさんの人で賑わっている。
それを掻き分けるようにエリシアはどんどん進み、大通りの終わりに位置する十字路を右に曲がった。
追跡していたクレアも、見失うまいと駆け出し、同じ角を曲がる。
が、すぐにその足を止める。
エリシアが、角を曲がってすぐのパン屋へと入っていくのが見えたのだ。
彼女が「こんにちはー!」と元気に挨拶しドアを閉めたのを確認してから、クレアはそっとその店に近付く。
ショーウィンドウから中の様子を伺うと、エリシアが店主らしき中年男性と話しているのが見えた。
換気窓が開いており、ちょうど二人の会話が聞こえてくる。
「ああ、エリスちゃん。ジャムの売り上げ金の回収だね。あの三種のベリージャム、昨日補充してもらってよかったよ。すぐに売れちゃったから」
「ほんと? よかった! また持ってくるね。あ、おじちゃん。あたし今度はトマトのジャムを作ってみようと思うの。甘さと酸味があって、美味しいんじゃないかな、って。どう思う?」
「ほう。フルーツ以外のジャムなんて、なかなかに珍しいね。うん……いいんじゃないかな。トーストに塗ってもいいし、スライスしたバゲットにクリームチーズなんかを一緒に乗せて食べても美味しそうだね」
「そうなの! トマトジャムならいろいろなアレンジができそうだし、他になかなか置いていないから、作ってみたくって!」
「うんうん、すごくいいアイディアだと思うよ。出来上がったら、また持ってきておくれ。うちにぜひ置かせてほしい」
「ありがとう! と言っても、実際に作ってくれるのはおばちゃんなんだけどね」
「なぁに、適材適所ってやつさ。それだけいろんなアイディアが浮かぶんだから、大したもんだ」
そう言いながら、店主はジャムの売り上げ金と見られる金貨を袋に入れ、エリシアにそれを手渡した。
その中身を確認しながら、エリシアは続けて、
「ねぇ、本当に払わなくていいの? ここで売らせてもらっている場所代というか、手数料。最初は売り上げの一割を納めるって約束していたのに」
「ああ、いいんだよ。むしろエリスちゃんのジャム目当てに来て、ついでにパンを買ってくれるお客が増えたくらいなんだから。うちとしても大助かりだよ、ジャム様様だ。だから、その手数料はエリスちゃんの商品開発費用にでも充ててくれ。次のも、期待しているよ」
「おじちゃん……」
ウィンクをする店主に、エリシアは胸を打たれたような表情を浮かべる。
そして、その顔をぱぁっと明るく輝かせ、
「ありがとう! トマトのジャム、絶対美味しくするね! パンもまた買いに来るから!」
「うん、いつでも待っているよ」
店主に笑顔で見送られ、エリシアはパン屋を後にした。
そのまま来た道と反対方向へと進んでいくので、クレアは再びこっそりと尾行をする。
そして、今しがたの会話を思い出しながら、思う。
たった一ヶ月足らずでここまで他店の人間から信頼を置かれるとは……なかなかの人心掌握術だ。
彼女が元来持ち合わせている明るさと愛嬌、それに行動力と発想力とが合わさって、周囲の人間の心を掴んでいるのだろう。
密偵として、相手の心に踏み入る術を後天的に身に付けたクレアにとって、彼女の生まれ持ったその性格は少し羨ましく思えた。
と、少し前を歩いていたエリシアが、急に狭い路地へと入り込んだ。クレアは歩調を速めてそれを追う。
エリシアが曲がった先は……人ひとり通るのがやっとの、建物と建物の間だった。
日が当たらずひんやりと暗い、埃っぽい路地裏。
そんな誰も足を踏み入れないような場所に、一体何の用があるというのだろうか。
クレアは疑問に思いながら、そうっと片目で覗き込むと……
エリシアは、路地の真ん中でしゃがみこんでいた。
そして
……パチパチと、そろばんの珠を弾き始めた。
どうやら、金勘定をしているらしい。
真剣な表情でしばらく計算をし、最後にパチンと小気味いい音を鳴らすと、
「……うん、まぁまぁね」
そう呟いてから。
──ニタリ。
と、悪巧みをするような笑みを浮かべた。
先ほどまでの明るく朗らかな雰囲気とは打って変わって、人の悪そうなゲスい表情をして、
「一割でもじゅーぶんだったけど、まさか二割ももらえるなんて……おじちゃんに感謝だわ♡ んふふ♡」
などと囁き、含み笑いをこぼす。
そのまま、その二割の額と思われる金貨を、ポケットから取り出した財布へとしまった。
それを目にしたクレアは、恐ろしいことに気がついてしまう。
昨日、八百屋の女将さんと話した時に言っていた言葉……
『売れ残った果物をジャムに加工したり、野菜を煮詰めてソースを作ったりして、パン屋や肉屋に置いてもらうことも自分で交渉して決めてきた。売り上げの二割を場所代として払うことを条件にね』
しかし先ほどのパン屋の店主とのやり取りで、エリシアは『売り上げの一割を納める約束をしていた』と話していた。
さらに、たった今エリシアが溢した囁き。これらを合わせて考えると……
エリシアは最初から、売り上げの内の一割を自分の懐に入れるつもりだったのではないか……?
それがパン屋の店主の厚意で、売り上げをまるっとそのまま受け取れることになり……
恐らくエリシアはそれを八百屋の女将さんには伝えないまま、二割分を自分の財布に納めているのだ。
なんと恐ろしい。この娘……
純真無垢な元気少女かと思いきや。
すべて計算尽くで天真爛漫を装う、"銭ゲバ"だったのだ。
「おばちゃんから思いがけない臨時収入もあったし、こりゃ大奮発できちゃうわ♡」
二つ折りの赤い革財布にちゅっ、と口づけをし。
残った売り上げ金を袋に戻し始めたので、クレアは少し離れた場所へ退避する。
しばらくして、エリシアが路地裏から現れ再び通りを軽やかな足取りで歩き出す。それを、
「……………」
クレアはなんとも言えぬ気持ちで見つめてから、追跡を再開した。
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