体育祭は涼風とともに④

 いつ地下二階を調べるか。これについては白鷺が慎重な姿勢を見せた。


 先の戦いでは石室の床が崩壊している。その下に行こうとするには備えが必要だった。


「ドローンを使ってなるべく危険のない道のりを見つけてからにしよう。タツミ君の分のアンダースーツと防塵マスクも用意しないといけないからね」


 ばちーんと音が鳴りそうな勢いでウインクをして見せる白鷺に、冷たい視線を向ける三人。


 結局地下探索は十日後に迫る体育祭が終わってから行うことになり、その間に各自学生の本分を忘れず、やるべきことをやるという結論に至ったのだった。




*



「上ノ原くん、今日買い出し行こう。知ってるよね、私たち体育祭の買い出し係なの。買うものは大したものではないんだけど、飲み物とかが重いから二人で行こう。放課後また声かけるから帰らないでね。それじゃあ」


「……は?」


 アキラは頭一つ分以上高い位置にあるリョウの顔を仰ぎ見て言った。


 放課後そそくさと帰ってしまうリョウを捕まえるために、朝から念押しすることにしたのだ。


 相変わらずの目付きの悪さでアキラを睨むリョウ。しかしアキラは言いたいことだけ言って飄々と自分の席に戻る。


 アキラのやるべきこと――数多くあるその内の一つにリョウについての情報収集がある。そしてそれは優先順位が高い。


 リョウについて報告した際、白鷺はリョウの身が危険かもしれないと言った。


 ただでさえ霊に呪われた学園で、生贄を必要とする儀式が行われている。霊は自分を認知できる者――つまり霊感を持つ者に集まりやすいという。


 未だ息を潜めている三体の霊が居る中で、霊能力者の可能性があるリョウの安全を誰も保障できない。


 なりふり構っていられない。アキラの意思は固かった。そもそも霊と対峙している時点で、多少目付きの悪い人間に睨まれることなどどうということはないのだ。


 放課後になって脱兎の如く立ち去ろうとするリョウに両腕でしがみ付くことでさえ、アキラにとっては単なるやるべきことの一つだった。


「なんっなんだよお前は! 放せ! 俺はこれからバイトに行くんだよ」


「そういえば、ファミレスでは本当にありがとうね。でもバイト十七時からでしょ。クラスの人数分のスポーツドリンク、私一人じゃ持てないよ」


「何で知ってんだ!? あーもうこれでもくらえっ!」


 洋服の裾を握って放さないアキラに、リョウは懐から出した何かを投げる。


 ぺしっとアキラの額に命中したそれは、墨文字の書かれた紙。痛みはないが額に貼りついて取れない。


「何これ?」


御札おふだだ御札! お前には効くだろ! 変なもん纏わりつかせてっからな」


「………………」


「な、なんだよ」


 御札を額に貼られたまま、アキラは黙り込む。その目はじっとリョウを捉えていて、瞬きすら忘れているようだ。


 リョウはたじろいだ。さすがに悪霊扱いして御札を出したのは良くなかったかもしれないと。僅かに良心が痛んだその時、アキラがリョウの腕を思い切り掴んだ。


「ねえ、どこまで分かるの?」


「うっ」


「この前、お祓いに行けって言ってたよね。上ノ原くんには何が見えるの? 何を知ってるの? 教えて? そうしたらバイトに行ってもいいよ」


「な、何って……」


 アキラは御札越しにリョウを見て、そのままじりじりと廊下の隅にリョウの体を追いやっていく。


 これには番長と呼ばれるリョウも身をのけ反らせ、アキラが一歩近づく度に一歩後退した。


 リョウはなるべくアキラを見ないようにしていた。見てはいけないと、本能で感じ取っていた。





 リョウの目には、アキラの背後に黒い影が覆いかぶさるように見えていたのだ。




 転校初日からずっと、小さな背に沿うようにうごめく影があった。ブヨブヨと輪郭を波打たせるそれは、節くれだった八つの脚を持つ。


 アキラが近づくと、必然的にその影との距離も近づいてしまう。


 リョウはアキラと関わりを持つつもりはなかった。ただ友人のタツミもまた妙な気配を纏うようになり、つい思わずお節介が口をついて出てしまったのだ。


 なりふり構わないと決めたアキラは、とうとうリョウを壁に追い詰める。同時に暗い影は明確にその細い脚をリョウに向けた。


 段々と顔色が悪くなるリョウに首を捻りながらも、アキラは答えを急かす。


「お願い。教えてくれない?」


「……く、」


「く?」



「『蜘蛛』が……」



 近づく距離に根負けし、リョウは呼吸の隙間で呟く。


 アキラの背後から節足動物特有の歩脚が伸び、何かを確かめるようにゆっくりとリョウの顎を撫でた。


「『クモ』……!?」


 アキラが目を丸くすると同時に、目の前の大きな体がぐらりと傾いだ。


「えっちょっ上ノ原くん! しっかりして!」


 みるみるうちに血の気の引いていくリョウに慌てて手を差し伸べるが、その手が取られることは無い。


「ご、ごめん。体調悪かったの?」


「違う」


 しばらく足元を見つめたままふらふらとしていたが、気合を入れ直すように両足をふんばって、リョウはアキラに向き直った。


「付いて来い」


「え?」


「いいから来い! 転校生、お前を清めてやる!」


 びしっとアキラを指差しながらそう言い放ったリョウは、そのまま勢いよく背を向けずんすんと廊下を歩いていく。


 アキラは呆けながらも、そのまま買い出しに連行するつもりで大きな背中を追いかけた。 

 


*



    

 程よい湿度を感じさせる澄んだ空気が肺を満たす。


 桜中央学園から徒歩十分程にある、緑に囲まれた小高い丘の上にそれは建っていた。



御櫻神社みさくらじんじゃ……?」


 その名が示すとおり四方に桜の木が植えられたそこに、リョウは迷いなく足を踏み入れる。


 葉桜が風に揺れる。アキラはリョウに従って一礼してから鳥居をくぐった。


 リョウの言う清めるとは、神社参拝のことだったのだろうか。アキラは黙ったままのリョウをちらりと見るが、普段と同じ不機嫌そうな顔つきが目に入るだけだ。


 御櫻神社。転校生のアキラは知らなかったが、地元では有名な歴史ある神社である。平日の夕方でも参拝客が訪れ、程よい高台にあることから散歩道が併設されている。


 アキラが参拝の作法を思い出そうとしていると、リョウは手水舎を通り過ぎ、まっすぐに一人の男性の元へ向かった。


「親父!!」


「えっ」


 リョウの言葉に、アキラは思わず驚愕の声を上げる。


 親父と呼ばれた男性は竹ぼうきを片手にゆっくりと振り返る。リョウとは正反対のたれ眉とたれ目を更に困ったように下げて見せた壮年の男性。


「上ノ原くんの、お父さん?」


 戸惑いを隠せないアキラは目を丸くする。リョウとは似ていないが、それ以上にアキラの度肝を抜いたのは、彼が神職用の作務衣を身に纏っていたからだった。


「まさか上ノ原くん、ここって……」


「うちの神社だ。あれはうちの親父。ここの宮司」


「ええーっ!!」


 実家が神社で、父親が宮司。お祓いを勧め、御札を持っている理由が判明した。


 身内に神職がいれば、に敏感になるのも頷ける。 


 アキラが目を白黒させている間に、リョウの父、さとるが二人に寄る。


「驚いたな。リョウが女の子を連れてくるなんて……しかも」  


 アキラの頭の先からつま先までまじまじと眺めてから、覚はへらりと笑った。


「うんうん、べっぴんさんだねえ」


「そうじゃねーだろこの色ボケ親父! 見えてるくせに!」


「ええと、はじめまして。本野アキラです。上……リョウくんとは同じクラスで、」


 覚に向けて頭を下げるアキラ。覚は礼を返し、隣に並ぶリョウと同じようにアキラを――正しくはアキラの首筋の、後ろの辺りに視線を遣る。



「お嬢さん、良くない呪いを受けているね」


「だから言ってんだろ。お清めだお清め」 

 

「え……」


 呪い、お清め。最早言葉には驚かない。


 しかし親子にそろって何もないはずの背後を見つめられると、足元が浮くような恐ろしい感覚がアキラを襲ったのだった。  



    






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