エピローグ

最終話 新しい朝

 気がついた時には、シャラーレフはベッドの上らしきところにいた。

 布団の中はぬくぬくと温かくて悪くない気持ちだったが、何がどうなって自分が今寝ているのかがいまいちわからなかった。


(えぇっと、何でしたっけ。そうです。私はラースト村の人々に騙されて刺されて死にかけて、キルスに助けられて……で、どうしたんでしょう)


 うとうとしながら目を開けると、目の前にあったのは黒い仮面を被った顔だった。

 一瞬、本気で死んで地獄に堕とされたのかと思ったが、よく見るとそれはガスマスクをつけたサームだった。


「ア、元御主人、起キタ」

「やっと気がついたんだ、お嬢さん……じゃなくて、お姫さん?」


 横から、甘ったるい笑みを浮かべたルトの顔も現れる。


「……その呼び方はあまり好きじゃありません、ねっ?」

 シャラーレフは普段通りに起き上がった。だが肩に痛みが走り、左腕はうまく動かせなかった。服の下を見ると、左肩にはきっちりと包帯が巻かれていた。


「あぁ、そっちはあんまり動かさない方がいいよ。傷がふさがっても、もう前にみたいには動かせないらしいから気をつけてね」

 ルトは何でもない事のようににこやかに笑い、付け加えた。

「お嬢さん、出血多量で死にかけて危篤になって、数日間昏睡状態だったんだよ。良かったね。生き延びれて」


「そうだったんですか……」

 シャラーレフは白い寝間着を着た自分の体を眺め、よく生きていたなとしみじみと思った。どうやらキルスのおかげで、志半ばで死なずに済んだらしい。


 髪を耳にかけながら、ぼんやりとしたままの頭で周りを見回せば、そこはダリュシュの家の二階の客室だった。今はおそらくバルディア将軍の管理下に置かれているのだろうな、とシャラーレフは推測した。

 窓の外をのぞくと白銀の雪景色が広がっているものの、めずらしく空は真っ青に晴れあがっている。


「元御主人、水。アト、コレ使エ」

 サームがシャラーレフに水の入ったカップを渡し、後ろに大きなクッションを置いてくれた。

「ありがとうございます」

 シャラーレフはそのクッションに身を預け、ゆっくりと水を飲んだ。一度温めて冷ましたものなのか、ほどよいぬるさの水だった。


 水を飲んで一息つくと、シャラーレフは並んで椅子に座っているルトとサームを見た。サームはリンゴの皮をむき皿に並べ、ルトはそれを片っ端から食べていた。どんなときであっても崩れない二人のたたずまいを眺めていると、今生きていることを強く実感する。

 リンゴの味も気になったが、シャラーレフはまずは今のラースト村の状況を確認した。


「勝ったのはバルディア将軍、なんですよね」

「うん、そうだよ。お嬢さんが仕入れた武器もちゃんと発見されたみたい。えーと、ダリュシュって人は生きてるらしいけど、これからどうするんだろうね。外国人の僕にはよくわからなくて」


 ルトが返したのは適当な情報だが、何となく感じはわかった。


「……何にせよ、ちゃんと戻ってきて良かったです」


 シャラーレフは、武器が無事だったことにほっとした。今回は武器が災いをもたらしたわけであるが、それでもシャラーレフにはその力がやはり必要だと思えた。

 そして次にシャラーレフは、この場にいないキルスのことが気になり尋ねた。


「あの、キルスはどこでしょう?」


 ルトはシャラーレフの質問を、くすくすと面白がった。


「あぁキルスね。あいつさぁ、お嬢さんが死にかけてるときは心配してずっと付きっきりだったのに、容態が安定したら『もう仕事は終わった。金輪際会うことはない』とか言って近寄らないんだよ。瀕死のお嬢さんを泣きそうな顔で運んできたくせに、馬鹿だよね」


「……キルスらしいです」


 どうやら洞窟で気を失った後もキルスがいろいろと気を病んでくれていたらしいということに、シャラーレフは頬を赤らめた。だが最後は会わないというその行動には納得して、小さく笑った。


 顔が見えないのは寂しかったし、お礼も言いたかった。

 だが、これから先会えなくても、あのときキルスが来てくれて、ずっとそばにいてくれたことだけで、頑張って生きてけるような、そんな気がしていた。


「キルスのそういうところも、お嬢さんは好き?」

 ルトが静かに、場を茶化す。

「まあ、そうですね」

 シャラーレフは微笑み肯定した。


 鳶色の目を細めて、ルトは遠くを見つめる。


「助けたのが僕だったなら、心置きなく感謝してもらったのにな」

 そう言って、ルトはサームの前の皿からもう一つリンゴをつかみかじった。

 いつも通りの冗談めかした言い方だったが、少しだけ寂しそうに見えないこともない。


「そういえば、お嬢さんはキルスと賭けか何かをしてなかったっけ? あれってどうなったの」

 ふとルトが思い出したように、シャラーレフに尋ねる。

「……延長戦ってとこです」

 シャラーレフは質問に答えると、キルスと最後にした会話を反芻した。


(私はこの人生をかけて、あの人に証明します。信じることは、決して無駄ではないことを)


 結局のところ、シャラーレフは自分の考えを変えたわけではない。シャラーレフは人というものを、国を、正義を、信じている。

 だがキルスと出会い学んだことは、シャラーレフの意思をより強く固めた。それはキルスが望んでいた結果ではないかもしれないが、シャラーレフは感謝していた。この選択が生む未来が、わずかでもキルスのためにもなってほしいと思っていた。


 言葉少なく答えるシャラーレフに、ルトは今まで一番心のこもった表情で微笑した。


「そっか。じゃあ、その賭けが終わるまではキルスも死ねないね」


 後ろで束ねた薄い茶色のくせ毛の髪が、窓から射しこむ陽に透けてきらめく。齢のわりにきれいな顔は、ふわりと静かにほころんでいる。

 本人がどれくらい自覚しているかわからないが、ルトはルトなりにキルスのことがかなり好きらしい。


 だがその殊勝な微笑みは長くは続かなかった。

 ルトは一番大切なことを思い出したといった調子で、身を乗り出した。


「あ、そうだ。お嬢さんが生きてる場合の追加報酬もらってから帰りたいんだけど、バルディア将軍呼んでいい?」

「目覚メタラ呼ブヨウ、言ワレテル」


 リンゴをむく手を止めて、サームも顔を上げている。


「あ、はい、お願いします」

 慌ててこの場での自分の役割を思い出し、シャラーレフはうなずいた。


 ひさびさに依頼人に会うということで、気をひきしめる。

 反乱軍の同志に対する信頼は以前とは形を変え、ある種の緊張が生まれていた。バルディア将軍は人格者として評判の良い軍人ではあるが、それなりに権力への欲もある人物である。しっかりと態度を決めてかからなくてはならない。


「じゃあ、ちょっと行ってくる」


 軽く手を振って、ルトとサームが部屋を出た。

 一人残されたシャラーレフは、窓の外を見た。


 真っ青な空は、青すぎて暗いほどに晴れわっている。

 冷たさの中に浮かぶ太陽が、雪の降り積もった森を金色に照らす。

 その澄んだ静かな輝きを、新鮮な気持ちでシャラーレフは瞳に映した。


 同時に、懐かしい記憶も蘇る。


(そういえば昔、ナハールとこういう天気の日に雪遊びをしましたっけ)


 幼いころに見た幸福な空。

 その空の色は同じでも、それを眺めている自分自身は大きく変わっていた。


 シャラーレフは小さな胸の痛みとともに、目を落とした。


 地上をよく見れば、村人ではないであろう武器を持った男の姿が何人か見える。

 もうすでに、戦いは始まっているのだ。


 シャラーレフはこれから先に待っている戦争のことを考えた。

 今回は生きていられたが、また死ぬこともあるかもしれない。だがシャラーレフは自分が結果的に死ぬことになったとしても、抗うことはやめられなかった。


 一度心に灯った炎を、消すことはもうできない。

 シャラーレフが歩むのは、常に不本意な死の可能性とともにある道だ。


(ですが、たとえこの心に燃える炎がいつか私を燃やし尽くして一人死んだとしても、思い残すことはありません。キルスが私の想いを知って、覚えていてくれるから)


 またもう一度死ぬ時にどれかは思い出すであろう、様々な表情のキルスの顔を思い浮かべる。キルスのことを考えれば、シャラーレフの緑色の目に今までとはまた違う強い光が宿った。


 そして扉が開き、誰かが入ってくる。


 シャラーレフは、強い決意とともに笑みを浮かべてそれを迎えた。

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