桜中央学園④

『こら、井戸の淵に座るなと何回言わせるんだ』


 アキラは突如響いた声に顔を上げる。

 目の前には古井戸に腰かける簡素な着物を着た少年と、ところどころ糸が解れボロボロになった羽織を身につけた男性の姿があった。

 二人はアキラの存在に気が付いていないようだ。

 アキラはこの光景に覚えがあったが、思い出せない。

 男性が少年の頭を優しく撫でると、少年は男性から顔をそむけどこかへ駆けて行ってしまった。

 アキラは少年の背を目で追う。横では置いて行かれた男性が同じように小さくなる背中を見守っていた。


『いい子なんだ』


「え?」


 聞こえた呟きに、アキラは思わず反応する。


『あの子は優しくて……他人を思いやる心を持っている。いい子なんだよ』


 羽織の男性はアキラを見ていた。


『だから、どうか――「……ちゃん、アキラちゃん」


 ポンッと頭に何かが乗った感触に、アキラは勢いよく目を開く。

 隣の席のナギサが「あ」の口のまま固まっているのが見える。その視線はアキラの頭上に注がれていた。

 アキラの頭を教科書で小突いているのは、アキラのクラス担任であり英語担当教師の星野だ。

 目を開けたアキラを確認すると、星野は最後にぐりぐりと教科書でアキラのつむじを押し、覚醒を促した。


「よし、ようやく本野さんが起きたようなので、授業を始めようか」


「私……」


「当てるから寝るんじゃないぞ」


「すみません」


 昨日はアキラに校内での隠れ煙草を発見され小さくなっていた星野だが、授業となると至極真面目だった。

 アキラは几帳面な字で板書する星野の姿を見ながら先程見た夢のことを考える。

 なんとなく覚えのあるシチュエーションだったが、いつどこで見たのかアキラは思い出せなかった。




「ごめんね、何回か起こそうとしたんだけど」


「ううん、私が熟睡していたのが悪いの」


 英語の授業が終わり昼休みに入るとナギサは申し訳なさそうな表情でアキラに話しかける。

 アキラは星野の注意を受けたことを気にしていない様子で、手作りのサンドイッチを頬張る。

 居眠りの反省はしていたが、星野に対しての罪悪感はなかった。


 ――先生だっていけないことしているもの。


 そう口に出さずに、アキラは昨日の星野の姿を思い出す。

 授業中の真面目な姿よりも、昨日のような姿の方が親しみやすいとアキラは思った。


「星野先生ってどんな人?」


「どんなって別に普通の――」


 ナギサはアキラの問いに答えようとし、途中で止まる。


「もしかしてアキラちゃん、年上好き?」


「ち、ちがうよ。もう、ナギサはすぐそうやって――」


「だって気になるもの。アキラちゃんのそういう話。私だけじゃないと思うけどなあ」


「私のそんな話、誰も気にしないわよ」


「何言っているの、聞いたよ。校門前でアキラちゃんがイケメンのお兄さんにナンパされてたって!」


「ぶ、ごほっ」


 アキラは思い切りむせ返りながら慌ててナギサの言葉を否定する。


「そ、それは違う!」


「本当かなー?」


 ナギサが片頬を引き上げた悪い笑みを浮かべていると、食堂から戻ったらしいトーマが自分の椅子に腰かけながら口を開いた。


「そりゃ不審者だ」


「不審者?」


「事件のことを嗅ぎまわっている怪しい奴」


 ナギサの表情は一変し、訝しげに歪む。


「え、そうだったの」


「ああ、本野はあれから絡まれてないか?」


「うん、大丈夫。先生方が登下校中パトロールしてくれているみたい」


「ふーん、なんでトーマはその事知ってるの?」


「トーマくんがその人を追い払ってくれたの」


「別に大したことじゃないけどな」


「あーはいはいそういう事ねふーん」


「なんだよ」


 サンドイッチを食べ終わったアキラは二人のやり取りを聞き流しながら、若菜のことを思い出していた。


 人好きのする笑顔に、何かを見定めるような目。

 アキラが転校生だと分かると態度を変えた。

 例え『イケメンのお兄さん』だとしても、気味が悪かった。

 またねと言って去って行ったのが更に嫌な予感を抱かせる。


「また何かあったらすぐ言えよ」


「うん、ありがとう」


「あーまた格好つけてる」


「お前は本当に黙ってろ……」





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