『ハチドリ』の儀式⑥

 それから先のことを、アキラは良く覚えていない。ただトーマと白鷺と三人で、必死に地上に出たことだけは確かだ。

 

 いつも守ってくれていた魔除けの指輪はトーマの手にある。


 全身ボロボロではあったものの、あの嫌な頭痛がないことから、もしかしたら呪いが解けたのかもしれないと淡い期待を抱いていたアキラだった。


 しかしその期待もすぐに裏切られる。

 

 地下では何ともなかった体が、地上に出た瞬間崩れ落ちた。全身を襲う寒気と強烈な頭痛に、アキラは地下での消耗もあってすぐに意識を手放したのだった。


 アキラはそのまま熱を出し、三日間寝込んだ。土日を挟んだので学校を休んだのは一日で済み、明日は午前中に念のために病院へ行ってから登校するつもりだ。


「びっくりしたわよ、学校の理事長先生が家に来たと思ったらアキラがぐったりしているんだもの」 


 祖母の話によると、部活動で張り切り過ぎて倒れたということになっているらしい。


 アキラの意識のないときに一度医者が診に来たそうだが、特に大きな異常はなく、過労だという結果に終わったそうだ。


 アキラはぼんやりとした頭で学園の地下で起こった事を整理しようとするも、必死過ぎたせいで所々穴が開く記憶に苦戦する。  


 ――トーマくんは大丈夫かな。


 『彼』に体を乗っ取られたトーマは、最終的には自分を取り戻していた。それでも何の影響もないとは思えない。


 そもそも『彼』はあの後どうなったのか。アキラの胸中は不安でいっぱいだった。


 トントン、と部屋をノックする音にアキラは我に返る。ドアを開けてひょっこり顔を出すのは祖母だ。


「アキラ、理事長先生と部活のお友達がお見舞いに来られたわよ」


「え?」


 祖母の背中越しに見えたのは、顔中絆創膏だらけの白鷺と、腕や首を包帯で巻かれたトーマの痛々しい姿だった。


 アキラは驚きと悲しみの混ざった表情を浮かべるが、自分の適当な部屋着姿に気が付き慌ててカーディガンを羽織った。 


「アキラ君! 具合はどうかな?」


「あ、はい。もう大丈夫です……」


 いつも通りの調子の白鷺に少しだけ安堵するが、心なしか顔色の悪いトーマの様子にアキラは不安が募る。


「トーマくんは大丈夫?」


「俺は大丈夫。土日でダウンしてたけどもう元気だし。火傷も……」


 そう言ってちらりと腕に巻かれる包帯を見て、少し顔を青ざめさせるトーマ。アキラはその様子に焦って問いかける。


「火傷が悪いのね? 痛むの?」


「いや、そうじゃなくて……」


「彼の火傷は普通の火傷じゃあないんだよ」


 口を噤むトーマに代わり白鷺が口を開く。アキラが首を傾げるのを見て続ける。


「あの炎は呪術的な要素があるらしく、普通の処置では治らないようなんだ。体の内側から浄化しないと」


「内側?」


「そう! そこで特別製魔除けドリンクの出番なんだけどね。どうもトーマくんの口に合わないみたいで……」


 そう語る白鷺の傍で既に口元を押さえているトーマ。納得のいった表情で同情するアキラだった。 


「確かに、飲んだらすぐに治るんだよな……だから俺は大丈夫」


「そ、そう……」


「今日はアキラ君の顔を見に来ただけなんだ。積もる話はまた理事室でしよう。明日は学校に来るかい?」


「はい、午前中に病院に行ってから登校します」


 白鷺はアキラの言葉を聞くと頷き、懐から何かを取り出した。


「これを」


「十字架?」


 重い銀色に輝く十字架の付いたペンダントがアキラの手に渡る。見ると所々に傷が付いており年季を感じさせる。


「そのロザリオにも魔除けの効果がある。次から登校する時はそれを身に着けるんだ」


 蹄鉄の指輪の代わりという事だろうか。アキラはトーマの指に嵌ったままの指輪をちらりと見遣る。


 トーマはその視線に気が付き照れるように指を隠した。


「本野……、理事長に色々聞いた。俺が勝手なことしたからお前に怪我させたんだ。ごめんな」


 トーマはがばりと頭を下げる。アキラはそんなことないと首を振るが、気が済まないらしい。


「トーマ君はあの部屋に入ってからのことをよく覚えていないそうだ。きっと儀式自体に導かれてしまったんだと思う。その辺りもまた学園で話そう」


「あ、あの……『彼』は今どうなっているんでしょう」


 トーマが無事だったことは安堵したが、肝心の『彼』は居なくなったのか知りたかった。アキラが無理に指輪で押し込めたような形になってしまったからだ。


「ハチドリなら俺の中に居るよ」


 アキラの問いに答えたのはトーマだった。


「ハチドリ?」


「ああ、すっかり大人しくなって、俺の中にいるんだ。名前忘れたって言うから、そう呼ぶことにした」


 予想外の答えにアキラは耳を疑った。つまり、『彼』――ハチドリはトーマと共存しているということになる。


 アキラがただただ驚いていると、思案顔の白鷺が口を開く。


「霊自体は無害化したと考えていいだろう。しかし儀式の目的は果たされている。次の霊は連鎖的に目覚めているはずだ」


 トーマの中で大人しくしているということは、封印できたということになるのだろうか。


 初代の転校生は地面……正確にはあの地下の部屋に封じていたが、今回の場合トーマに取りついたまま無害化しているということになる。


「気になるか?」


「うん……」


「多分呼んだら出てくるぜ」


 トーマがおもむろに魔除けの指輪を外す。アキラの「えっ!?」という声の後、一拍置いてトーマの雰囲気が変わる。


「ハ、ハチドリ……?」


 伏せていた瞳がアキラを見る。ああ、この目だ。とアキラは思った。炎の中から見ていた目だった。


『お前、アキラというんだな』


「う、うん」


『怪我は、』


 ハチドリは湿布の貼られたアキラの手の甲を撫でた。アキラはまだ信じられないようでされるがままになっている。


 ハチドリは更にアキラのTシャツの首元から手を滑り込ませ、床に打ち付けた肩をするりと撫でる。


「ひゃっ」


『本当にすまなかった』





 元に戻るとトーマは土下座して謝った。

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