第五章

『クジラ』の儀式①

「おまたせしました」


 家でジャージに着替えたアキラが倉庫に着くと、先に来ていた白鷺とトーマが何やら言い争いをしていた。


「ああアキラ君丁度良かった。トーマ君が防塵マスクを着けたくないと言い出してね。何とか言ってやってくれないか」


「だからせめて本野のやつみたいに口元だけ覆うタイプにしてくれよ! なんで俺だけフルフェイスなんだ!? サバゲーにでも行かせる気か!」


「君は前回火傷で苦しんだのをもう忘れたのかい? またあのお薬を飲むことになるよ」


「うっ……卑怯だ!」


 二人のやりとりをアキラはぼんやりと眺め、顔を伏せる。白鷺の事を信じたい。けれど一緒に呪いを解くと決めた自分の判断が正しかったのか分からない。そんな心境でいざ本人を前にするととてつもなく後ろめたい気持ちになったのだ。


 本当ならば井戸から伸びてきた手の事もしっかりと話し合わなければいけないのに、アキラはすっかりその機を逃していた。


「アキラくん?」


「えっ……ええと、トーマくんのマスクね。ゴーグルがあるかないかの違いだけで、私の物とあまり変わらないじゃない。それに誰も見ないし」


「お前が見るだろ……!」


「トーマ君、諦めなさい。それと今回はこれを着てもらうよ!」


 そう言い目を輝かせながら白鷺が取り出したのは、二着の黒い服。装飾の一つもないそれは関節の部分が硬質な素材でできており、傍目から見たら怪しさしか感じないような代物だった。


「前回散々怪我をした反省を活かし、特注で用意したんだ! 防刃、防火布使用、耐久性抜群のアンダースーツ……」


「ダサい、怪しい、着たくない」


「同感」


「君たちもう少し自分の体を大事にしなさいよ!」


 結局特注のアンダースーツは各自ジャージの中に着るという事に落ち着き、再び着替えるためにアキラは校舎内のトイレに向かった。そのついでに理事室でコーヒーを淹れてくるという役目も命じられ、トーマと自分のタンブラーを抱えてずんずんと廊下を進む。


 前回の地下探索で魔除け効果があるコーヒーが大活躍したことを考えると、それを持っていかないという選択肢はなかった。


 でも、地下に行くたびにコーヒーを用意するのも面倒な話よね……。作り置きや濃縮はできないのかしら。


 いかに魔除け効果を薄めずに簡便に持ち運びができるかを考えながらアキラは着替えを終えた。何故サイズがぴったりなのかは考えないことにして、トイレの鏡で自分の姿を確認する。ジャージの下に着た奇妙な黒い服があまり目立たないことに安堵の表情を浮かべた。


 窓の外はすっかり暗く、部活を終えた生徒たちもすでに帰ったのだろう、人影は見えなかった。誰にも見られないよう遅い時間に活動するため、白鷺はアキラとトーマの家に連絡を済ませている。


 生徒は居なくても、教師はまだ居るのではないか。アキラの脳裏に星野の姿が浮かぶ。きっと自分たちの活動も探っているに違いない。


 理事長についていくことが正しいかどうかなんて分からないけれど……今は目の前の事をやるしかない。


 勝手知ったる理事室に到着し、アキラがコーヒーメーカーの電源を入れようとしたその時だった。


 ぞわりと全身を這う寒気と強烈な圧力がアキラを襲う。


「なっ何!?」


 胸に下げた銀の十字架を握りしめ、辺りを見回す。静かな部屋の中、荒くなっていく呼吸と鼓動に混乱しながらも、アキラの思考回路の一部が冷静に働き出す。


 ――霊だ。


 アキラはその力がハチドリのものと同質であると感じ取り、すぐさま携帯電話に手をかける。するとタイミング良くトーマからの着信が入った。


「もしもし!」


「本野っお前今どこにいる!?」


「まだ理事室なの。分かってる、霊の力を感じる。すぐに戻るから!」


「待て! 理事長が窓から校庭を確認しろって」


 トーマのその言葉にアキラは急いで窓に顔を寄せる。理事室の大きな窓から校庭を見下ろすと、アキラは愕然とした。


 じわりじわり。地面を盛り上げるように線と線が繋がっていき、ひとつの巨大な絵を描く。その線からは白い霧が噴き出し、校庭を覆おうとしている。


「そんな……どうして今、地上絵が……?」


「やっぱり出てるんだな? 何の絵だ!?」


 実際に校庭に出現した地上絵を初めて目の当たりにし、アキラの体はカタカタと震えだす。


 このままじゃ誰かが霊に憑りつかれる。そして佐倉先生のように――。


「本野、聞いてるか!」


 電話口から響くトーマの声に我に返り、アキラは地上絵の写真を撮ろうと窓から身を乗り出す。二、三枚携帯電話で撮影した後、目視で確認するが頭を抱える。


「な、何の絵と言われても……ああ、タイトルが思い出せない。そうだ!」


 所々が白い霧で隠れてしまったその形を必死に覚え、アキラは理事室の壁にかかる校章のレリーフを乱暴に押し込んだ。ガコンと古い音を立てながら現れた五つの絵に慌てて視線を滑らせる。


「あった! トーマくんっもしもし!?」


「アキラ君、今すぐ戻って来てくれ! トーマ君には地下への入り口で待機してもらっている。信じ難いことに、今、地下で霊の封印が解かれてしまったようだ。それはつまり生贄となる誰かが地下に居るということだ! 早くしないと手遅れになる!」


「わ、分かりました!」


 白鷺の焦った声に鞭打たれるように理事室から飛び出したアキラはあっと声を上げ再び室内に戻り、コーヒー豆の袋を引っ掴み走り出した。


 アキラの見た地上絵は、大きなヒレのような角ばった線と、不気味に渦巻く瞳を持っていた。



 ――あの地上絵は、『クジラ』だ。



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