『クジラ』の儀式③
地下の通路を進み、階段を降りたアキラとトーマは白い柱のある空間に辿り着いた。
霧は更に濃くなり足元に沈み、アキラの膝から下を見えなくしてしまう。そのかわりに頭上の霧は薄まったようで、視界を確保することができるようになった。
「本野、あれ見てみろよ」
トーマがそう言って指差したのは、白い霧が怪しく漏れ出している石扉だった。ハチドリの封じられていた部屋の隣に位置するそれは、まるで何かを誘うように半開きになっている。
「あの扉の向こうに誰か居るな」
「うん、そしてこの霧の発生源でもある霊もいる、……よね」
それにしても、とトーマは身を震わせ周囲を見回す。
「やっぱりこの霧は霊の怨念がこもってるみたいだ。寒気と息苦しさがヒデー」
「大丈夫? 私は十字架のおかげで平気みたい」
「トーマ君の魔除けの指輪はもしかしたらハチドリを抑えるので効果を使い果たしてるのかもしれないな」
白鷺の分析にトーマは顔を顰める。
「マジかよ……そうだ、あの部屋に入る前に魔除けコーヒーくれ」
トーマの何気ない言葉にアキラはぎくりと肩を揺らした。そして申し訳なさそうな表情でトーマを見上げる。
「ごめん、コーヒー淹れる時間なくて……これで良かったら」
アキラが顔を伏せながら差し出したのはコーヒー豆の入った袋。理事室から出る際に引っ掴んで行ったものだ。
「ちょっ本野お前まさか豆のまま食えって言うのかよ!?」
「悪いと思ってるけど本当に時間がなかったの! はい、あーん!」
「おいっやめ……」
やけくそになったアキラに無理矢理マスクを外された挙句コーヒー豆を口に放り込まれたトーマは、一瞬顔を赤くした後すぐに悶え苦しみ始めた。
「にがい!! でも効く!!」
「君たち、そろそろ目の前の部屋に集中してくれよ」
白鷺の冷静な言葉に、アキラは霧の漏れる扉を真っ直ぐに見つめた。ハチドリの時と違い、今回は霊が居ることが分かっている。
アキラはトーマが炎に包まれた瞬間の事を思い出し、ぎゅっと拳を握りしめる。
「……よし、行こう!」
「おう!」
霧に誘われるままに二人は扉前に立ち、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
重い扉を開けると大量の霧が波のようにアキラの足元に絡みついた。その氷のような冷たさに身震いしながらアキラは部屋の中央を見遣る。
歪に割れた墓石。その前で苦しそうに蹲る人影。肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返しているその姿に、アキラとトーマは見覚えがあった。
「かっ」
「タツミ!?」
トーマが弾かれたように駆け出す。しかし白い霧が細い何本もの腕の形になり、トーマの体に纏わり付いた。
ずるずると白い腕に締め上げられるように、トーマの四肢が封じられていく。
「なんなんだこの霧! 力が、入らないっ……」
「トーマくん!?」
まるで重い鎖を巻き付けられているようにトーマの体は動かなくなっていく。払い除けても次々と白い腕は伸びる。
「くそっキリがねえな。おいタツミ! 聞こえてるか! 逃げろ!」
トーマの必死の呼びかけもタツミには届かない。アキラは訴えるようにタツミを見て、その異変に気付く。
タツミの首には一段と濃い霧の帯が巻きついていた。それを引き剥がそうとしているのだろう、首筋に何度も何度も爪を立てている。
遠目で見ても分かるほどに、タツミの首は赤く染まっていた。
『苦しい……』
タツミの口から絞り出すような声が漏れる。
『苦しいくるしいくるしい―――――!!! ここから…出せよおおおおおおおお!!!』
タツミの絶叫を引き金に、白い霧が衝撃とともに波状に広がる。動きを封じられていたトーマは衝撃を正面から受け地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「トーマくん!」
背中を抑え咳き込むトーマに駆け寄ろうとしたアキラだったが、がくりとその身を傾けた。
アキラの足首を霧の腕が掴んでいる。掴まれた箇所は急激に冷え痛みを伴い、アキラは堪らず足を止めた。
急速に近づいてくるその気配に、アキラは恐る恐る顔を上げる。蹲っていたはずのタツミの姿が、ふらふらとした足取りでアキラの元に向かっていた。
『出て……行け』
タツミが、いやタツミに取り憑いた何者かが激しい呼吸の間で言葉を発する。それは確かに憎しみを込めてアキラに向けられていた。
また賊だと思われている。
アキラは痛々しいタツミの姿に眉根を寄せ立ち上がった。そして一歩踏み出そうとするがそれを阻むようにタツミの姿をしたその人が片手をアキラに向ける。
「アキラ君離れるんだ!」
白鷺の声が端末から響いたその瞬間、足元から多数の白い腕が伸び、アキラの喉を捕らえた。
「うっ!」
強い力で首を絞め上げられ、アキラの足が地面から離れる。
必死にもがいても霧でできた腕を掴むことができず、アキラの喉元にはタツミと同じように自分の爪跡だけができていく。
「本野!」
トーマの声を最後に、アキラの意識は白い世界へと遠のいていった。
*
「手こずらせやがって」
黒装束に覆面をした男が地面に伏せた少年を足蹴にした。男の太刀を幾度浴びても立ち上がっていた少年は、ついに力尽きか細い呼吸を繰り返す。
少年の頰にかかる長さの黒髪は鴉羽のような艶を持っていたが、今や血がこびり付き見る影もなくなっていた。
「さてボウズ、お前が生きる為には俺の問いに答えろ」
少年を仰向けに転がし、賊の男は不気味に目元を歪ませた。
「この学び舎には優秀な先生がいるよなあ。その先生から何か教わらなかったか?」
少年は答える気がないとでも言うように男から視線を外す。事実少年はうんともすんとも言わず男を苛立たせた。
「ボウズ、最後にもう一度だけ聞くぜ。あの教師気取りの男に教わってないか? 例えば……人間を生き返らせる方法とか」
「例え、知っていても、……お前らに教えると思うか」
少年の物言いに男は抱えていた大太刀を投げ捨て、少年の襟を引っ掴んだ。
「まあそうだよなぁお前みたいに一人で向かってくるガキは大抵自分は死んでもいいと思ってる。そう言う奴はどれだけ痛めつけても口を割らない」
「はなせっ……!」
「お前はすぐには死ねないようにしてやるよ!」
男は語気を荒げ少年を勢い良く放り出した。その先には戦闘に巻き込まれて崩れかけた井戸がぽっかりと口を開けていた。
少年は硬い壁に体を打ちつけながら、深い井戸の底へと落ちて行った。
「運が良ければ出られるかもなあ。自力で這い上がってみろ、できるもんならな」
少年は男の声を聞きながら、井戸の壁面に力なく爪を立てた。
カリッ……カリッ……カリッ……
ーー誰か、この手を。
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