体育祭は涼風とともに②

「いやまさかじゃないだろ」


「やっぱりトーマくんもそう思う?」


 放課後。追試組のために開放された自習室の片隅で、アキラは先日の一件をトーマに伝えていた。


 二人と同じクラスの上ノ原リョウ。


 トーマは彼と去年も同じクラスだったこともあり、よく話す仲だ。そんなトーマでも首を傾げてしまう、リョウの例の言葉。


「お祓いに行け、ねえ……。しかもお前ってことは、本野の呪いとクジラの両方のことを言ってるんだよな」


「じゃあ上ノ原くんは所謂、霊感があるのかな」


「そんな話聞いたことないけどなあ。ま、そうだとしても他人には言わないか。てことは当然俺のことも気づいてるんだろうな」


 トーマはそう言って頰に貼られた絆創膏に手をやった。そんな細かい生傷が絶えない理由は白鷺の特訓にある。


 降霊時間を延ばすため、トーマとタツミはひたすらに体力づくりのメニューをこなしていた。持久走、筋力トレーニング、そして意外にも柔道の心得がある白鷺による全力稽古。


「受け身はばっちりとれるようになった」と本人達は言うが、果たしてそれが降霊に関係しているのかは謎である。


「これから何があるかわからないし、強くなるのはいいことだ。タツミは文句言ってるけど要領はいいから上手くやってるよ。俺も頑張らないと。本野の方はどうなんだ?」


「こっちはまだ手応えがないの。……ごめんね」


「いや、そればっかりはどうしようもないって」


 トーマの視線の先には、アキラの鞄に付けられたガムランボールがある。うんともすんとも言わないそれにアキラはほとほと困っていた。


「今はとりあえず、明日の追試のことだけ考えようぜ」


「うん、そうよね……頑張ろう」


 タツミの冷めた目を思い出しながら勉強を再開する二人だった。



*



 桜が舞う。


 木陰に座り込んでいたアキラは、ちらちらと射す木漏れ日に気付きはっと我に返る。


 辺りを見回すと、やけに見覚えのある井戸と桜の木、そしてほつれた羽織が目に入り、アキラはあっと口を開いた。


 柔和な笑みを浮かべた男性がじっとアキラを見つめている。


 二十代中頃といったところだろうか。被っていた袈裟を首の後ろにやると、亜麻色の毛先が日に透ける。無造作にまとめた髪、身軽な旅装の上からくたびれた羽織をかけたその姿をアキラは知っていた。


 夢から覚めると忘れてしまう、けれど確かに何度もその声を聞いていた。


「彼らを救いたい」


 柔らかな声が響く。


「そのために、君の力を貸して欲しい。前のように封じるだけでは本当の救いにはならないんだ。彼らの怒りを、嘆きを、受け止めてやって欲しい」


 彼は間違いなくアキラに向けて語りかけていた。今までは彼と誰かの会話をぼんやりと聞いていたアキラだったが、今回は違う。


 一瞬にしてアキラの体に緊張が走る。


 何が大切なことを言われている。聞き漏らしてはいけない。その思いが重圧となりアキラの心を乱していく。


 そしてそれに呼応するように桜の花弁が大量に舞い落ち、二人の間を阻むように視界を遮った。


「落ち着いて。大丈夫、真面目な子だね。君の名前は?」


「あ……アキラ」


「そう、アキラというんだね」


 彼の大きな気配に飲み込まれながら、辛うじて名乗る。彼はそんなアキラの様子を見てゆっくりと言葉を続けた。


「アキラ、もっとにおいで。そうしたらこれをあげよう」


 そう言って彼が腰に差した刀を掲げるのを、アキラは桜吹雪の隙間から見つめる。


「よく見て、アキラ。これは鞘から抜くときに鍔を回転させるんだ。よく覚えておいて」


 彼の手元で桜の形をした鍔がカチリと回転する。すらりと抜かれたその刀身に陽の光が反射し、アキラは思わず目を閉じた。


「これは魂返たまがえしの刀。アキラ、これでーー」



 パチン、と何かが弾ける音と共に、アキラは目を見開いた。


 緊張で強張った体が一気に脱力し、呼吸が荒くなる。


 目の前には指を鳴らした体勢のまま呆れた様子でアキラを見つめる星野の姿があった。


「追試が終わった途端これか」


「すみ、ませ……」


 英語の追試後、そのまま答え合わせと解説をする星野の前でアキラはまた白昼夢に取り込まれてしまったのだ。


 額に手を当てて呆然とするアキラをさすがにおかしいと思ったのか、星野は保健室に行くよう促し、アキラも大人しく従った。


 他の追試組の生徒の手を借りながらよろよろと教室を出て行くアキラの背を見送り、星野は小さくため息を漏らした。



 もっと下においで。


 鞘から抜く時に鍔を、


 これは魂返の刀。アキラ、これでーー。


 ざわりざわりと胸の内で不安と驚愕が広がっていく。


 アキラは何かを託された。


 刀をあげるという言葉とともに、彼の思いのようなものを心に直接注ぎ込まれた。


 頭に響くほどに鼓動が大きくなっているのが分かる。


 アキラは廊下の壁に寄りかかり、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。


 ただの夢なのか、それとも。


 荒い呼吸を抑えながら、アキラは頭を抱えた。



って、どこのこと……?」

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