『クジラ』の儀式⑤

「三人ともそこから離れるんだ! 崩れるぞ!」


 白鷺の叫び声が端末から響き渡り、アキラは呆然として座り込んだままの『彼』の手を強く引いた。


「早く!」


 戸惑いが色濃く表れた瞳が大きく揺れる。ハチドリが『彼』を無理やり立たせて肩に手を回し、その場から跳ぶように離れた。その直後、三人が居た場所は大きな音を立てて崩れ落ちる。


 崩落音が止んでも、三人はしばらく無言のまま扉を背に預けていた。石室の中央はぽっかりと穴が開き、砂埃が舞い上がる。


「し、しぬかと思った……ごほっごほっ」 


 ずるずると脱力しへたり込んだアキラは、青ざめた顔で呼吸を整える。その隣ではハチドリが重力に負けるようにがくりと膝をついた。


『アキラ、トーマの体が限界だ』


「えっちょっと待ってハチドリ」


 縋るアキラを目で制し、ハチドリは顔を伏せたままの『彼』を一瞥する。


『こいつはもう大丈夫だろう』


 そう言って目を閉じ、次に目を開けると気怠げな様子のトーマに戻っていた。


「あー、しんど……体が動かねー」


 大人しいタツミの体を支えたまま、トーマは口を開く。


「本野、早くこいつを何とかしないと……」


『俺を殺せ』


「え?」


 唐突に響いた言葉に二人の視線が『彼』に刺さる。もうタツミの体を操る気力もないのか、ただトーマに支えられるままの『彼』は俯いたまま続ける。


『救われるには恨んだ時間が長すぎた。俺は怒りを消化できない。いつかまた我を忘れてきっとお前のことを呪うだろう』


 だから殺せというのか。アキラは悔しさで肩を震わせながらぽつりと呟いた。


「諦めないでよ」


「本野……」


「救われることを諦めないでよ! 怒りを消化できないって、決めつけないで! せっかく、せっかく手が届いたのに、殺せなんて……言わないでよ!」


 爪が割れ血の滲む指を無理やり動かし、力いっぱいタツミの手を握りしめる。小さく震えるその手を『彼』はじっと見つめ、しばらくした後アキラにしか分からない程度に、ほんの少しだけ握り返した。


 たったそれだけでもアキラにとっては十分な返答だった。涙の滲むまなじりをごしごしとこすり、気を取り直すように口を開く。


「とにかく神崎くんの体から出てもらわないと」


「ハチドリ曰く、一度憑りつくと離れられないらしい」


「え!? そんなこと言ってたっけ?」


 考えればハチドリもトーマから離れられるものならとっくに離れているはず。同様に『彼』もタツミから離れられないということだ。


「うーんじゃあとりあえず当初の予定通りに」


 アキラは首から下げていた銀の十字架をタツミの首に付け替える。その様子を大人しく見つめながら、『彼』はゆっくりと目を閉じた。


『一人に、しないでくれ』


「うん」


 独り言のようにこぼしたその言葉は、『彼』の求める救いそのものだった。脱力するタツミの体を二人がかりで支えながら部屋を出ると、地下に充満していた霧が全て晴れていることに気が付く。アキラとトーマは顔を見合わせて、安心したように大きく息を吐いた。


「殺せって言ったり一人にするなって言ったり難しい奴だったな」


「そうだね。でも、きっと寂しかったのよ。死ぬまでずっと独りぼっちだったんだもの」


「そうだったのか。ハチドリの時もそうだったけど、お前には分かるんだな」


「うん……」


 窮地に追い込まれた際、流れ込んでくる記憶。『彼』らの死に際を追体験するかのような感覚。アキラも死んだような気持ちになる。そして理解するのだ。『彼』らの怒りと憎しみを。


「分かるから、手を伸ばすのかも」


 崩落の危険を顧みずに『彼』の手を掴んだのは咄嗟の判断だったが、思い返すと非常に危なかった。


「その件については後でお説教だからね」


 端末から白鷺の容赦ない言葉が飛び、アキラはがくりと肩を落とす。そして意識を失いトーマに背負われているタツミに目を向けた。


 ――生贄を助けることはできたけど、儀式は止められない。

 

「ねえ、トーマくん。これで一応『クジラ』の霊を無力化できたことになるんだよね」


「おう、そうだな」


「でもまだ『クモ』の霊がどこかに潜んでるから、学園にかかった呪いは解けていないってことで合ってるよね」


「ああ、そんであと二体、『トカゲ』と『サル』の霊がこれから目覚める可能性大ってとこか」


 地上に出ると魔除けグッズを持たないアキラは呪いのせいで動けなくなってしまう。先にトーマとタツミを地上に送り、入れ替わりで白鷺に魔除けグッズを持ってきてもらうことになった。


 アキラの心に影が落ちる。あと一歩遅かったらタツミは死んでいたかもしれない。佐倉ひなこのように校庭で冷たくなっていた可能性もあったのだ。


――そういえば、佐倉先生はどうして校庭で亡くなっていたんだろう?


 地上に近づくにつれぼんやりとする頭でアキラは考える。『クモ』の生贄になったのならば地下に居たはずだ。その証拠に彼女の定期入れが地下に落ちていた。『クモ』の幽霊に憑依されて、地上に出たのだろうか。そして一旦佐倉ひなこの体から離れ、今は学園のどこかに潜んでいる?


『ハチドリ曰く、一度憑りつくと離れられないらしい』


 アキラの考えはトーマの言葉と矛盾する。 


――なんだか、おかしい。けど、だめだ頭がぼうっとして……。


「アキラ君おまたせ、お疲れ様!」


 光源の側に座り込むアキラに差し出されたのは白鷺の手のひら。アキラはぼんやりとしながらその手に己の手を重ねると、思いのほか力強く引っ張られる。


「お説教は後にして、とりあえずよくやったよ! ありがとう」


 結局のところ、この人についていくしかない。それしか考えられない。


――私は、この人を信じる。


 アキラは白鷺の笑顔と手の暖かさに安堵し、地上へと導かれて行った。



*


「お前は一人でいるのが好きなのか?」


 クジラが木陰で書物を読んでいると、頭上から声がかかる。


「先生……俺は静かに読み物をしたいんだが」


「そう言うな。先生は悲しいぞ」


 隣に腰かける男性は、まだ固い蕾を付ける桜を見上げる。

 クジラはその様子を横目で見て、再び文字を追う。


「一人の時間も必要だ。けれど、ずっと一人でいるのは寂しいものだぞ」


「先生は早く結婚した方がいいと思う」


「お前は全く……私が言いたいことはだな」


 他の生徒と一緒に居なくても、先生が居れば寂しくない。

 クジラは信頼の置ける人にしか心を開けない性質だった。


「いいか、クジラ、もしもお前が一人でいるのが嫌になったらちゃんと誰かに言うんだ」


「先生が居るからその必要はないよ」


「ある。私は―――ずっと一緒には居てやれないんだ」


 その言葉の通り、彼はしばらくして姿を消した。

 クジラは黙っていた。そして遂に彼の最後の時までその言葉は出てこなかった。



――先生、俺ようやく言えたんだ。もう一人じゃない。





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