『クジラ』の儀式④

「本野!」


 アキラが白い腕に締め上げられていくのを見て、トーマは声を荒げた。自身に纏わりつく腕を振り払いながらアキラの元へ駆け寄るが、実体のない霧の腕が次々と生まれてはトーマを妨害する。


 このままではいけない。トーマは白鷺との会話を思い出す。アキラを待っている間に白鷺に言われたこと。それは『ハチドリ』の扱い方についてだった。


「彼を表に出すことはつまり、一時的にでも人格を譲渡していることと同じだ。体に負担がかかるのはもちろん、最悪の場合かもしれない。なるべくその指輪は外さないように」


 白鷺の言わんとしていることはトーマにも理解できた。しかしこの状況下でアキラとタツミの両方を助け出すことは、トーマの力だけでは不可能に等しい。


 トーマは奥歯を噛みしめ、浅い呼吸の隙間で呟いた。


「くそっ。やっぱりじゃあ駄目なんだな……」


 悔しげに目を閉じ、トーマは何かを決意したように蹄鉄の指輪に触れた。


 


 どさりと体が地面に落ちた衝撃で、アキラは我に帰った。


 マスクを外してげほげほと咳き込みながら辺りを見回すと、アキラを苦しめていた白い腕が引き波のようにタツミの下へ戻っていくのが見える。


 そしてアキラとタツミの間には、火花を纏ったトーマの姿があった。


「ト……マく、」


 彼はその掠れた声に首だけ振り返り、燃えるような瞳でアキラを捉える。


『大丈夫か。アキラ』


 アキラは自分を射すくめているのがトーマではないことに気付き、はっとした表情を浮かべた。


 ハチドリがあの霧から救ってくれたのだ。


 ようやく自分の置かれた状況を把握したアキラは弾かれたようにタツミを見る。


 タツミの姿をした『彼』は恨めしそうな目線をハチドリに向けている。


 『何故……邪魔をする? 裏切るのか』


 絞り出すようなその声にハチドリは冷静に答える。


『アキラは敵じゃないからだ。怒りを向ける相手を間違えるな』


『黙れ裏切り者!』


 ぶわりと霧の波がタツミを中心に巻き上がり、その衝撃がアキラを襲う。


「きゃっ!」


「もしもしアキラ君! 霧が酷くてこちらから何も見えないんだ! とにかく一度撤退ーー」


 端末から聞こえる白鷺の指示にハチドリは小さく舌打ちをし、アキラの腰を抱え半開きの扉に向かう。


 しかしもう少しというところで霧を纏った衝撃波が扉を打ちつけ、そのまま扉を閉ざすように霧の壁を作り上げた。


『ふん、逃がすつもりはないということか』


 ハチドリはアキラを背にし、ゆらりと周りに炎を出現させる。先程アキラを救ったように、霧を炎で焼き払うつもりのようだ。


 アキラは対峙する二人を見つめる。この二人は生前同じ学舎に通う学友だったはずだ。その事実に胸を痛めながらアキラは掠れた声を上げる。


「ま、まってハチドリ。神崎くんを助けないと」


『向こうがその余裕をくれるならな』


『苦しい……寒い……痛い……


 許すーーものか!!』


 一際大きい衝撃波が地面を抉りながら二人に向かって放たれる。ハチドリは両手で炎の渦を作り『彼』に放った。


 凄まじい轟音とともにお互いの力がぶつかり合い、石でできた部屋の壁がひび割れていく。


 砂塵や小石の入り混じる暴風に煽られながら、アキラは両腕で頭と顔を必死で守る。


『侵入者と裏切り者は消え失せろ!!』


『ちっ相変わらず手のかかる奴だ!』


 ミシッと嫌な音が響き渡る。両者は一歩も引かない。二つの力がぶつかり合っているすぐ下の地面は大きく抉れていた。


「……っ! 危ないっ!!」


 大きな崩壊音とともに『彼』の立っていた地面が大きく波打った。


 ガラガラと崩れていく足場に『彼』は大きく目を見開き、すぐに諦めたように虚空を見上げた。


 このまま地面の崩壊に巻き込まれたらただでは済まない。だというのにまるで生きることに疲れたような『彼』の表情にアキラは泣きそうになる。


 なんでそんな顔をするの?


 アキラは意識を飛ばしていた間に、一人の少年の最期の記憶を見た。


 賊と戦いボロボロになっても、情報を渡さなかった。そして生きながら井戸に落とされ必死に這い上がろうとしていた。


 タツミの中にいるのは、その少年だ。


 胸をぎゅうっと締め付けられる感覚に、アキラは顔を歪ませた。『彼』の最期を思うと悲しさと悔しさで賊への怒りを抑えられなくなる。


 ハチドリを騙し、『彼』を嘲笑あざけわらった賊たちを、アキラは許すことが出来ない。


 その怒りは『彼』への恐怖をあっという間に打ち消していった。


『アキラ!? 待て!!』


 アキラはハチドリの制止の声を無視して、地割れた隙間に落ちていく『彼』の元に走った。


 地下に入る前から『彼』の声を聞いていた。井戸に引きずり込まれそうになった時、聞こえた言葉。



『手を離さないで』と。確かにそう言ったのだ。


 『彼』は何かを掴むようにゆっくりと腕を伸ばす。井戸の中から空に手を伸ばしていた時のように。


 アキラががむしゃらに伸ばした手は、寸でのところで『彼』の手を掴んだ。


『……!!』


 アキラは崩れかける地面に片手をつき、もう片方の腕で宙にぶら下がっている状態のタツミの体を必死に引き上げようとする。


 ……だめ! 持ち上げられない!


 アキラの目が割れた地面の底を捉える。どうやら足場が崩れ落ちたせいで、もう一層下の空間に繋がってしまったようだ。


 そしてその空間に石畳のようなものが敷き詰められている事に気付き、アキラは焦りを露わにする。


 このままあそこに落ちたら死んでしまう!


『アキラ! なんて無茶をする!』


 駆けつけたハチドリも加わり、タツミの体はゆっくりと引き上げられる。しかしそれを制したのは『彼』の怒号だった。


『離せ! お前に助けられる義理はない! 死人のように生き続けるのならば死んだほうがましだ!』


「嫌よ!!」


『なっ……』


 『彼』の表情が驚愕の色に変わる。


 アキラは涙を浮かべながらタツミの体を必死に掴んだ。地面についた方の手はがくがくと震え、その指は血を滲ませながら地にめり込んでいる。


「言ったじゃない! 離さないでって。私は絶対に離さないから!!」


『お前……』


 タツミの体が引き上げられると同時に、部屋に充満していた霧が一瞬で消え去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る