餅は餅屋。毒林檎は、白雪姫に。
土曜日。たぶん休日。僕は絵画教室にいる。
餅を描いてみた。
「なにこれ」
隣にいた女性が手元を覗き込んできた。
「絵に描いた餅」
端的に答える。それ以外の表現方法がまるで見当たらない。まるっきり餅だった。
「あー、うん、それはわかる」
少々不満げに眉根を寄せる。なんと言えばいいというのか。
「なんで餅なんて描いたの?」
質問を変えてきた。臨機応変な女性だ。好感が持てる。今日初めて会ったけど。
理由なんて特になかった。なんとなく餅を描いてみた。強いて言えば小腹が空いていた。深遠な理由なんて何もなかった。
けれど、そんなことを言おうものなら、この人はまた不満そうな顔をするだろうし、また別の質問をしてくるだろう。そんな未来が予想されたので、僕は適当なことを言ってみる。
「僕の人生を描こうと思って」
女性は「はぁ?」と言って変人を見る目をする。わけがわからないというか何言ってんだこいつという感じである。まぁそうだろう。僕も何言ってんだと自問しているところだし。
「えーとつまり、その餅が君の人生? 餅が? え、なんで」
困惑する様子は、頭上の疑問符が目に浮かぶようだった。顔を寄せて目を細め、餅の絵をジィっと見つめている。肩まで伸びた艶のある髪が微妙に近い。いい匂いがするので黙っていた。鼻が幸せをかみしめている。鼻が詰まっていなくて幸いだった。鼻をかむなんて無粋なことをしないで済む。
「絵に描いたような人生。絵に描いた餅。ジョークですよジョーク」
それこそ冗談だ。今考えたばかりの出来立てほやほやな嘘というか適当なお話。別に意味なんてないのです。妙な勘ぐりはやめ給え。
「絵に描いた餅のような人生ってこと?」
「そうなりますね」
「役立たずなの?」
「……ええ」
言い方よ。
他にも表現の仕方あるでしょうに。
なぜそれを選んだ。名も知らぬ女性よ。
「実現する可能性がない夢でも追いかけてる?」
「あー、たぶん」
いや、結構グサグサ刺してくるなこの人。凶器を与えたのは僕だけどさ。遠慮とか容赦というものがまるでない。別に気にしてないけど。
最初から冗談なので、何もここで突然シリアス風味な回答をする必要もなし。さて、何と言おうか。
僕は少し考えてから、自分の夢を捏造する。
「仙人になりたいんです。山奥でひっそりと自給自足の暮らしを送ろうかな、と」
女性は「おー」と興味関心があるんだか何だかよくわからない声を上げ、僕に対する変人という評価を一段階上げたようだった。株は上がってなさそう。
女性はそれから神妙な面持ちになってこう言った。
「喉に詰まりそう……」
それが独り言の呟きなのか僕との会話の一環なのか判断しかねて、ついでに困惑もしたので僕は女性に質問をする。
「……餅が?」
「餅が」
「喉に?」
「そう、喉に。仙人はおじいちゃんのイメージ」
目を細めて顎に手を当てながら言った。まぁ、一般的に仙人と言ったら老人だろうけどさ。
「理想が詰まって窒息死とか笑えないですよ」
僕は苦笑して言った。大丈夫、笑い話だ。だって現実じゃない。妄想は笑い飛ばせるのがいいところ。
女性は“考える人のポーズ”を解除する。そして何事もなかったかのように姿勢を正し、僕を見て笑う。
「君、面白いね。ねぇ、名前は? 友達になろう」
友達になろうというより「お前は今日から友達だァ!」くらいの強制力を感じる。ところで、面白いというのはあれか。さっきの仙人窒息死事件のことを言っておられるのか。あせられるのか。であれば鬼畜に外道をミックスしてそこから残酷を引いた程度のろくでなしだ。つまり、たぶんいい人。初対面だけど。
分析とも言えない稚拙な遊戯をしながら、僕はここでもまた適当なことを言うわけだが。
なんだか段々吊り革広告じみてきたな。新聞程度にはなった方がいいかもしれない。なお、なる見込みは今の所ない。だから今日も今日とて適当なことばっか言う。あてにするなというのは正解だ。期待もしないでいだたけると胃腸に優しい。そうすると僕も地球に優しい、エコな人間になれる。知らないけど。
僕は無駄にもったいぶってから深呼吸をし、それからその二文字を口にする。
「餅」
「餅……」
律儀に復唱する女性に、僕は重ねて控えめな自己主張をする。
「餅とお呼びください」
微妙な顔をされる。胡散臭いものを見る目だ。正解。
「わぁ夢が詰まってそう」
そして棒読みである。感情が抜け落ちてしまったようだ。どこかに落としてきたに違いない。捜索願は早めに出しておきなさいと忠告したいところだがいやいやそれ以前に。
「反応が雑……」
僕並みに適当だ。これはひどい。自分の行いを見せつけられているようだ。自己嫌悪に陥っちゃいそう。
女性はあくまで冷静に、僕の犯した罪を指摘する。
「だって嘘でしょそれ」
僕もまだまだ冷静だ。僕は冷静を装ってうっかり自白する。
「餡子も詰まっておりません」
夢も希望も餡子もねぇ。ただの餅でございます。焼いても味無し。僕は無個性な餅なのです。
中身スッカスカだからね。中身のない会話とかちょう得意。値段もお手頃ゆえ、食べ応えがないことに目を瞑れば好物件だと思うわけです。
「そんなわけだから、喰いものにもなりません」
案の定、「どんなわけだよ」と突っ込まれる。気にしないで、と言ってみる。頷かれる。素直だなぁ。
「一杯食わされた気分なんだけど……」
女性はしょんぼり。僕のトークにノリノリだと自惚れていたけど、そうでもなかったらしい。
えーとこういう時はなんていうんだったかな。
「味気なかったですか?」
それとも食気?
内心で質問を付け足してみたが、どうやらどちらも不正解。女性は肩を竦めて言った。
「食えない子だなぁ、って思っただけだよ」
食ったのか食ってないのかどっちだよ。はっきりして。僕混乱しちゃう。
室内を巡回していた先生がこちらに向かってくるのが見えた。僕は気持ち女性の方を向いていた体をキャンバスに方向修正し、餅の続きを書き始めた。女性も気づいたようで、僕から離れて自分の定位置に帰還する。「……僕のことは餅とお呼びください」
小声で念押し。ついでに、僕は餅。僕は餅……、と自己暗示。そしてとはいかずだがしかし僕は餅にはならない。残念なことに、僕はビビデバビデブーできるタイプの人間ではないのだ。想像力も現実味も足りてない。もうちょっとマシな言い分はなかったのか。ないなぁ。
女性は横目でチラッと僕のことを見てから、同じように小声で話し出す。
「……“もっちゃん”で妥協する。それで、君は私のことなんて呼ぶの?」
名前にツッコミは入れない。即座に作文。送信。
「……もっちゃん……ああなんていい響きなんだ。サバンナの夜明けを演出したくなりますね。ならない? あ、そう……」
間違えた。これじゃなかった。選択ミスだ。うっかりうっかりキャンセルキャンセルじゃない。もう遅い。時は動いているのだぁ。
「……私の名前は?」
女性の視線は見なかったことにする。心が痛むので。
うん。今の気分は名付け親。さて、どうしたものか。
僕は自分が描いたものをニックネームにしたわけだから……ふむ。
「一つぅ、質問なんですけどー」
「うん? 何?」
視線を紙から逸らさず返事をしてきた。僕もそれに習って絵に描いた餅を見つめながら問いを継続する。
「何を描いてるんですか?」
「気になるの?」
「ええ、とても」
我ながらいい餅だなぁ、とか考えながら興味を示す。本当だよ。興味はあるんだよ? 思考が付いて行ってないだけで。
女性が僕を小さく手招きする。僕はお誘いを受けることにして、彼女の手元を覗き込んだ。
「……これは」
林檎、か? 林檎だな。たぶん林檎。色がなんだかおかしい気がするが、絵としては非常に上手い。僕の絵とは餅と林檎くらいの差がある。間違えた。天と地だ。
「……林檎ですよね、おそらく」
狂った色合いを推定で誤魔化しながら、半ば確信しつつ僕は言った。女性は頷き、自分がパレットから緑や青、紫といった寒色を林檎の外皮として選択した理由を告げる。
「七割正解かなー。毒林檎だよ」
「……なるほど」
なるほどじゃない。さっぱりわからん。どうやったら毒林檎を描く気になるんだ? と、ここで自分の行いを振り返り、密かに反省。僕の餅も客観的に見れば同じだよな。いや、脈絡の意味不明さでは毒林檎よりひどいのでは……?
考えるのをやめた。
「なにゆえ毒林檎を……」
思考を切り替え、わからーん、と顔全体を使って表現しながら質問する。こう、眉を八の字にしてだな……。
眉を適切な角度にすることに苦心する僕を、お手本みたいな「わからーん」の表情で見てから、女性は答える。素晴らしい出来栄えだったので、是非とも参考にしようと思いました。
「白雪姫にさ、毒林檎出てくるでしょ」
「ッス」
肯定。煽ってはいない。詮索はよせ! 気のせいだと言っているだろう!
女性は僕を横目でチラ見してから言葉を続ける。
「あの林檎が好きでさー」
……無視された。が、まぁ、よし。
にしても、ほう。
「毒林檎が好きとはこれまた稀有なお方……」
呟くように言ってみる。
もしかしたら魔女の類かもしれない。ビビデバビデブーできるタイプかな? かな? と淡い期待を抱いてみたりみなかったり。
すると女性は僕を見てニッと笑った。
「そう? なんかロックな感じでかっこいいじゃん」
これには僕もびっくり仰天驚天動地の末の五体投地とまではいかないにしても驚いた。なんじゃそりゃあ。
毒林檎ロック! 未知の領域だなぁこれはぁ。ちょーっちお兄さんわかんないぞーぅ。たぶん僕の方が年下だけどぉ。
うん、詮索するのはよした方が良さそうだな。深淵を覗いてしまいそうだし深淵に見初められそうな気もする。そして、果ては地の底から伸びてきた手に誘われて僕も泥沼入りした挙句毒林檎をロックだと叫ぶに相違ないのだ。ジョークだよ。毒林檎はロックだな!
真横の女性の深みに触れて、発狂する準備段階のさらに一歩手前にすら行かないあたりまで浸食された結果毒林檎がかっこよく見えなくもないかなぁと自宅に持ち帰り検討しますというレベルに至った、僕。なぁんにも変わってない。セーフセーフ。
心の審判が大丈夫だと告げているので、僕はそれ以上突っ込まないことにして、女性の呼称を決定することにした。
まぁ、林檎だし。単純明快が一番だと思うわけで。
「厳正な審査の結果、僕はあなたを“リンさん”とお呼びすることになりました」
言葉の装飾で着飾って、僕は女性にそう宣告した。
「“リンさん”……リンさん、かぁ。良い名前を頂戴してしまいましたなぁ、ふふふ」
口に馴染ませるように、何度か呟いてから、女性改めリンさんは柔和に微笑んだ。
「お気に召されたようで何よりですぞ」
わはは、と僕も笑ってみる。あー愉快愉快。気まぐれで通い始めた絵画教室だったが、思わぬ収穫とはこれのことか。
悦に浸っていたら、名前もといニックネームが呼ばれた。当然、お隣さんである。
「ねぇねぇ、もっちゃん」
「なんですか、リンさん」
僕もすかさずニックネームの応酬をくれてやる。
「本名はいつ頃教えるの?」
「あっ、そういうのはもっと仲良くなってからで……」
「初心なの?」
「生まれたままですねー。産毛もまだありますよ」
はっはっは、と餅を眺めながら適当な返事をした。あるか、産毛?
するとリンさんが何かを思いついたように顔を上げ、納得したように物申す。
「あ、童貞なのか」
「さぁて続きを描くぞー!」
何も聞かなかったことにした。
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