体育祭は涼風とともに⑤

 あれよあれよという間に本殿を臨む小さな茶室に通され、アキラは畳の上で小さく縮こまっていた。


「この部屋は僕の趣味なんだよ。春は桜がよく見えるんだ」


「はあ。あの、お仕事中では……?」


「大丈夫大丈夫」


 ゆったりとした所作で抹茶を差し出す覚は笑顔を崩さない。部屋の端ではリョウが蹲って何かを弄っている。


「上……リョウくんは何してるの」


「盛り塩だ盛り塩! お前のせいで穢れが充満してるんだよ」


「け、穢れって」


「おいおいそんな言い方はないだろう。女の子には優しくしなさい」


 リョウは険しい顔つきのまま、そのまま隅に座り込んだ。


 そして覚がアキラに向き直り、一瞬、その場が静寂に包まれる。



「さて、本野さん。先ほども言ったけれど、君は大変なものに呪われているようだ。私も息子も、そういうものは見えてしまう性質でね。君の背負っているものは我々が見てきた呪詛の中でも一番酷く、やっかいなものだと思う。そして君は、自分に降りかかっている災難に気が付いているね」


「あ、はい」


「はいってお前な」


 能天気なアキラの返事に、リョウは呆れたように口を挟む。覚は気にする様子もなく懐紙を取り出し、さらさらと筆ペンを走らせ始めた。


「君の背後にこんなものが見えるよ」


 覚がアキラを見ながら描いたのは、八本の脚を持つ黒い不気味な影だった。リョウがその絵を見て頷いている。


「えっ……!?」


 アキラは息を飲み、恐る恐る首を回して自身の背後を見た。何もないその空間。しかし二人にはそれが見えている。ひやりと首筋が冷えた。


 不気味な『クモ』のような影がアキラの背後に存在する。


 その事実を信じたくない気持ちと、「やはり」と納得してしまう冷静さがアキラの心中でぐるぐると渦を巻く。


 『ハチドリ』と『クジラ』がそれぞれ無力化した今、アキラを呪っているのは『クジラ』の次に目覚めた霊、もしくはすでに目覚めている『クモ』の霊しかいない。


 それを改めて指摘されたのだ。


「恐らくこれは本体ではないね」


「ほ、本体?」


「呪いの元凶は別にある。その影は言わば呪詛の塊のようなもので、影自体に意思はない。どこかに本体がいて、君を呪っているんだ。何か体に不調は?」


「ええと、」


 ――魔除けグッズを身に着けていないと学園内で倒れます。


 そう言ってしまうと、学園の呪いについても話さないといけなくなる。しかし呪いのことは他言禁止だ。アキラは躊躇した。例え神職相手でも、ボランティア部だけの秘密を明かしてしまうのは気が引ける。


 黙り込むアキラに二人分の視線が刺さる。覚は穏やかに、しかししっかりとアキラが口を開くのを待つそぶりだが、その前にリョウが口を開いた。


「薄くなってるぞ」


「え?」


「学校に居た時よりも、影が薄くなってる。もっとどす黒くて重かった。近づくと息が詰まるくらいに」


「なるほど」


 それを聞いて覚は合点がいった表情で頷く。


「強大な呪いの中に、希望の蕾を植え付けられている。これは白鷺家絡みかな」


 ぎくりとアキラの肩が跳ねた。


 目の前の宮司は部外者のはずだ。なのに簡単に白鷺の名が出るのは何故なのか。


 アキラは逡巡する。彼は星野や若菜のように学園を探っているのか、あるいは本多のような白鷺の協力者なのか。


「そんなに警戒しなくてもいいさ。君に見せたいものがある。ついておいで」



 覚の背を追うようにアキラとリョウが並ぶ。


「白鷺って誰だ?」


「うちの学校の理事長だよ。ねえリョウくん、ずっと見えてたんだよね? 私の後ろのやつ。嫌だったでしょ。ごめんね」


「別に。慣れてるからいい。つーかお前は! もっと焦れよ! 普通呪われてるとか言われたらもっとビビるだろ!」


 リョウは語気を荒げるが、責められた本人は恐れるどころか笑いながら応える。


「私ももう慣れちゃったから……」


「そ、そうかよ。まあ、なんつーかお前も大変だな……」


 どこか諦めたような顔で宙を見つめるアキラに、リョウの勢いも呆気なく殺された。


「ここ御櫻神社はとても古くからあるんだ。戦争で焼けてしまったが、再建してね。ずっと昔からこの地に存在している。あの学園のようにね」


 本殿の奥の小路を進むと、苔むした石畳が現れる。その先には、アキラの見覚えのあるものが鎮座していた。


「これって、もしかして」


 石畳の上に不自然に乗っているそれは桜の形が刻まれた岩だった。アキラたちが地下に行く時に出入りする穴も、同じような岩で塞がれている。


「これは櫻岩さくらいわと呼ばれている。この紋に見覚えがあるかな。君たちの校章とよく似ているだろう。実は桜中央学園と御櫻神社は同じ流れを汲んでいるんだ。古くはここら一帯が御櫻と呼ばれていて、学園の立っている土地もこの土地も一続きになっていたんだよ」


 ぽかんと口を開けて呆けるアキラに覚は目尻を下げて語る。


「その関係でうちは白鷺家とは昔から交流がある。なんならあの学園が建つ前からね」


「そう、だったんですか」


「俺も初耳だぞ」


 元々学園と同じだったという地に置かれた、櫻岩。よく見ると岩の周辺の苔が一部剥がれている。アキラははっとした表情で岩の近くに寄った。


 石畳と同じように苔むしているが、やはりところどころ削れている。まるで最近誰かが繰り返し動かしたように。


「これ動かしてもいいですか!?」


「え?」


 覚の返事を聞く前に、アキラは両腕に力を込めて岩を押した。平たい形をしたそれは徐々にずれていく。


「おい転校生、一体何を――」


「やっぱり!」


 岩の下には人が一人通れる程の穴がぽっかりと開いていた。アキラとリョウは同時に中を覗き込み、緩やかな傾斜が続いていることを確認して顔を見合わせる。覚も驚いた様子で穴を観察し始めた。


 もしも学園の穴と同じなら、地下に繋がっている可能性が高い。アキラはほぼ確信しながら覚に問いかける。


「この穴、どこに繋がっていますか?」


「さあ、これは知らなかった。なんなんだろうねこの穴は」


「ご存じなかったんですか?」


「初めて知ったよ。先代も知らなかったんじゃないかな」


「相当奥まで続いてるぞこの穴。どこまで続いてるんだ?」


 アキラは眉を寄せる。岩と石畳には最近動かしたと思われる跡があった。にもかかわらず覚やリョウがこの穴の存在を知らないということは、誰か別の人物が岩をずらしたということになる。


「……リョウくんのお父さん、またここに来てもいいですか。今度は多分、理事長も一緒に」


「それは構わないけど」


「なんで理事長?」


 首を傾げる親子を横目に、アキラは携帯電話で穴を撮影する。それをすぐに白鷺に送り、二人に向かって勢いよく頭を下げた。


「それじゃあまた来ます! 失礼しました!」


 今から学園に戻っても白鷺は居ないかもしれない。それでもこの情報はすぐに共有した方がいい。そう判断し走り出したアキラだったが、強い力で手を引かれたたらを踏む。


「待て転校生! まだ終わってねえ!」


 リョウは急に駆け出したアキラに驚きはしたが、すぐに追いつき足を止めさせた。


「ごめんお清めはまた今度にしてもらっていい? ちょっと急用が、」


 違う! と大きな声で言葉を遮られ、アキラは瞠目する。リョウはさも当然のように言葉を続けた。


「まだ終わってねーだろ、買い出し! 行くんじゃなかったのかよ」


 リョウの口から出たのは、アキラがすっかりと忘れていた係の仕事だった。


 白鷺からメールの返信は来ない。


 買い出しと言ってリョウを連れ出したのは、紛れもなくアキラ自身だ。


 アキラは現時点での優先度を悩み抜いた末、がくりと肩を落としてリョウと共に近くのスーパーマーケットに行くのだった。


「おい転校生、よく見ろ! 箱買いした方が得なんだよ!」


「……ねえ、さては意外と真面目だったりする?」

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