拝啓、地獄に落ちるべき君へ


 二十一世紀が半分を過ぎて、地球上で文明を築いてきた人類の色々が、各地で飽和状態を起こし始めた頃。アメリカという国は、国家として事実上の崩壊を迎えた。

 人の目に見えないところで、予兆があったのかはわからない。認識できない原因が生む結果というのは、往々にして唐突に感じるものだけれど、それもまた、そういう類の、ありふれたことだったのかもしれない。

 昔、アメリカについてこんな話を聞いた。

 アメリカという国は、二度の世界大戦と冷戦、それから他の幾つかの戦争を経て、強大な力を持つようになった。経済から、軍事に至るまでの数多くが、アメリカという権威に傅くようだった。……そんなことを、小学校の老教諭は言ったように思う。

 齢は、六十を過ぎていただろうか。二十一世紀に生まれたのは疑いようがなく、二つの大戦も、二つ目でこの日本の広島に落ちたという“ゲンバク”も実際には見たことないはずではあったけれど、その老教諭は当然である風を装って、さも自分が体験したこのように悲しげに語った。自分がかつて聞かされた遠くの場所の、遠くの時間の出来事……物語を、どこか強迫観念に突き動かされるように熱心に話していた。僕にはなんというか、それがどうも白々しく、空虚な嘘を孕んでいるようで、今は亡き“アメリカ”も本当にそんな力があったのかと少し疑わしく思った。

 とはいえ、アメリカ神話、なんていうのは僕が生まれた時からずっとあったし、何より嫌という程聞かされた──僕の母はアメリカから亡命してきた人の系譜だった──から、「よくわからないけどそうだったんだな」くらいの気持ちで聞いていたけれど。

 ともかく、二〇五〇年のあたりでアメリカは内戦状態に陥った。原因は、思想の対立。いたってシンプルで、一番どうしようもないもの。何年も前から、デモの過激化や治安の悪化が言われていたようで、アメリカ政府は結局銃規制に踏み切れないまま、気がついたら国民同士で殺しあっていたそうだ。なんとも救えない結末だ。そしてその救えなさは、アメリカだけでなく、未だにこの世界にこびりついている。……いや、それどころか、アメリカという一つの時代が終わってから、世界はより一層終末へと突き進んでいるようですらあった。

 人種や思想等様々な要素が入り乱れ、されど秩序の中で微睡んでいた世紀の大国は、あっという間に混沌の坩堝と化した。地続きになった他の国をも巻き込んだその争いの中、築かれた死体の山の凄惨たるや、それこそ屍山血河というに相応しく、狩る側に回れない人々は逃げ惑い、亡命や難民としての漂流を余儀なくされた。あるいは、死か。

 たくさんの命が失われ、世界中が混乱した。経済も一つの巨大な市場を丸ごと喪失して途方に暮れたようだった。誰も支配できなくなった場所に、世界各国が手を伸ばした。ロシアや中国は言うに及ばず、イギリスまでもがアメリカの跡地を欲しがった。そして日本は……かつて強権を誇っていた国家の構成要素であった人々を、受け入れていった。無力だった小国が、かつてのアメリカのような人種の坩堝となり、大きく変わっていく原因だった。

 日本は強力な後ろ盾を失った。新たな庇護者が必要だったけれど、ロシアと中国は今やアメリカの影響を色濃く受けている日本とはまず合わなかった。そこで、密かにイギリスと手を組んだ。アメリカをめぐる争いは、当時まだ秘密にされていたことが多かったから。

 そんなわけで、世界は変わった。らしい。全部又聞きだから、らしい、と曖昧な表現になる。歴史の授業で誰もがやることだ。混沌の二十一世紀後半。高校生になった今は、もう少し詳しくやる。

 僕はそんな時代の日本で生まれた。アメリカ人亡命者で気高く強気な母と、日本人で優しく弱気な父の間に。

 金色の髪や青い瞳、白い肌の色、全体の造形は、美人の母に似た。外見で父と似ていると言われるのは、目元くらい。鏡で自分を見ると、顔立ちの整った、優しげな少年がそこにいる。我ながらそこそこかっこいいんじゃないかと思う。見た目は、と注釈がつくけど。

 僕という人間はとにかく気が弱かった。物事に対して悲観的なだけじゃなく、自分より自信のある人間にとにかく弱かった。だから、仮に僕が女の子からモテて好意を伝えられたとしても、僕のその弱さが露呈した途端女の子は離れていったし、僕をある種の脅威として認識していた同性たちも僕をいびるようになった。そして残念なことに、僕は自分一人では立ち向かうことができなかった。……弱かったから。

 友達がいた。二人の、親友と呼んで差し支えないと思える友人だ。彼らはビビりな僕をいつも助けてくれる。イジメられていれば割って入り、僕を叱ったり慰めたりしてくれる。一緒に遊びもするし、彼らもきっと、僕と一緒にいることを楽しんでくれていた。僕はそれがとても嬉しくて、いつもいつも、感謝している。

 二人の名前は、セシリアと、ケンジ。セシリアはイギリス人と韓国人のハーフで、とても美人。そして争いを嫌った。ケンジは生粋の日本人で、そのことを誇りにしていた。彼は少し乱暴だけど、誠実で、正義感があった。二人とも、同じクラスになってなんでか仲良くなった。どうしてだろう、と未だによくわからないけれど、あまり重要なことでもないような気がする。今が大事。原因は、あんまり。

 放課後、あまり人の寄り付かない屋上で、三人並んでフェンスに背を預けて、座った。僕を真ん中にして、左右に二人。いつものフォーメーションだった。

「二人は、卒業したらどうするの……」

 僕は言った。みんな、高校三年生になっていた。この生活も、もうすぐ終わる。そう思うと少し寂しくて、感情を紛らわすために質問をした。

「あー……卒業したら、なぁ……」

 ケンジは唸った。腕を組んで、眉を寄せて考え込んでいるようだった。

「私は進学、かな。とりあえず」

 セシリア──シスはケンジのように迷うことなくきっぱりと言った。予想通りの答え。シスは頭がいいから、大学もきっと、レベルの高いところに行くんだろう。

 ケンジも僕と同じことを思ったのか、自嘲気味に笑って、

「まぁお前頭いいもんな。羨ましいことに」

 なんてことを言った。ケンジは勉強はあまり得意じゃないようで、テストの順位はいつも下から数えたほうが早い。ちなみに、シスはいつも上位だ。

 言われたシスは片眉をあげて、三角にした膝の上に頭を乗せてケンジを見た。

「ケンジ……僻んでるの? あなただって……なんだっけ。そう、スポーツ推薦、だかがあるんじゃないの?」

 シスの言うように、ケンジは運動は校内トップクラスだった。部活も陸上部で、推薦が来ているというのは以前聞いたことがあった。

「いやー、まー、そーだけどさ」

「はっきりしないわね。なによ」

 シスが問い詰めると、ケンジは視線を空に向けて、困ったような声音で言った。

「いや、さ。これでいいのかと思うわけよ。これからのこと考えると。……最近、物騒だろ、いろいろと」

「それは……まぁ」

「俺なんか真っ先に徴兵されんじゃねーか、ってよ。つっても、他の道も思いつかねーが」

 過激化するデモ。治安の悪化。銃の所持は一般人に認められていないものの、その構図はどこか、歴史で学んだアメリカ崩壊の予兆とされるものを想起させる。それに対する不安が、ケンジにはあるようだった。

 ケンジはしばらく空を見上げて黙っていたけれど、僕たちも黙ったことを知って、慌てた様子で口を開いた。

「いや、悪い。何か妙な空気になっちまった。続けてくれ」

 彼は笑った。悩んでいるときほど笑うのが彼の癖だった。そして、彼が笑うときは大抵、僕たちは無力だった。

 シスと僕は顔を見合わせた。すると、シスはふと何かを思い出したように僕の目を覗き込んだ。僕はよくわからなくて、少しドギマギする。

「ね、リックはどうしたいの? 私、知りたい」

「お、そういえば。お前、俺たちにだけ喋らせる気、とかそんなわけねーよなぁ?」

 ケンジも僕に言えと言っている。まぁ、僕が言い出したことだから、何も言えないんだけど。

「えー、と、ね」

 言い淀む。二組の瞳が僕を見つめている。

「カウンセラー、に……なりたいんだ」

 口にして、そのまま続ける。

「世界に、たくさん傷ついている人がいる。僕はそれを助けたい。救えなくても、救いがあると、思わせたい。僕は弱いけど……でもそれは、理想として目指す価値があると思うから」

 うつむく。理想を語るのはどこか恥ずかしさがある。二人の反応を待ちながら、コンクリートを見つめた。

 肩をど突かれて我に返った。見ると、ケンジの笑顔が目にはいる。好意的な表情なのは、すぐにわかった。

「いいじゃねーか。頑張れよ」

 なぁ、シス。と、彼女にも同意を求める。首を反対に向ける。彼女もまた、穏やかに微笑んでいた。

「うん。リックらしいね。君ならなれるよ。私が保証する」

「やったな。秀才のお墨付きだ」

「ケンジ……、いちいち茶化さないの」

 もう、と言って僕の顔前をシスの腕が通り過ぎる。ケンジは肩を叩かれて、「悪かったって」と言って笑った。シスの服の袖からは、柔らかい花の香りがした。

「二人とも、ありがとう……」

 感謝を伝えると、肩を叩かれた。いつも、こうやって励ましてくれる。申し訳ないような、ありがたいような複雑な思いがするけれど、きっとここは、ありがとう、でいいんだろう。

「ありがとう……」

 もう一度、僕は言った。

 質問した僕の方が励まされる結果になったその日、僕たちは三人で写真を撮った。高校生活の中撮ったものは他にもあるけれど、僕の中ではそれが一番印象に残っている。

 後日、撮影したシスから現像されたものをもらった。僕はその写真を大切に保管した。思い出を取り逃がさないように。

 写真を撮ったのは、それが最後になった。



 *    *



「……リック。エリック・イエサカ!」

 目を開けると、同僚のフレッドの巨体が目に入った。この偉丈夫は仁王立ちで、座ったまま浅い眠りについていた僕を見下ろしている。

「そろそろ射出の時間だ。準備しとけ」

「ああ……」

 急速に鮮明になっていく意識で、僕は立ち上がった。僕らの部隊に与えられた船室には、僕とフレッドの他には誰もいない。もう先にカタパルト・ルームに向かったようだった。

「夢でも見たか」

 歩きながら、フレッドが言った。僕は疑問の意味を込めて、首をかしげる。

「さっきと比べて顔色がいい。乗艦した時は、ひどい面だったからな」

「そうだったか。自覚はないが、君が言うなら、そうなんだろうな」

「ああ。で、夢は見たのか」

「見たよ。昔の夢だ。……緊張……してるんだろうな」

 自分の掌を見つめる。少し汗ばんでいる。戦闘服で拭い、手袋をして、強く握りしめる。

 フレッドはそんな僕の背を叩いた。

「そりゃな。何度か小競り合いには出ちゃいるが、今回のは正式な作戦だ。俺もまぁ、緊張している」

「君が?」

「なんだその反応は。俺だって死にたくはないさ」

 いつも剛胆に突撃していくフレッドにしては弱気なセリフに感じたけど、僕が彼に偏見を持っているからそ感じるのかもしれない。

 カタパルト・ルームに着くと、他の仲間が待っていた。僕を認めると一様に微笑んで、寝坊した僕を茶化しながら、強襲揚陸用の射出装置──通称・フライングフィッシュ。略してFFと呼ばれている──にそれぞれ入り込んでいく。

「じゃあ、また向こうで」

「おう」

 そう言って、僕とフレッドも、自分にあてがわれたFFに身体を収める。

《人員の格納を確認。認証、強襲揚陸作戦群第〇八試験小隊隊長エリック・イエサカ。……射出要請、受諾。準備段階開始します》

 女性の人工音声とともに、装置内に展開されたホログラムに情報が表示されていく。僕は幾つかの確認事項に“Yes”と回答し、今日の作戦のことを考える。

 日本が茨城から新潟にかけてで南北に分裂してから数年。戦火は拡大する一方で、当時大学生だった僕も徴兵され、ここまで来てしまった。夢は遠ざかり、かつての親友たちの行方は杳として知れず、僕は自分の手で、かつて救いたいと願っていた人々を傷つけて回っている。厳しい訓練を重ねるうちに、僕はどこか変わってしまったみたいだった。投与されたナノマシンの影響もあるだろうけど、戦場にいても、だんだん何も思わないようになっていった。それはどこか恐ろしく、けれど僕には、自分の弱さが克服されていくようにも感じられた。たとえそれがまやかしだとしても……今の僕にはそれに縋るしか、生きる術はなかった。

 作戦要項の最終確認を終え、僕は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。よれてはいるが、大切に扱ったおかげか、まだ綺麗だった。

 高校生のあの日、最後にとって三人の写真。離れ離れになってからずっと、彼らがどうしているかと考えながら生きてきた。最後まで飲み込んだままだった言葉、伝えられなかった想いも、また再会すればいつか話せると信じて……彼らと語り合いたくて、それを標にここまで来た。

 少し若い僕たち。あの日香った花の香りを思い出す。シスの美しかった髪をなぞる。ケンジから、勇気をもらう。まだ死ねない。生き残るのだ、と。

 通信が入る。音声をオンにした。

『艦長だ。作戦領域に入った。間もなく射出となる。諸君、準備はいいかね』

 表示された“Yes”をタップする。今頃、全員のバイタルと同意の表示が司令室に写っているはずだ。

『本作戦は今後の趨勢を決め得る重要な戦いとなる。……諸君らの幸運を祈る』

 通信がオフになり、代わりに機械音声が再度起動、カウントダウンを開始する。

《射出まで、十、九……》

 写真を元の場所にしまう。生きて帰る。夢はまだ、途中だ。全てが終わったら、傷つけた人の分だけ救うのだ。そうでなければならないと、そう思う。

《三、二、一、射出します》

 抑制されたGとともに、接地の重みが消失する。FFの自動姿勢制御によって、空の旅は比較的快適と言える。ホログラムに映し出された外部映像では、小さな基地となっている海岸に敷設された迎撃装置が火を吹いている。弾丸はしかし、各FFに展開された防護シールドに受け流され、弾かれ、逆にAI制御の迎撃装置によって破壊されていく。

 勢いそのままに、僕たちは海岸の砂浜、コンクリートに次々と着地する。衝撃分散機構が接地面から半径二メートルほどの地面を粉砕し、周囲に映った敵影を迎撃装置が撃破していく。

《危急の障害となり得る驚異の排除を確認。ロックを解除》

 ボタンを押して外に出る。爆発の煙が空に立ち登り、基地の入り口を警備していた兵士たちは、穴だらけになって無惨な死体を晒している。視線を動かして、バイザーに隊員全員のバイタルを確認する。

「ハウンド・ワン、タッチダウン」

 そうして、僕たちはまず、海岸の小基地の制圧に入った。

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