桜中央学園⑦

――これ、最初に見た光景だ。



 アキラの通う学園に、重なるように建つ平屋の建物。


 転校初日にアキラが見た時は、朦朧とする意識の中でぼんやりとしか分からなかったが、今のアキラはにははっきりと見える。

 前回と違うのは、轟々とした炎の音が聞こえないということだ。


 音もなく平屋を侵食していく炎をアキラが固まったまま見つめていると、一際大きい炎の塊が平屋の一室から噴き出した。


 その部屋から、何か動くものが出てきたのを見て、アキラは「ひっ」と声を上げる。


 『それ』は炎に包まれながら部屋から這いずり出て、平屋の外へゆっくりと移動する。


 アキラはその姿を一瞬見て、『それ』が人間であることを確信し、全身を硬直させる。


 全身が黒く焼け焦げ、炎に巻かれている。

 元は着物であっただろう布は大部分が焼失し、かろうじてその体に引っかかっている。


 その人影は呼吸ができないのか、胸を大きく上下させながら――黒く焼け焦げた腕と足をゆっくりと、しかし滅茶苦茶に動かし、平屋から這いずり出てきた。

 その人影は地に伏しながら、足が竦んで動けないアキラに向かって手を伸ばす。


 アキラは震えながらただその様子を見ていたが、一瞬、その人物と視線がかち合う。

 アキラは怯えていた。

 しかし、目の前の人影をよく見ると、アキラとそう年の変わらない男子だということに気が付く。


「――――――」


「え……?」


 発せられた言葉はアキラには聞こえなかった。

 しかしアキラはその涙の溜まる瞳からどうしても目が逸らせなかった。


 何か言ってる……!


 途端、平屋を吹き飛ばすほどの爆風がアキラを襲った。


「わっ……」


 音も熱も感じなかったが、強烈な風を受けアキラは目を瞑りよろめく。


 だめ、転ぶ――!


 アキラは地面に叩きつけられるのを覚悟し、身を固くした。



 いつまでたっても来ない衝撃にアキラは目を薄く開ける。

 ふわりと香る花の匂いに抱きとめられていることに気が付き、慌てて体勢を直す。


 転びそうになったアキラが寄りかかっていたのは、目を丸くしている星野だった。


「本野さん、大丈夫?」


「星野先生――!?」


「いや、急にふらついたと思ったから支えただけで。セクハラとかじゃないぞ?」


「あ……」


 アキラが恐る恐る校舎を再度見ると、地面を這っていた人影も炎も消え、いつもと変わらぬ校舎がそこにあった。

 一気に体の力が抜け、同時にじわじわと涙がこみ上げる。


――怖かった。


 アキラは自分の肩を支えている星野の腕をぎゅっと握り、顔を伏せる。


「ど、どうした? 泣くのか?」


「う、すみませんでした。急に強い風が吹いて……」


「風? また具合が悪いんじゃないか。こんなに震えて」


 爆風に押されてよろめいたアキラだが、風は吹いていないと言う星野。

 アキラにしか感じなかったそれは、今でもアキラの体を震えさせている。

 星野はアキラから腕を離し、ポンポンと震える肩に手を乗せた。


「先生はいつからここに?」


「下校時の見回りでしばらくうろうろしていたよ。本野さんが校門前でぼーっとしてるのを見つけて、そのあとすぐにふらついたから」


「見回り……」


「そう。誰かさんがまた不審者に絡まれないように」


「あ、ありがとうございます」


「一人で帰れるか? 保健室で休んで行っても……」


「えっと、」


 アキラは一刻も早く学園の敷地から出たい思いだったが、その心細さに少しためらう。

 星野の姿を見て得た安心感が大きい。

 一人になりたくないが、学園からは出たい。アキラは逡巡し、口を開いた。


「大丈夫です。帰れます」


「そうか? じゃあ、気を付けて」


「あ、あの先生はしばらくこの辺に居ますか?」


「ん? ああ、まだ見回るつもりだけど」


 アキラは少し安堵し、星野に会釈して校門の外にでる。


 校外に出れば呪いは効かないと分かっていても、アキラの体は未だに硬く冷え切っていた。


――幽霊を見てしまった。


 アキラはあの人影が学園の幽霊であると確信していた。

 昔々、賊の襲撃を受けた学舎の生徒。無残な最期を遂げこの地に遺恨を残している。

 白鷺から聞いた情報と限りなく一致していたあの人影は、炎に呑まれて亡くなったのだろうか。


 白鷺に報告しに戻ろうかと思ったが今どうしても校舎に戻る気になれなかった。


――星野先生が来てくれなかったら本当にひっくり返って気絶していたかもしれない。


 アキラは両手で自分の肩を抱きながら、西日の射す坂をゆっくりと下った。

 仮に呪いを解く手掛かりが見つかったとして、あの幽霊を封じることが自分にできるのだろうか。


 アキラは陰鬱とした表情で少しだけ来た道を振り返る。


 

 坂の上の校門に、星野の姿が見える。



 その視線はじっと校舎の方に注がれていた――。






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