三夜目


 暗闇の部屋だと認識した瞬間、またか、何故なんだと思う隙も無く、私は目の前の光景に見入っていた。


 男と女のお互いに興奮を一切隠さない荒い呼吸が響くのに、部屋に置かれている寝台の上に人影はない。それもその筈だろう、今日の男女はあと一歩で寝台という位置の床にいた。また驚いた事にこの男女は服を着ている。いや、まだ着ている、が正しいだろう。男の黒い革手袋をつけた手が女のブラウスの釦を外そうとしているが、気が急き過ぎているのか上手く外せずもたついている。


 女は男を手伝うでもなく何をしているかと言うと、床に両膝を立てて座り込んでいる男の足の間で膝立ちをし、両手で男の頬を挟み、食らい尽くす様な口付けに夢中になっている。一方が与えるものではなく、お互いに快楽を貪り合う、そんな口付けだ。瞳を開けて見詰め合ったままお互いの快楽を確認して感じ合っている相手に、より一層興奮する。口付けだけでここまで高め合う男女なら繋がったら一体どんな風になるのだろうか。そう考え至ってしまえばしまう程、私は羨望の気持ちが深くなり、どんどん目の前の光景に魅入る。


 男の手はまだ上から三つしか釦を外せていない。見ている私までもどかしい。手袋を外すか釦など弾け飛ばしてしまえばいいものを。私のそんな考えが通じたのか、女が男の頬に当てていた両手を男のもたつく黒手袋に触れた。女は男の手首に触れ、邪魔以外の何物でもない黒手袋を外そうとするが男がそれを拒む様に手を固く握りしめる。女は黒手袋を外そうと入れ口を引っ張るが男の握った手が緩む気配は無かった。少し捲れた入れ口から見えた男の手の甲は無数の裂傷痕があった。あれが原因で男が頑なに黒手袋を取りたがらないのは理解できたが、私は腑に落ちなかった。まだほんの少ししか見ていない男女だが彼らがお互いを求める気持ちは十分感じられた。そんな仲なのに醜い手だからといって遠慮するのだろうか。


 女は黒手袋を外すことを諦めたのか自分のブラウスの釦を外しはじめた。男はやはりもたついた手付きながらも下の段から釦を外すのを手伝っている。傍から見ている私からしても興醒めな間抜けな光景だが当事者の男女は欲が籠った瞳でお互いを見詰めている。釦を外し終わると女は乱雑にブラウスを脱ぎ捨て、最後の薄い肌着に手をかける。使い古した物なのだろう胸の形や色が殆ど透けて見える肌着だが目の前の男からしたら興奮を煽る物でしかなく大きく鳴った唾を飲み込む音と同時に肌着越しの膨らんだ胸へと黒手袋を伸ばした。だが伸ばした黒手袋は乳房の柔らかさを感じる前に女の手に掴まれ、そのままスカートの釦へと導かれていった。さっきの仕返しなのか先にこっちを外せとお預けを食らった男に、私は久しぶりに笑いたい気持ちになった。本当は直ぐに声を出して笑いたいが今の私には口も無ければ肉体がない。それがとても残念に感じた。


 男はスカートの大き目の数個しかない釦をもはや苛つくほどのろのろと外す。その間に女は肌着なぞとうに脱ぎ終わり男を焦らす様に、いやもはや邪魔をする勢いで口付けを再開させていた。男も流石に限界なのか女の唇から自身の口を外すと横に反らし顎を引いて女の首筋に軽く歯を立てる。口付け以外の強い刺激に女が甲高い嬌声を上げた。それを境に男が攻勢になり余裕が出来たのか私がもう脱がさなくてもいいのではとさえ考えていたスカートは無事釦が外し終わり、男が乱暴に女の足から取り払った衝撃で私の視界に届かない場所まで投げ飛ばされた。


 やっと両手が自由になった男が女の肌に黒手袋を這わせようとして、男の口と舌による愛撫の快楽で胸元に縋っていた女の手がまた邪魔をする。脇腹に、乳房に伸びた黒手袋に女の手の指一本一本が交互になる様に絡ませる。これでは二人とも両手が使えない、女がどうしたいのか分からないまま私はジッと様子を窺う。


 女は男の頬に子供を諌めるような口付けをすると指を絡ませた両手を胸元まで上げ、両手に力を籠め黒手袋に爪を立てた。


 それでやっと女の意図が分かった。男の邪魔をして両手を拘束したのは自分に触らせない為。黒手袋に爪を立てたのは触るなら黒手袋を取れという意思表示。


 それは男にも伝わったのか男はまるで不貞腐れた様に力なく顔を女の首筋に埋めた。そして爪を立てられている黒手袋を力を抜きながら手前に引く。女の爪が引っ掛かりになり、綺麗にとは言わないが男の素手がゆっくりと現れていく。指に向かう程、先ほど見た裂傷痕がまだ可愛く思える有り様だった。先端である指先は一体どうなっているのだろうかと興味を引かれ、また女は平気なのかと女に意識を向ける。

 私の目に映ったのは恍惚として独占欲を満たされ今にも嬌声を上げそうなほど昂ぶっている女の顔だった。


 私は目を限界まで見開いた。そう女の顔が、見えた。


 その女の顔は、私、だった。

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