トーチカと少女(仮称)


 薄汚れたトーチカの中にいると、まるでここが、世界から隔絶されているかのように思えてくる。

 そして私は、それが錯覚だということをよく知っている。

 どんな場所にあっても、世界はいつだって平坦に無慈悲につながっていて、どこにいても、確かにここに存在しているということ。私の眼の前に広がっているものは、切り取られた一部ではなく、畳んだ時に見える表面だということ。

 これが、紛れもなく現実であるということ。

 もたれかかったコンクリートは、防寒具に阻まれて冷たさを伝えない。ただ硬い感触だけが、緊張と疲労とで柔軟さを失った背中に、重々しく響く。吐き出す息は白く、露出した頬は紅く染まっている。

 つかの間の静穏だった。耳障りな爆音も、身体が浮くほどの衝撃も、不定期に訪れるこの間だけは、気にしなくて済んだ。横に立てかけてある銃を手に取らなくていいという事実に、少しだけ安心する。

 衣摺れの音に、顔を上げる。戦友が、弱々しく微笑んでいる。

「……隣、いい?」

「うん」

 銃を立てかけて、密着するように腰を下ろす。

 すぐ近くで人が肉に変わる恐怖と、死への不安からくる睡眠不足が、色濃い隈となって彼女の目元に巣食っていた。ただでさえ満足に眠れないのに、それがさらに削られる。身も心も、たまったもんじゃない。

 そしてそれは、私も同じだった。

 お互いに黙ったまま時間が過ぎる。眠いのに、眠れない。休息は休息の意味をなさない。だからこそ、せめて心だけは、少しでも保たなければ、と思う。

 状況に耐えられず、無謀な特攻をして弾丸に全身をえぐられた人がいた。

 正気を失って、コンクリートに頭を打ち付けて死んだ人がいた。

 一刻も早く逃げたいと言って拳銃で自分の脳味噌を吹き飛ばした人がいた。

 たくさんの人が、死んだ。死んでいった。死体になって、腐っていった。

 けれど、私たちはまだ……、まだ、死にたくない。

 だからこそ私は、彼女の温もりを、瞼を閉じて感じとる。

「……戦争、早く終わるといいね」

「……うん」

「……終わったら、一緒に住もうね……」

「……うん」

「……死にたく……ないなぁ……」

「………………うん」

 私は、頷くことしかできなかった。

 心も身体も、一刻も早い終戦を望んでいる。限界がいつ訪れるのか、私にも見当がつかない。食事も、最近はまともにとっていない気がする。誰も彼もが、同じような暗い表情で、虚空を見つめて、たくさんのものを取りこぼしたように、悲しげに固まっている。

 彼女の肩に手を回して抱き寄せる。死なせない。一緒に生きたいんだと強く願う。祈る。神様、って。もう他に、縋れるものなど存在しないから。信じられないから。

「……ありがとう」

「……うん」

 ずっと私を励まして、苦しさを希望に変えようと抗ってきたこの女の子が、幸せになれる未来になればいいと思う。

 だから、今日も生き延びる。絶対に、必ず。


 *     *


 なにも見ない。

 なにも聞かない。

 なにも考えない。

 顧みない。

 死にたくない。

 死なせたくない。

 だから、

「いやだいやだいやだやだやだし、しししに、しにぅっ、ぎぐ、たぐな……」

「……っ」

 錯乱する彼女の手を引いて走る。かつての戦争でつくられ、放置された塹壕の中を走る。足がもつれても構わない。死体を踏みつけても止まらない。逃げなければ、と、震える歯の根を無理やり押さえつけて、歯ぎしりとともに走る。

 少なくとも、ここで私たちの軍が勝てる見込みはもうなかった。疲弊した兵士は案山子と変わらず、砲火に銃火に次々と倒れていった。

 

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