逃避行列車


 窓の外を見ていた。

 真夜中の列車。緩やかに通り過ぎる夜の景色。用意された道の上を鉄の箱に乗って進んで行く。

 微かな揺れと、音。薄暗い照明。夜の帳に煌めく明かり。それらすべてが心地よく、穏やかに微睡みを誘う。

 ふわふわと漂うような意識の中で、そっと隣に誰かが座る。

「こんにちは」

 柔らかく朗かな声。気持ち良く耳を通り抜けていく。

 きっとそれは女の子。黒く艶のある長髪が、肩に触れる。

 整った顔立ち。綺麗な瞳。うっすらと記憶に引っかかる。

「どこかでお会いしましたか」

「いいえ。どこでも」

 女の子は首を振る。私の思い違い。うっかり。恥ずかしい。

「それじゃあ、はじめまして」

「はじめまして」

 女の子は軽く会釈。私も会釈するけど、ちょっと不格好。それとは逆に、女の子はとても理想的。

 私は黙った。女の子も黙った。

 窓の外を見ていた。

「すてきですね」

 女の子が言った。

「すてきですね」

 私が言った。

 たぶん、景色のこと。なんとなくで察して、なんとなくその子のことがを気になってみる。

「どちらから?」

「現実から」

 窓の外を見ながら女の子は答える。

「あ、一緒ですね」

「やっぱりあなたも」

「ええ。ちょっと逃避行」

 言って、くすりと笑う。私も、女の子も。

「よくいらっしゃるんですか?」

「そうですね。割と頻度は高めかな」

 たぶん。自信のほどはイマイチ。

「わたしもよく来るんです」

 と、女の子。

「近頃は人が少ないので、お会いできて嬉しいです」

 と、私。

「どうしてでしょうね」

「さぁ」

 専門外です、と私。

「夜は好きですか」

 肩を並べてガラスに顔を寄せる。

「ええ、とっても」

 女の子の瞳に光が反射する。

「私もです」

 綺麗だな、と思いながら、私は微笑む。

「気が合いますね」

 女の子も微笑む。

「本当に」

 沈黙が景色と一緒に流れていく。

 電車が止まる。

『終点、ウツツ、ウツツ。ご乗車、ありがとうございました』

 二人して、顔を見合わせる。

「ついちゃいました」

「ついちゃいましたね」

 席を立って、開いたドアの前に立つ。

「それじゃあ」

「ええ、それじゃあ」

 さようなら。

 お目覚めの時間。



 *    *



「ヒサミさん」

「ふがっ」

 みっともない声で起床をお知らせ。

 ふがっ。

「ふがふが」

 お鼻をつままれ中につき鼻呼吸に障害が発生しその結果ふがふが破廉恥かつ不格好かつ寝起きの証明的アホ面を晒しているわけでござりますれば。

「おはよう」

「ふがっ」

 おはようと言いたかった。

 わかってもらえただろうか。

「まだお仕事中よ」

 お鼻つまみモード終了。鼻呼吸! いい匂い! 女子力のかほり。

「あい」

 寝ぼけ眼でシュピッ、と敬礼。

「いぇす、まむ」

 ただの同僚だけど。

「……まぁ、ここしばらくあまり寝てないんだろうから、あまりキツく言わないけどさ」

 少し心配そうにというか、かわいそうなものを見る目で私をチラ見。よせやい。泣きたくなるだろうが。

「ちょう眠いっしゅ」

 涙の代わりに己の切実なる睡眠欲を言葉にしてみる。眠い。眠いなぁ。お肌の潤いも不足気味。

 にしても、あの女の子の肌、綺麗だったなぁ。

「……ん?」

「どうしたの?」

「いや……」

 ……女の子って、誰だ?

「まぁ、いっか」

「だから何よ。一人で納得したみたいに」

「なんでもなーいよ」

 とりあえず誤魔化しておく。

 夢でも見たかな。あいにく内容はよく覚えてないけど。うーん。

「とりあえずお仕事がんばりゅ」

「……よくわからないけど、まぁ、そうね。頑張って」

 私は戻るわ、と言って同僚は去っていった。

「さて」

 堆く、というほどではないにしろ、それなりに分厚さのある書類の束を見て、ため息と謎の声の入り混じった音が漏れる。具体的に言うと、「ぁあぅぁぇあー」みたいな。

 短いお昼寝タイムは終わってしまった。本格的な睡眠を手に入れるために、なんとか片付けなければ。

「頑張るぞぉ」

 おー、と一人で盛り上げて虚しくなりつつも、致し方なしに仕事を再開する。

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