第一章
転校生①
アキラが今日から通う私立桜中央学園高等学校は、自由な校風と生徒の自主性を重んじる近代的なスタンスの学校だが、その歴史は浅くはなく創立七十周年を迎えるところだという。
指定の制服や鞄は無く、生徒たちは思い思いの格好で通学している。桜中央駅から校舎まで緩やかに続く坂をゆっくり上りながら、アキラは同じく登校途中の生徒たちを眺めていた。
引っ越しやら何やらでドタバタしていたアキラにとっては、新しい制服の手配をしなくて良かったのは有難かった。あまりにも華美なファッションには指導が入るそうだが、白いシャツに転校前の制服のスカートを合わせ、春用のカーディガンを羽織ればなんの問題もない。
歩を進めるたびにアキラの肩下まで伸ばした髪が揺れる。日に透けると栗色に見えるその髪は校則が厳しかった前の学校で染髪と間違われていたが、この学園では問題なさそうだ。
――靴はスニーカーでも良かったな。
慣れた風に坂を上っていく生徒たちの足元には、流行りのシューレースが省かれたデザインのスニーカーがちらほら見られた。アキラは自分の硬いローファーを見おろした後、坂の上にある校門に目を向けた。
春の陽気の中新年度が始まるにも関わらず、生徒たちはやたら静かに門をくぐり歩みを進めている。春休みが終わったことを残念がっているのだろうか。奇妙なほど静かな通学路には時折ひそひそと話す声が響いた。
……先生が、まさか……本当
信じられない――さくら……
断片的な会話が聞こえてはきたが、転校初日の不安でよく眠れなかったアキラにはそれを深く考えている余裕はなかった。
温かくなる体と重くなる足をゆっくり動かし、ようやく校門にたどり着き、その先に校舎が見えた。以前の公立高校の簡素な造りに比べると無駄に大きく感じる門の前では、何やら生徒たちが登校の足を止めて集まっている。
それが日常的なことなのかアキラには判断できなかったが、どうやら一人の男性が複数の生徒に声をかけているようだった。教師による服装検査のようなものだろうとぼんやり考えながら、アキラは門に向う足を止めずにその集団に近づき、中心にいる男性が見える位置に移動した。
――ちがう。
男性の姿を確認した瞬間、アキラはその人物が教師ではないことを確信した。
ダークカラーのトレンチコートに赤茶色の髪、カラーサングラスを頭上に乗せたその男性は明らかに教師ではないし場違いである。にも拘らず笑顔で周囲の生徒たちと話をしている。
よく見ると男性の周りにいる生徒は女子ばかりだ。長身にすらりと長い手足と人好きのする風貌に興味を持ち足を止めたのだろう。
しかし、
――あやしすぎる。
同様にその違和感に気付いた生徒たちは素通りして校舎へ向かっている。アキラも見なかったふりをして門をくぐろうとしたが、その挙動が逆に目を引いたのか、怪しい男性はアキラに向かって足を踏み出した。
「君にも話を聞いていいかな」
「え」
「僕はフリージャーナリストの
――事件?
日常では聞きなれない単語にアキラは眉を寄せ、さらに距離を詰めてこようとする目の前の男性、若菜から一歩身を引いた。
周囲に居た女子学生たちは若菜の興味がアキラに移った途端解散してしまい、アキラは一対一で話をする状況になってしまっていた。
「ああ、無理はしなくていい。君たち生徒にとってはかなりショッキングだったと思うから。ただこの事件は分からないことが多すぎて、少しでも情報がほしいんだ」
「何のことですか」
「先週ここの教師が亡くなったでしょう、その事件のことだよ」
「教師が、亡くなった?」
先週は転校手続きを終え、引っ越し作業のピークを迎えていた。日中はニュースをチェックしている暇はなく、唯一テレビを点けていた食事中は祖母と韓流ドラマを見ていたため、まさかそんな事件が起こっているとは知らなかった。
あまりにも静かな通学路の理由が判明し、アキラは若菜から視線を逸らし、地面を見つめた。
「まさか知らなかったのかい? こんな騒ぎになっているのに」
「私今日からこの学校に転入するんです。引っ越しでちょっとドタバタしていて、ニュースを見ていなくて」
ただでさえ不安で力の入っていた肩がさらに震えるように上がった。
なんていうタイミングで転入してしまったのだろう。幸先の悪い学校生活に嫌な予感が頭を過り、アキラはため息をついた。
「君、今何て?」
「え?」
「何て言ったんだい?」
低いトーンで急に投げられた問いかけに、アキラは対応できずに聞き返す。
先ほどとは打って変わって、若菜の笑顔は消え困惑の表情を浮かべている。
「ニュースを見ていなくて……」
「その前だよ」
「き、今日からこの学校に転入するんです」
低い声で畳み掛けるように問いかけてくる若菜に恐怖を覚えたアキラは、後ずさりながらも言葉を発した。しばらくの沈黙の間、若菜は微動だにせず静かにアキラを見つめる。
――あやしいどころじゃない、この人変な人だ。
アキラはこの状況から逃げる方法を必死に考えていたが、通りがかる生徒たちは皆訝しげな表情をして一瞥してくるだけで助けは期待できそうになかった。
自身の運の悪さを呪っていると、その手首をふいに強い力で掴まれる。
「えっ」
「いやーそうかそうか、『転校生』だったとは。知らなくてもおかしくないよね。ところで君の名前はなんていうのかな」
強い力で無理やり握手をされその手を上下にぶんぶんと振られる。急に明るい声と笑顔になった若菜を見てアキラは更なる気味悪さを感じた。
「は、なしてください」
「名前教えてほしいな」
手を握りながらどんどん近づいて来る若菜に対し、いっそのこと突き飛ばして逃げてしまおうとアキラが身構えたその時だった。
「おいおっさん、その手離さないとケーサツ呼ぶぞ」
背後から聞こえたその声は静かな校門前によく響き渡り、その場の誰もが一瞬動きを止めた。恐る恐る振り返ると、若菜を威嚇するように睨み付ける男子学生の姿があった。
目を引く茶髪にピアス、大きなヘッドホンに白いダボダボのパーカー、仲の良い友人にはいないタイプのやんちゃな見た目をしているが、アキラにとって彼は救世主のように見えた。
「おっさん……?」
「校門の前でナンパすんなよ。嫌がってんだろ」
おっさんという言葉に衝撃を受けたのか、若菜の手が緩んだ瞬間アキラはその手を振り払い、救世主の彼の傍に寄った。
「誤解だよ、僕は取材中でね。彼女に話を聞いていただけだ。あとおっさんじゃない」
「あ、センセー! たすけてー不審者がいまーす」
「…! はあ、仕方がないね」
笑顔を張り付けながら今までの経緯の説明を始めようとした若菜だが、校舎に向かって手を振り教師を呼ぼうとする彼の行動に、不利を悟った様子で肩を落とした。
「またね、『転校生』ちゃん」
頭に乗せていたサングラスを装着し、片手を挙げてから若菜は踵を返した。また、が来ないことを心から願いながら、アキラは駅の方向へ去っていく若菜の背を見送る。
無理やり握られていた手がすっかり赤くなっていることに気付き、もう片方の手で隠すように擦った。
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