体育祭は涼風とともに③

 アキラは悩んでいた。


 羽織姿の男性が白昼夢に出てきてから数日。どうも夢見が悪い。


 というのも、これまでは授業中に白昼夢に落ち、その内容をすっかりと忘れてしまっていたのだが、最近は違っている。


 すとんと夢に落ちると、アキラは学園の地下にいるのだ。


 遺跡を思わせる大きな人工洞穴にぽつんと一人立たされ、出口を探して彷徨う。


 時折見たことのある場所に辿り着くが、地図がないため方向を把握出来ずにまた迷う。


 そんな夢を繰り返し見るようになった。


 もはや居眠りの常習犯として教師たちに厳しくマークされているが、アキラの意思とは関係なく夢に引き込まれてしまう。


 しかもこの夢は厄介な事に、家では見ないのだ。学園内でしか見ない特殊な夢。つまりアキラの受けている呪いに関係しているようだった。


「アキラちゃん、アキラちゃん。起きて」


 肩を揺さぶられる感覚に、アキラはゆっくりと目を開ける。夢の中では泣きそうになりながら走り回り、現実では机に突っ伏して爆睡し体の節々が悲鳴をあげている。


 ……また出られなかった。


 アキラは軽く頭を振り、自身の肩に手を置くナギサを見る。心配そうな表情をした友人は、そのままちらりと前を見るように視線で促してきた。


「それじゃあクラス会議サボりの上ノ原と、爆睡の本野は強制で買い出し係ということで。以上」


「……買い出し?」


 また寝ている間に何かが決定している。黒板に並んだ名前を見て、アキラは目を瞬かせるのだった。



「アキラちゃん寝すぎ!」


「本当にごめんなさい」


 まともにクラス会議に参加していないことはアキラも反省している。体育祭が迫りクラスの団結力が試される中、やる気がないように見えてしまっているだろう。


 頬を膨らませながら怒るナギサを宥めながら、アキラは帰り支度を始めた。


「しかもリョウと同じ係なんて、一人でやるようなものだよ。バイトですーぐ帰っちゃうんだから」


「ナギサ、上ノ原くんと話したりするの?」


「去年同じクラスだったんだ。でもあいつ、ガラ悪いし付き合い悪いし授業終わったらすぐ帰るし。よく分からないんだよね」


「じゃあさ、上ノ原くんってーー」


 霊感あるとか聞いたことある? 


 と直球で聞けたなら、アキラも苦労はしない。ただ他に言葉が思い浮かばず、徐に口を閉ざす。


「リョウがどうかした?」


「いや……ええと」


 アキラの脳裏に番長と呼ばれるリョウの姿が映る。学校での彼はファミリーレストランで見た家庭的な姿とは打って変わって近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


 その原因のほとんどは鋭い目付きと、銀糸を思わせる程脱色された髪色にあるかもしれない。


「まさか……ああいうのがいいの?」


「またそういう事言う!」


「ちょいワル好きとは盲点だったなー!」


「違うから!」


 兎も角、アキラにとって買い出し係になったことがリョウについて探る好機になったことは間違いなかった。


 霊感、もしくは何かしらの形で学園の霊障を知っている可能性が高いリョウについて、既に白鷺に報告してある。


 そしてボランティア部全員でさり気なく彼について探りを入れることになったのだ。


 元から友人関係であるトーマとタツミが主に口を割らせる作戦だったが、アキラにも機会があるとなれば話は別だ。


 三人にターゲティングされれば、さすがに何かしらの情報は得られるはず。


 アキラは面白がるナギサを見送った後、気合を入れ直して勝手知ったる理事室の戸を開けた。



「追試は無事終わったようだね!」


 白鷺が意気揚々と両手を広げる。アキラとトーマはすっきりとした笑顔で答えた。


「おかげさまで! タツミ、サンキューな」


「ありがとうタツミくん!」


「本当にね」


 マイペースにコーヒーを飲むタツミは意外にも勉強を教えるのが上手かった。その地頭の良さと要領の良さと容赦の無さで、無事にアキラとトーマに試験問題を叩き込むことに成功したのだ。


「授業聞いてれば最低限分かるでしょ」


「本野は授業中寝すぎな」


「ごめんなさい」


 居眠りをトーマにも突っ込まれて縮こまるアキラを見て、白鷺は首をひねる。


「例の白昼夢かい?」


「はい。最近ちょっとおかしくて」


 アキラはざっくりと夢の内容を説明する。


「ふむ。地下を彷徨う夢、か……」


「きっと疲れてんだよ」


「でも、本当にそれだけなのかな」


 羽織の男性が夢の中で語りかけてきた。


 そう言いかけてアキラは口を噤む。ただでさえ先程からおかしな事を言っているのだ。夢に出てくる人と会話をしたなどと言ったら輪をかけておかしな事を口走ることになるのではないか。


「言いたいことがあるならさっさと言いなよ」


「うぐっ」


 タツミに小突かれてようやくアキラは重い口を開いた。


「あのですね、実はよく白昼夢に出てくる人が居まして……その人に言われたんです。もっと下に来いって」


「下?」


「よく白昼夢に出てくるって何。そんなことある?」


「私も言っててよく分からないんだけど、よく……というか、毎回? 夢に出てくる男の人が居て、この前初めて会話をして」


 もっと下においで。


 これは魂返の刀。


 はっきりと思い出せる言葉たち。


 しどろもどろになりながらも夢の内容を伝えると、白鷺が顎に手を当て深く考え込む姿勢を取る。


「それは最近のことなんだね? クジラの儀式の後?」


「はい。追試が終わってすぐのことです」


「『転校生』は特別なんだ。アキラ君にしか見えない何かがある。それはもしかしたら夢の中で見ているものかもしれない。その可能性がある以上、その男性の言葉は無視出来ない」


「そんな、ただの夢ですよ?」


「アキラ君にとってはそうかもしれないが、それを我々は共有出来ないのだからね。さてみんな、下と言われて思い出すものは?」


「地下?」


 タツミの答えに白鷺は首を振る。


「私はアキラ君の言葉で思い出した。私は見逃さなかったのだよ。二人のスーツに付けたカメラの映像を何度も何度も見返したからね。アキラ君! 思い出さないか、『クジラ』の部屋で床が崩れた時のことを!」


「スーツにカメラ!? 聞いてないですよそんなこと!! き、着替えとか見てないですよね!?」


「おいおっさん! 盗撮だぞ!!」


「え、とりあえず通報しとく?」


「あっただろう。崩落した床から見えた下の層! あの地下にはもっと下の階があるんだよ!」


 カメラ云々を華麗に聞き流した白鷺はパソコンをガチャガチャと弄り、画面を三人に向ける。


 『クジラ』の部屋で起こった出来事。それがアキラの視点で映像が流れ始める。どうやらカメラはスーツの首元にあるらしい。


 ハチドリとクジラの力がぶつかり、その衝撃で床が崩れる。そして、アキラが落下するクジラの手を掴んだ。


「はい、ここ。ストーップ」


 ぶら下がった状態のクジラ。薄暗い穴に吸い込まれそうになっている、その先。


「うわっこんなに危ないことになってたんだ……」


「お前、本野に足向けて寝れないな」


「君も人の事言えないと思うがね」


 戦々恐々と画面を覗き込むタツミの横で、アキラはようやく思い出した。あの時、このまま落ちたら下の床に叩きつけられて死んでしまうと思ったのだ。確かに穴の先には更なる階があった。敷き詰められた石畳の階が。


「はい、みんな見えたね。つまり我々が知っている地下は地下一階。そして穴が空いたことで見えたのは」


「地下二階!」


 理事室にトーマの大きな声が響いた。四人は互いに期待に満ちた目を向ける。


 『転校生』にしか見えない何か。呪いを解く手掛かりになるかもしれないそれは、既にアキラに姿を見せていたのだ。アキラにしか見ることができない白昼夢の中で。


「行ってみよう、地下二階!」


 アキラの声に三人が頷いた。



*


「地下、か……」


 新たな手掛かりに嬉々とするボランティア部。しかし彼らが素人であることには変わりなかった。


 自分たちが盗聴されているという可能性を微塵も考えていない。白鷺が席を外す時、理事室は開放されている。


 理事室は様々な魔除けが複雑に絡み合い、星野の使う術は通らない。それならば原点回帰。単純な構造の盗聴器を仕掛けて電波を飛ばせばいい。


 星野はイヤホンを付けたまま手元の端末に触れる。理事室での会話が全て文章化される中で、星野の目を引いたのは『地下』と『白昼夢』。


 星野は授業中、アキラがすとんと眠りに落ちるのを何度も見ていた。何度も何度も、星野から見たら何らかの干渉を受けているとしか思えない、奇妙な眠り方をする。


 『転校生』にしか見ることが出来ない『白昼夢』を見ていると言われれば納得だ。


 そして、地下に隠された何かがあるということ。


 ようやく邪霊の尻尾を掴めた。これまで頑なに秘匿されていた霊の存在が、『転校生』が現れたことで露わになってきている。


「あとは、ハーリットとの繋がりさえ見つけられれば……」


 白鷺は黒。逆に、ハーリットと対峙するようなことがあれば白。


「お前はどちらだ。白鷺」


 星野は小さく呟き、静かに花の煙を吐いた。

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